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(2-20)一週間経って

 奥袴狭に来てちょうど一週間が過ぎていた。

 最初はどこか現実味のなかったこの場所も少しずつ日常になってきていた。朝の空気、山の匂い、土の感触、そのすべてが忠史の身体に馴染みつつあった。


 今日の昼は中村家で世話になり、食後のコーヒーを囲んでいた。

 湯気の立つカップを手に、忠史は一息つく。窓の外ではやわらかな風に木々が揺れている。


 そして――


「それで、やっぱり“ネットワーク”っていうのは比喩じゃないんですよ」


 向かいに座るハジメが抑えきれない様子で話し始めた。あの日以来ハジメはずっとこの話題に取り憑かれているようだった。


「木の根と菌糸が繋がってるっていうのは前から言われていて、でも最近は情報伝達の話がかなり具体的になってきるようなんです」


 身を乗り出しながら指でテーブルを軽く叩く。


「例えば、ある木が虫にやられるとする」


「はい」


 忠史は自然と頷く。


「するとその木は化学物質を出す。それが空気中にも広がるし、同時に根を通じても伝わる。で、周りの木がそれを受け取って防御を始める」


「……防御?」


「葉の成分を変えたり虫が嫌う物質を出したり。要するに情報を共有してるんですよ」


 ハジメの目は完全に研究者のそれだった。楽しさと興奮がそのまま言葉に乗っている。


「それって……ほぼ会話じゃないですか」


 忠史が言うとハジメは大きく頷いた。


「そうなんです! だから“森は一つの生き物”みたいな考え方もあるんです」


 少し息をつきコーヒーをひと口飲む。


「ただ……」


 そこで、声のトーンが少し落ちる。


「人間がその“やり取り”を直接感じ取る、なんて話は当然どの論文にも出てこない」


「ですよね……」


 忠史も苦笑する。


「でも、樹くんは……それを感じてる。感じてるというか直接話してる……」


「そういうことになりますね……」


 ハジメは静かに言った。

 しばらく、二人の間に沈黙が落ちる。コーヒーの香りがゆっくりと漂う。


「これって……」


 忠史が口を開く。


「この辺の山だから、なんですかね」


「というと?」


「例えばですけど……東京の公園とか道端の植物とか。そういうのとも話せるんですかね」


 自分で言いながら妙な質問だと思う。だが、気になってしまう。

 ハジメは少し考え込むように視線を落とした。


「どうでしょうね……」


 ゆっくりと答える。


「ネットワーク自体はどこにでもあるはずです。けど……密度とか状態とかは全然違うでしょう」


「状態……」


「人が手を入れすぎてる場所は繋がりが断片的になってる可能性もある。逆に、ここみたいな場所は……」


 言いかけて外を見る。山が静かにそこにある。


「より“繋がってる”のかもしれませんね」


 その言葉に忠史は小さく息を飲んだ。


(……繋がってる、か)


 頭の中で、山の中での光景がよみがえる。樹が迷いなく駆けていく姿。あれは単なる勘で走っているわけではない。もし本当に植物たちが導いているのだとしたら、どこまでが自然でどこからが異常なのか。そんなことを考えかけたそのときだった。


「こんにちは」


 ふいに玄関の方から声がした。

 振り向くとそこに立っていたのは渉だった。


「あ、渉さん、こんにちわ」


 忠史とハジメが同時に応える。

 渉は軽く会釈をすると、まっすぐ忠史の方を見る。


「遠藤さん、行きましょうか」


「え?」


 あまりに自然な一言だったが、意味がすぐには飲み込めない。


「……行く?」


 思わず聞き返す。その瞬間ふっと頭の中で何かが繋がった。


(あ――)


「あ! バイト!」


 思わず声が出る。

 渉は小さく頷いた。


「ええ。さきほど連絡が来たので。一緒に行きましょう」


 その言い方は相変わらず淡々としている。バイトのことは結局まだ何も聞いていない。場所も内容も誰がいるのかさえ。


(……でも)


 迷いはなかった。ここに来た時点で答えは一つしかない。どんな場所でどんな仕事だろうと断るという選択肢は無い。


「分かりました」


 忠史はすぐに立ち上がった。


「じゃあ、行ってきます」


 ハジメが軽く手を上げる。その目にはどこか楽しげな色が残っていた。

 外に出ると山の空気が少しだけ変わっていた。午後の光がゆるやかに傾き始めている。その中を渉は迷いなく歩き出す。


(さて……どんな仕事なんだか)


 期待とわずかな緊張を胸に抱えながら一歩踏み出した。


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