(3-17)奥村家
忠史も奥村家へ入るのはこれが初めてだった。これまで何度も村へ来ていた。夏休みも昼間はバイトで本橋のところへ行くものの、それが終われば村へ戻ってきていた。なのに不思議と家の中へ上がる機会は無かった。
環も緊張している。だが忠史も同じくらい緊張していた。
渉の家。
それは、奥袴狭という不思議な村の中心みたいな場所に思えていたからだ。
二人は顔を見合わせ小さく頷き合う。そして忠史が意を決して引き戸を開けた。
「忠史です。環さんも一緒です。おじゃまします」
家の中へ声をかける。すると奥の方からヒサ子の明るい声が返ってきた。
「あ、どうぞどうぞあがって。ちょっと手が離せなくて」
「はい、おじゃまします」
引き戸の向こうは昔ながらの土間になっていた。ただ、かまどなどは既に使われていないようで今はほとんど物置のようになっている。農具や籠、瓶類などがきれいに整理されて置かれていた。
古い家なのに不思議と暗さは感じない、どこか空気が柔らかい場所だった。
忠史と環は靴をきちんと揃え、こあがりから居間へ上がる。
畳の感触が足に伝わる。東京で暮らしていると畳の部屋に座るだけでも少し特別な感じがした。
二人が遠慮がちに腰を下ろしたところで、再び奥からヒサ子の声が飛んできた。
「環さん、ちょっと手伝って」
「あ、はい!」
環は反射的に立ち上がった。その返事があまりにも自然で忠史は思わず少し笑ってしまった。
環はぱたぱたと奥へ向かう。どうやら夕食の支度の途中らしかった。
「吹きこぼれないようにお鍋みておいて」
「はい」
そんなやり取りが聞こえてくる。その声が、まるで昔から一緒に暮らしている家族みたいに自然で、忠史は少し不思議な気持ちになった。
居間には静かな時間が流れる。外では風が木々を揺らし、どこかでヒグラシが鳴いていた。
やがて、いい匂いが漂ってくる。
醤油と出汁の香り。どこか懐かしく空腹を刺激する匂いだった。
しばらくすると、環とヒサ子が料理を運んできた。
煮物。
焼き魚。
小鉢には青菜のお浸し。
手作りらしい漬物も並ぶ。
豪華というわけではない。けれど、一品一品が丁寧だった。
「すごい……」
環は思わず小さく呟いた。
「そんなに大したものじゃないですよ」
ヒサ子は笑う。だが、東京でコンビニや外食が当たり前になっていた環には、その“普通の夕食”がむしろ新鮮だった。
ある程度準備が整ったところで、隣の部屋の襖が静かに開いた。
渉だった。
いつの間に居たのかわからないほど自然に現れ、そのまま静かに腰をおろす。
「いただきます」
ヒサ子の声に合わせ四人で手を合わせた。
いつもより少し早い夕食。最初は緊張していた忠史と環だったが、食事が始まるとその空気は少しずつ和らいでいった。
「環さん、苦手なものある?」
「いえ、大丈夫です」
「よかった。山菜とか苦手な人もいるから」
そんな他愛もない会話。
「東京っていまでも人多いの?」
「はい……通勤時間とか本当にすごいです」
「昔、何度か連れて行ってもらったんだけど、初めて東京駅に行ったときはなかなか外に出られなくてねぇ」
ヒサ子は楽しそうに笑う。
環も、いつの間にか自然に笑っていた。
不思議だった。初めて来た家なのに妙に落ち着く。
渉はその間、ほとんど会話に加わらなかった。ただ静かに食事をしながらヒサ子と環のやり取りを聞いていて、時折ほんの少しだけ口元を緩める。それだけだった。
けれど、その静けさは冷たさではなく、むしろ二人の会話を穏やかに見守っているように感じられた。




