(2-15)渉の母と2
今度は無理に追いつこうとはしなかった。さっき感じた違和感、あの動きのスピード。あれは単なる子どもの身軽さという一言で片付けていいものなのか。
(まあ……山で育てばあれくらいが普通なのか……?)
自分にそう言い聞かせながら足元に意識を向ける。湿った土、張り出した木の根、ところどころに苔むした岩。気を抜けば簡単に足を取られる。
やがてかすかな水音が聞こえてきた。
「ほら、もうすぐですよ」
奥村が指差した先、木々が少し開け光が強くなる。
そこに小さな沢があった。
透き通った水が細い流れとなって石のあいだを縫うように流れている。その周囲だけ空気がひんやりとしていた。
「うわ……きれいだ」
思わず声が漏れる。
沢のそばではすでに樹がしゃがみ込んでいた。何かを覗き込むようにじっと水面を見ている。
「いっちゃん、あるかい?」
奥村が声をかけると、樹は振り向かずに答える。
「うん、あるよ。いっぱい」
その言葉どおり、よく目を凝らすと水の中に小さな緑の葉が浮かんでいる。丸くてつややかで、どこか不思議な形をしている。
「これがジュンサイですよ」
奥村が腰を下ろしそっと水に手を入れる。指先で葉の根元を探り、くるりとひねるようにして引き上げた。ぬるりとした透明な膜に包まれたそれは見た目以上に繊細で、どこか生き物のようにも見える。
「触ってみます?」
差し出されたジュンサイに忠史は少し戸惑いながら手を伸ばした。指先に触れた瞬間ひやりとした感触と、ぬめりが同時に伝わる。
「……なんだこれ、面白いですね」
「でしょう? これがまた食べると美味しいんですよ」
奥村は穏やかに笑った。
その横では樹が夢中になって採っている。ひとつ、ふたつ、と手を入れるたびに確実にジュンサイを掬い上げていく。すでに慣れた手つきのようでもあり簡単なようでもある。
忠史は試しに同じように手を入れてみるがなかなかうまくいかない。葉に触れたと思った瞬間、するりと逃げるように指から離れてしまう。
「難しいでしょう」
奥村がくすりと笑う。
「最初はみんなそうなんです。でもね、この子は最初から上手だったんですよ」
忠史は思わず顔を上げる。
奥村の視線は樹に向けられている。その目は優しい。だが同時に、どこか測るような見守るような、そんな色を帯びていた。
「ねぇ、村ばあ」
不意に樹が口を開いた。
「もっと上、行ってもいい?」
「……あんまり奥へは行かないでね」
「大丈夫」
そう言うやいなや樹はすぐに駆け出し、あっという間に見えなくなってしまった。




