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(2-25)軽井沢

 高輪の須永邸を出たあと三人は最初の公園に戻った。


 そして――捲る。


 一瞬の感覚を経て、次に踏みしめたのは柔らかな土と落ち葉の上だった。


 ひんやりとした空気。

 木々の匂い。

 だが、それは奥袴狭のそれとはどこか違う。


「……ここが軽井沢」


 忠史は周囲を見渡しながら呟く。

 整えられた森の中に点々と(たたず)む別荘。自然の中にありながら人の手がきちんと入っているのが分かる。


(似てるけど……なんか違うな)


 奥袴狭のような深く飲み込まれる感じはない。人と自然がきちんと分かれているような印象だった。


「ここだね」


 目も前の別荘を見て本橋がつぶやく。それは想像していたものよりもはるかに大きかった。外観だけでも十分に立派だが、中に入るとその印象はさらに強くなる。


「……すごいな」


 思わず声が漏れる。天井の高さ、広々とした空間、丁寧に整えられた内装。裕子から受け取った写真で見てはいたが、実物はまったく別物だった。


「立派なものですね」


 渉も静かに言う。

 リビングに入ると、まず目に入るのは中央に置かれたソファセットだった。


 重厚な作り。

 深い色合いの革張り。

 それに合わせたローテーブル。


 どれも明らかに高価なものだと分かる。


(これ……処分していいって言ってたよな。中古でも普通にいい値段で売れそうだけど……)


 内心でそう思うものの、忠史はそれを口に出すことはしなかった。


「では、動かします」


 渉が一歩前に出る。

 特に力を入れる様子もなくソファに手をかけたかと思うと次の瞬間にはそれと一緒に靄に包まれ消えた。


「……やっぱりすごい」


 忠史は小さく呟く。

 何度見ても慣れない。


 ソファセットとローテーブルはまとめて奥田家の空き部屋へと移された。広々としていたリビングはさらに大きな空間へと変わる。


「これなら……大丈夫だね」


 本橋が部屋を見渡す。


「あのキングサイズでも十分に収まりますね」


 忠史も頷く。

 ベッドの配置を想像する。窓からの光、外の景色。確かにここなら、あの人が望んだ最期の場所としてふさわしい気がした。


 ひと通りの確認を終え、三人はリビングの中央に立つ。

 静かな空間。その中で本橋が口を開いた。


「さて……問題は明日だな」


 渉が小さく頷く。


「会長さんとベッドはそのまま渉くんに移動させてもらうとして……」


「はい」


「今回は……」


 本橋は少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。


「大村さんが一緒にいる」


 その一言で空気が変わる。


「会長さんだけなら、仮に目を覚ましていてもどうにでもなる。一瞬布団をかぶせるとか視界を(さえぎ)るとか……やりようはある」


「はい」


「だが、大村さんは別だ」


 隠しきれない。捲るという能力そのものを見られてしまう可能性が高い。


「渉くん、どうする?」


 本橋が率直に尋ねる。


「何か方法はあるかい?」


「正直に言いましょう」


 渉は考える様子もなく、あまりにもあっさりと答えた。


「……正直に?」


 本橋がわずかに眉を上げる。


「はい。たぶん大村さんも個人的に何か依頼したいことがあるようです」


「え?」


 忠史が思わず声を上げる。

 本橋も少し驚いたように目を細める。


「そうなのか?」


「はい」


「そうか……」


 本橋は腕を組み少し考え込む。


「うん……まぁ、下手に騒ぐような人ではなさそうだったし……」


 環の様子を思い出しているのだろう。落ち着いていて状況をきちんと受け止める力がある。


「大丈夫……かもしれないな」


 そう言って小さく頷いた。

 だが、忠史の中には別の疑問が浮かんでいた。


「何か依頼したいことがありそうって……渉さん、何か気づいたんですか?」


 渉の方を見て少し身を乗り出す。


「心の声が聞こえた、とか?」


 渉はわずかに視線を落とし、それから答えた。


「はい」


 やはり、という答え。


「たぶん、この件とは別で……大きな悩みを抱えておられます」


 その言葉は静かだったが重みがあった。


「明日、分かるでしょう」


 それだけを言って渉は口を閉じる。

 外では風が木々を揺らしていた。軽井沢の森は静かだったが、その静けさの奥に何かが潜んでいるような気もする。

 忠史はふと窓の外を見た。


(……明日、か)


 栄一の最期の願い。

 そして、大村環の抱える何か。


 すべてが明日動き出す。

 そんな予感が静かに胸の奥に広がっていた。


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