(2-14)渉の母と1
静かな空気の中に不意に明るい声が弾けた。
「あ! 村ばあ!」
樹はそう叫ぶなり、またしても迷いなく山の奥へ駆け出した。まさに疲れ知らずといったような勢いだった。
その先へ目を凝らすと、木々のあいだからひとりの人影が見える。腰のあたりまで伸びた草をかき分けるようにして立つ小柄なおばあさんだった。
(まだ会ったことのない人だ)
その人はすでにこちらに気づいているらしく、遠目にもわかるくらいゆっくりと頭を下げた。
(あ、挨拶……しなきゃ)
忠史ははっとして立ち上がる。少し慌てながら樹の後を追うように歩き出した。
近づくにつれておばあさんの表情がはっきりしてくる。柔らかく細められた目元。どこか懐かしさを感じさせる穏やかな顔立ちだった。
先にたどり着いた樹がすでにそのそばに立っている。
「遠藤さんですね」
おばあさんは静かに口を開いた。
「ようこそいらっしゃいました。奥村です。渉の母です」
その声は山の空気に溶けるようにやさしかった。
「あ、遠藤忠史です」
忠史は一歩前に出て軽く頭を下げる。
「ご挨拶遅くなってしまって……お世話になっています。よろしくお願いします」
自分でも少し固いと思うくらいの口調になってしまう。
それでも奥村は気にする様子もなく微笑んだ。
「村ばあ、山菜採るの?」
横から樹が気軽に尋ねる。
「そうそう」
奥村は足元の籠を軽く持ち上げて見せた。
「ミョウガを少しとね、それから沢の方でジュンサイとか」
籠の中にはまだ少しばかりだが緑の葉や細長い茎が丁寧に収められている。
「一緒に採る」
樹はそう言うと、もう次の行動を決めたように顔を上げた。
「あ、僕もご一緒していいでしょうか?」
忠史も自然と口を開く。せっかくの機会だ。この山での暮らしを少しでも知りたい。
「あぁ、どうぞどうぞ」
奥村はうれしそうに頷いた。
「助かります」
その言葉とともに、山の空気が少しだけやわらいだ気がした。
木々のあいだから差し込む光がやわらかく地面を照らしていた。その光の中で奥村はゆっくりと歩きだす。
「じゃあ、沢の方へ行きましょうかねぇ。足元、気をつけてくださいよ」
樹はもう待ちきれない様子で「こっち!」と声をあげ、再び駆け出す。さっきと同じだ。あっという間に姿が木立の向こうへ消えていく。
「ほんとに元気な子でねぇ」
奥村が少し笑いながら言う。
忠史も苦笑しつつその後を追った。




