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(3-14)予想外

 樹は忠史の足に抱きついたまま隣に立つ環をじっと見上げていた。

 初めて見る顔だった。けれど警戒している様子はまったくなく、むしろ興味津々といった表情である。


「忠史くんのお友達?」


「あ、えっと、この人はね……」


 忠史が説明しようと口を開くが、その途中で環がふっとしゃがみ込んで樹と目線を合わせた。


「おおむらたまき、って言うの」


 柔らかく微笑みながら名乗る。


「これから、この村でみんなと一緒にいたいなって思って」


 その言い方は、子どもにも伝わるようにとても自然だった。


「そうなの!?」


 樹はぱっと目を輝かせた。

 環はその反応が嬉しくて小さく笑う。


「そうなの。奥村さんのところで……」


 そこまで言いかけた時だった。樹が突然、何かに気づいたように目を丸くする。


「もしかして……渉くんのお嫁さんなの!?」


「え!?」


「え!?」


 忠史と環、二人の声が見事に重なった。あまりにも予想外の言葉だった。

 環は一瞬呼吸が止まりそうになる。


 ――お嫁さん。


 そんなこと考えたこともなかった。

 けれど、言われてみれば、


 渉のそばに居たい。

 奥袴狭へ来たい。

 ここで暮らしたい。


 それらは確かに自分の中にある本当の気持ちだった。だが、その先に“具体的な役職”のようなものは実は何も無かった。


 秘書として?

 助手として?

 社員として?


 そういう言葉を自分では使っていたものの、実際にはもっと曖昧でもっと感覚的な願いだった気がする。


 ただそばに居たかった。

 何か役に立ちたかった。

 渉が静かに生きていけるよう、自分もその一部になりたかった。


 それは――。


 環は自分の胸の奥に浮かんだ考えに戸惑う。

 まるで“妻として夫を支えたい”と願う気持ちととてもよく似ていた。


 隣では、忠史もまた別の意味で衝撃を受けていた。

 確かに環は渉のそばで生きたいと言って村へ来た女性である。しかも今から村を見学し、そのまま受け入れられようとしている。その行動を外側から見れば、それはもう昔ながらのお見合いや嫁入りとほとんど変わらない構図なのではないか。

 そう思った瞬間、忠史は急に変な緊張感を覚えた。


 二人とも何も言えない。

 それぞれの頭の中で樹の言葉が何度も反響していた。


 ――渉くんのお嫁さん。


 しばしの沈黙。

 だが、そんな空気などまったく読まないのが樹だった。


「……?」


 樹は不思議そうに二人を見比べる。どうして黙っちゃったんだろう、という顔である。

 そして次の瞬間、ぱっと表情を輝かせた。


「パパー! ママー!」


 そう叫びながら勢いよく家へ駆け出す。


「あっ!」


 忠史が慌てて呼び止めようとするがもう遅かった。


「渉くんのお嫁さんが来たよー!」


 元気いっぱいの声が村中に響き渡る。


「ちょ、ちょっと!」


 訂正する暇もなく、樹はそのまま家へ飛び込んでいった。

 取り残された忠史と環。二人の間に何とも言えない沈黙が落ちる。


「……」


「……」


 そして。


 顔を見合わせた瞬間、環は一気に顔が熱くなるのを感じた。忠史もどう反応していいかわからない。

 奥袴狭の静かな空気の中で、ただ二人だけが妙に落ち着かない気持ちになっていた。


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