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(2-17)樹の能力2

「ということは……お二人もご存知なかったんですね?」


 忠史は思わず身を乗り出した。


「ちょっと山に慣れたからとか、子どもだからすばしっこいとか……そんなレベルじゃないんです。本当にすごいんです」


 自分でも少し熱が入りすぎていると分かる。だが、それでも抑えきれなかった。

 ハジメは少し驚いたように目を細める。


「確かに、私はほぼパソコンの前に居ますから一緒に山に入ることはありませんし……」


 そう言ってから改めて樹を見る。


「そんなにすごいんですか?」


「びっくりされると思います」


 忠史ははっきりと頷いた。

 その横で、由紀がやわらかく声をかける。


「いっちゃん、ゆっくりでいいからもうちょっと教えて」


 その言葉に樹は少しだけ考えるように視線を落とした。

 それから、ぽつりぽつりと話し始める。


「山に入って……遊んでて」


 言葉を探すように間を置く。


「転んだんだ」


 小さな声だった。


「けがはしてないけど……」


 三人とも自然と口を閉じていた。

 コーヒーの湯気だけがゆっくりと立ちのぼる。


「そしたら誰かがしゃべってて」


 その一言で空気がわずかに変わる。


「……誰だ? おまえは誰だって。いっぱい聞こえて」


 忠史は思わず息を呑む。


「中村樹だよ、いっちゃんだよ、って言ったんだ」


 樹は淡々と続ける。まるでそれが特別な出来事ではなかったかのように。


「そしたら、いっちゃん、いっちゃんこっちって……またいっぱい聞こえて」


 その声を思い出しているのか、樹の視線はどこか遠くを見ていた。


「でも、立ったら聞こえなくなって」


 一度、言葉が切れる。


「寝ころんだらまた聞こえて」


 静けさが落ちる。


「それ、いつ頃だった?」


 ハジメが低く訊ねる。


「小学校に行く前。四歳……五歳……?」


「……そうか」


 短い返事だった。

 その間にいくつもの思いが巡っているのが分かる。

 忠史はゆっくりと口を開いた。


「それで……そういう声が聞こえるようになって、その声が通りやすい道とか方向を教えてくれるんだ」


 確認するように言う。


「うん」


 樹はあっさりと頷いた。

 それだけのことのように。


 だが、それだけで済ませていい話ではない。幼い頃からそんな日々を過ごしてきた。見えない何かに導かれるように山を歩き続けてきた。その積み重ねが今のあの動きにつながっているのだとすれば。


(……そりゃ、あの速さにもなるか)


 忠史は内心で納得しながらも、同時に別の感情が広がっていくのを感じていた。


 ハジメと由紀は言葉を失っていた。自分たちの知らないところで息子に起きていた出来事。それがどれほど異質なものなのか、ようやく輪郭を持ち始めている。


「……そんなことが」


 ハジメがようやく絞り出すように言う。

 由紀は、ただ静かに樹を見つめていた。驚きと戸惑いと、そしてどこか心配の色が混ざった目で。

 その光景を見ながら忠史は思う。


(ここは……やっぱりただの山じゃない)


 自分が今、触れ始めているものの大きさをあらためて思い知らされていた。


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