(2-11)八月一日
待ちに待った八月一日。
朝の光がカーテンの隙間から差し込み、部屋の中をゆっくりと照らしていた。
忠史はすでに目を覚ましていた。枕元のスマートフォンに手を伸ばし時刻を確認する。朝の七時過ぎ。まだ早いが二度寝をする気にはなれなかった。
前日から準備はすべて整えてある。着替えも最低限の荷物ももうリュックの中だ。あとは行くだけ。ベッドに腰を下ろし部屋を見渡す。
見慣れたワンルーム。ほんの一か月離れるだけのはずなのにどこか少しだけ遠く感じた。
(……ちゃんと寝たはずなんだけどな)
軽く目をこする。眠れなかったわけではないが、ぐっすりと深く眠れたかと言われると少し違う気がした。
ふと、子どもの頃の記憶がよみがえる。遠足の前日、楽しみで早く寝なければと思いながらなかなか眠れなかったあの感じ。
(ああ……似てるな)
思わず小さく笑う。
自分ではそこまで浮かれているつもりはなかったが、心のどこかが確実に昂っている。それだけははっきりしていた。
(バイト……か)
ふと現実的なことを思い出す。
結局どんな仕事なのかは聞いていない。
不安がないわけではない。
だが――
(渉さんが変なことさせるとは思えないしな)
根拠はないのに不思議と信じられる。
(……よし)
小さく息を吐く。
うだうだ考えていても仕方がない。とにかく行ってみるしかない。
忠史は姿勢を正し軽く目を閉じた。
そして、心の中で呼びかける。
(渉さん、聞こえますか?)
少し間を置く。
(こちら準備できました)
静かな部屋。
何も変わらない空気。
(……本当にこれでいいのか?)
先日試して確認はしたものの、やはりこんなことで通じるとはまだまだ半信半疑だった。
時計の針がゆっくりと進む。
五分。
十分。
何も起こらない。
小さく独り言がこぼれる。
「まぁ……このまま何も起きなかったら……午後にでも中村さんに連絡してみるか」
そうつぶやいたそのときだった。
部屋の隅にふわりと靄が立ち込めた。
「……!」
その中からすっと人影が現れる。
「おはようございます」
穏やかな声。
「あ……渉さん!」
思わず顔が明るくなる。
「おはようございます! 良かった……」
胸の奥にあった小さな不安が一気にほどける。心の声が届いたことにまだまだ驚きながらも、それ以上に安心感の方が大きかった。
渉はいつもと変わらぬ様子で軽く頷く。
「では、さっそく行きましょうか」
「あ、はい」
背筋が自然と伸びる。
「よろしくお願いします」
忠史はリュックを背負い目を閉じる。
右肩に渉の手が置かれるのを感じる。
そして――
空気が変わった。
澄んだ匂い。
ゆっくりと目を開く。
「……あ」
深い緑に囲まれた静かな世界。
そこは奥袴狭だった。




