(3-13)具体的な仕事
「あぁ、おかえり」
柔らかな声が聞こえた。振り向くと、そこにはちょうど山から降りてきた奥村ヒサ子が立っていた。穏やかな笑みを浮かべ、まるで少し買い物に出ていた家族を迎えるような自然さで三人を見ている。
「ただいま戻りました」
渉が静かに答える。
「こんにちわ、ご無沙汰しました」
忠史もぺこりと頭を下げた。
「あぁ、遠藤さんもこんにちわ。おかえりなさい」
ヒサ子は忠史にも優しく笑いかける。そして、その隣に立つ環へ視線を向けた。
「えっと、そちらの方は?」
「渉さんのそばで働きたい、と。それなら一度村に来ていただきましょう、ということで来てもらった大村環さんです」
忠史が説明する。
「あ、大村環です。よろしくお願いします」
環は少し緊張した面持ちで頭を下げた。
「こちら、渉さんのお母さんです」
忠史が何気なく紹介すると、
「え!? お母様!?」
環は目を丸くした。
「あ、あの……よろしくお願いいたします!」
慌ててもう一度深く頭を下げる。
その反応がどこか可笑しくて、忠史は思わず口元を緩めた。
ヒサ子はそんな環の様子にくすりと笑う。
「そんなにかしこまらなくて大丈夫ですよ。よろしくね」
その言い方は、本当に“村へ来た新しい人”を迎え入れるような温かさだった。
すると渉が、静かに口を開いた。
「具体的な仕事などは母に聞いてください」
「あ、はい、わかりました。よろしくお願いいたします!」
そう答える環の隣で、忠史の頭には疑問が浮かんでいた。
(え? 具体的な仕事?)
そういえば、ここでの仕事とは何なのだろう。
奥袴狭にいる時の渉は、畑を見たり、山を歩いたり、人の話を聞いたり――どこか生活そのものが仕事のようで、いわゆる“業務”らしいものをしている印象がない。
だからこそ、忠史は夏休みの間は本橋のところで最期師の手伝いというバイトをしていたのだ。当然それは村の仕事ではなく、あくまで本橋の仕事だ。
そもそもこの村で働くとはどういうことなのか。
考え始めると急によくわからなくなる。
だが、その疑問を口にする前に忠史は別の言葉を選んだ。
「環さん、その辺ちょっとぶらっとしませんか?」
「あ、はい。見てみたいです」
環はすぐに頷いた。まだ到着したばかりで周囲の景色に視線が落ち着かない様子だった。無理もない。山の匂いも空気の静けさも、東京とは何もかも違う。
「では、私は家に戻ってますのでひと段落したら家に来てください」
そう言うと、渉とヒサ子は二人並んで家の方へ歩いていった。
その後ろ姿を環がぼんやり見送っていると――
「忠史くんだ!」
元気いっぱいの声が響いた。
次の瞬間、小さな影が勢いよく飛び込んでくる。
「うわっ!」
忠史は慌てて受け止めた。
「樹!」
樹は満面の笑みで忠史に抱きついている。
「来てたの!? いつ来たの!?」
矢継ぎ早に話しかけてくるその勢いに忠史も笑ってしまう。
「さっきだよ。元気だったか?」
「うん!」
そのやり取りを見ていた環は思わず目を細めた。
閉ざされた不思議な村。そこに住む超常的な力を持つ人。もっと張りつめた、どこか神秘的な場所を想像していた。
けれど、実際にそこにあったのは誰かが「おかえり」と迎え、子どもが駆け寄ってくる、ごく当たり前の暮らしの風景だった。




