(3-20)具体的に
渉はそんな忠史を静かに見つめ、だがいつもより少しだけ強い口調で言った。
「遠藤さん、毎日、捲る練習をしっかりやってくださいね」
「え?」
忠史は思わず聞き返した。実は、東京へ戻ってからはほとんどというよりまったく練習をしていなかったのだ。
以前、奥園仁から、
――どんなに集中しても東京では発現しない。
そう聞かされていたこともあり、また、忠史自身もそういうものだろう思っていた。
奥袴狭だからできる。
あの土地だからこそ力が働く。
そう考えていた。
「ここで練習しても……」
そこまで言いかけて忠史は言葉を止めた。渉の表情がいつになく真剣だったからだ。
「大丈夫です」
渉は静かに言った。
その短い言葉には不思議な説得力があった。
「あ……わかりました」
忠史も自然と姿勢を正す。
「部屋でしっかりやります!」
渉は小さく頷いた。
「やみくもに腕を振り下ろすのではなく、イメージとしては大地のエネルギーを吸い上げて捲る指先に集めるような感じです」
そう言いながら、自分の手元を軽く示す。
「それと、目は閉じないで。皿のようにして視線をピクリとも動かさないように」
「はい」
忠史は真剣に聞き入っていた。
こんな風に、渉が具体的に“練習”について話してくれるのは初めてだった。
「集中すると目が乾くので、瞬きは忘れずに」
そう言って、渉は少しだけ笑った。
その柔らかな笑顔を見て、忠史も思わず笑ってしまう。
渉は少し間を置いてさらに続けた。
「部屋での練習も大事ですが……地面に足がついていた方がいいです」
「地面……?」
忠史は思わず自分の足元を見る。
自分の部屋はマンションの三階。鉄筋コンクリートの床の上だ。そう言われてみると、自分は地面から切り離された場所に住んでいるのだと初めて意識した。
空間。あるいは空中。東京の暮らしとはそういうものなのかもしれない。地面の上に立っている感覚がどこか薄い。
渉は静かに説明を続ける。
「河川敷とか公園とか……人目はありそうですが、大学のキャンパスでも落ち着いて練習できる場所があればいいですね」
忠史は真剣に聞き入る。
「大地を踏みしめていた方が、エネルギーを吸い上げるイメージがしやすいと思います」
その言葉を聞きながら、忠史は奥袴狭の夜を思い出していた。
あの淡い光。
地脈。
土地から溢れ出るエネルギー。
もし本当にそういうものがあるのなら、東京でも地面と繋がる感覚は大事なのかもしれない。
「わかりました」
忠史はしっかり頷いた。
「場所、探してみます。しっかりやります」
その返事を聞き、渉は静かに微笑む。
「はい」
短い返事だった。けれど、どこか安心したような響きがあった。
そして渉は目の前を捲り、ふっと夜の空気に溶けるように消えた。
マンション前には忠史一人だけが残された。
しんとした人工の静けさ。
遠くの車の走行音。
エアコンの室外機の低い唸り。
忠史はしばらくその場に立ったまま、自分の手を見つめていた。
――大地のエネルギーを吸い上げる。
その言葉が、胸の中で静かに反響していた。




