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(2-1)最期師

 兵庫県のほぼ中央にある神河町(かみかわちょう)

 山に囲まれた小さな町で、本橋保(もとはしたもつ)は町医者をしている。もっとも、今はもう町医者としての仕事はほとんどしていない。

 数年前から、本橋は自らをこう名乗るようになった。


最期師(さいごし)


 ――あなたの最期の望みをかなえます。


 そう書かれた名刺を持ちひっそりと活動している。

 やっていることは単純だ。


 寝たきりで動くことができない人。病院から出ることすら難しい人。そんな人たちの「もう一度あの景色を見たい」「最期はあの場所で死にたい」という人生の最後の最後の願いを聞きそれを叶える。そして、可能な範囲で報酬をいただく。

 もちろん、誰にでもできる仕事ではない。だが本橋にはそれを実現する手段があった。


 依頼はもっぱらクチコミだった。最初は半信半疑だった人も実際に叶ったという話を聞けば考えが変わる。気づけば知人の大学病院や老人ホーム、その手の施設関係者からの問い合わせも増えていた。

 ありがたいことに仕事には困らなかった。


 そして今日も、本橋は最期師としての依頼で都内の病院を訪れていた。


 静かな個室。ベッドの上には老人が横たわっている。その隣には背筋を伸ばして椅子に座る老婦人。二人とも七十歳をとうに過ぎている。今回の依頼人は奥さんだった。

 ご主人は末期がん。すでに手の(ほどこ)しようがない状態だという。病院としても「最期はご自宅でも」という話は出ていたらしいが、今の体では移動だけでも大変だ。結局、入院を続けている状態だった。

 ただ一つだけご主人の希望があった。


 熱海に行きたい。

 どうせなら熱海で死にたい。


 熱海は夫婦にとって思い出の場所だった。そのことを主治医に相談すると本橋を紹介された。本橋は奥さんに丁寧に説明し「療養先さえ見つけていただければ必ずお連れします」とほほ笑んだ。

 奥さんは本橋を信じ、いろいろと伝手(つて)を辿ってようやく見つけたのが安価で長期滞在も可能だという民泊。


 そこへ連れて行く。

 意識のあるうちに。

 今日はその当日。


 退院の手続きなどはもう全て済んでいてあとは移動するだけ。行き先の民泊は海に面したとても素敵な場所で、窓いっぱいに広がる海。穏やかな水平線が見える。


「この時期の熱海はいいですよ」


 本橋は穏やかに言った。


「窓から海を見て、波の音を聞いているだけでも……ご主人にとってはいいことでしょう」


 奥さんは小さく笑った。


「そうですね……二人での初めての旅行が熱海だったんです」


 少しの会話のあと、本橋は言った。


「この後少し準備をして……午後にはお連れできると思います」


 奥さんは深く頭を下げた。


「よろしくお願いします」


 そう言って病室を出ていく。奥さんには一人で熱海へ向かってもらうことになっていた。


 病室に残ったのは本橋とベッドで眠るご主人だけだった。

 本橋は椅子に腰掛け、そして目を閉じる。

 声には出さない。けれど意識の奥に向かって呼びかけた。


(渉くん、渉くん。こちら準備OKです)


 病室の空気は何かを待つような静寂だった。


第二章はこんな感じで始めようと思います。

いつも読んでいただきありがとうございます。


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