(2-5)新たな依頼
最初の頃、本橋と渉はどこへ行くにも二人一緒だった。二人で依頼人のもとへ足を運び二人で話を聞く。
誰をどこへ連れて行きたいのか。
何を持っていくのか。
行き先には本当に受け入れる準備ができているのか。
確認すべきことはいくつもあった。ときには、依頼人に気づかれないようにあらかじめ移動先へ足を運ぶこともあった。渉の能力を使って事前に現地へ行く。
部屋の広さ。
ベッドの位置。
窓の向き。
人の出入り。
ほんの少しの齟齬が取り返しのつかない事態につながることもある。だからこそ本橋は細かく確認した。
渉もまた最初のうちは慣れない様子で、その一つひとつを慎重にこなしていた。
だが、経験を重ねるにつれてやり方は少しずつ変わっていった。事前の準備や段取りはほとんど本橋が担うようになった。
依頼人との交渉。
現地の確認。
必要な手配。
そういった“地に足のついた仕事”はすべて本橋の役目になった。そして、最後の移動のときだけ渉を呼ぶ。それが二人にとって最も無理のない形だった。
いつしかそれが当たり前になり、今では渉と顔を合わせるのも週に一度あるかないかという程度になっていた。それでも仕事は滞りなく回っている。
本橋は人の現実を扱い、渉は現実では届かない場所へ手を伸ばす。
役割ははっきりと分かれていた。
そして今日もまたその形で仕事が進もうとしていた。
夏になり暑い日々がやってきた。
神河町は山に囲まれているとはいえ日中の暑さは容赦がない。診療所の古い扇風機が頼りなげに首を振っていた。そんな折に舞い込んできたのが今回の依頼だった。
依頼人は田村裕子。旧姓は須永裕子。依頼の内容はシンプルだった。
――末期の肺がんの父を、本人の希望もあり軽井沢の別荘へ移したい。
だが、本橋は資料に目を通した時点でこの依頼が一筋縄ではいかないことを感じ取っていた。
父親の名は須永栄一。
大きな建設会社を一代で築き上げた人物で、現在も立場的には会長ということらしい。いわゆる昔気質の仕事人間だった。
家庭より仕事。結果として、家にお金はあっても温かさはなかった。
裕子の話しぶりからもそれは伝わってきた。父親に対して強い愛情があるわけではない。かといって、完全に突き放しているわけでもない。どこか距離を置いた淡々とした語り口だった。
母親は裕子が結婚して間もなく家を出てそのまま離婚したという。幸せな家庭ではなかったのだろうことがうかがえる。
現在、栄一の身の回りの世話をしているのは大村環という女性だった。会社の従業員でありながら、事実上の世話係として常にそばにいる存在だという。
軽井沢へ移ったあとも引き続き環が面倒を見る予定らしい。
こういうことはままある話だった。
問題はその先にあった。
栄一が現在使っているベッドはキングサイズのシモンズ製。大柄な体に合わせて用意されたものらしく、一般的なベッドとは比べものにならない大きさだった。依頼は、そのベッドごと移動させたいというものだった。
さらに、移動先である軽井沢の別荘は寝室が二階にあるにもかかわらず、ベッドは一階のリビングに設置したいという。理由は単純で、階段の上り下りができないからだ。だがリビングには豪華なソファセットが据えられている。それらをどかし、スペースを確保してそこへベッドを置く。
言葉にすればそれだけだが、現実にはいくつもの段取りが必要になる。
本橋は資料から目を上げ軽く息をついた。
「……ややこしいな」
思わず独り言が漏れる。
こういう依頼ほど事前の詰めが重要になる。少しでも見落としがあれば取り返しがつかない。
本橋は少し考えたあと、決めた。
(今回は渉くんにも来てもらうか)
普段であれば打ち合わせなどは一人で済ませるが今回は例外だった。運ぶ対象が大きすぎるし現地の状況も複雑だ。能力の使い方そのものをその場で擦り合わせたほうがいい。
本橋は椅子に深く腰掛け静かに意識を飛ばす。
(渉くん、渉くん。今日の打ち合わせに同席して欲しいんだ)
しばらくの静寂。
数分後、診療所の隅に淡い靄がかかり、その中からゆっくりと渉が現れた。
その隣にはもう一人の男の姿があった。




