(25)渉の発現
ピザを食べ終えると自然とみんな立ち上がった。
「よし、片付けようか」
仁が箱を重ねる。翼と詩が皿を運び凛がテーブルを拭く。忠史も慌てて立ち上がった。
「あ、僕もやります」
「ありがとう」
富美代が笑顔で言う。
シンクの前では軽い会話が続き、さっきまでの重い話が少し遠くなったような空気だった。数分で片付けは終わりみんな再びリビングへ戻る。
ソファに座ると富美代がキッチンから声をかけた。
「コーヒー入れますね」
やがて香ばしい香りが部屋に広がる。湯気の立つカップがテーブルに並べられた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
忠史はカップを両手で持ちながら小さく息をついた。
仁もソファに腰を下ろし頭をかいた。
「えっと……どこまで話したんだっけ」
忠史がすぐに答える。
「あ、渉さんが“端が掴めた”って言ったところで」
「ああ、そうそう」
仁はうなずいた。
「そこだね」
コーヒーを一口飲み少しだけ表情が引き締まる。
「その前に……というか、その時の状況なんだけど……」
少し間を置く。
「渉のお父さん……まひと様がね……一週間くらい帰ってきてなかったんだ」
忠史が思わず眉を上げる。
「一週間……」
仁はうなずく。
「二、三日帰らないことはたまにあった。でもね」
テーブルを指先で軽く叩く。
「村はまひと様がいないと何かと成り立たない。そんなに長く戻らないことは、まずないんだ」
仁は続ける。
「そもそも一瞬で戻れるわけだしね」
リビングが静まり返る。
「で、そんな時に」
仁はゆっくり言った。
「渉が“掴めた”って言ったんだ」
忠史も子どもたちも黙って聞いている。
仁は当時を思い出すように目を細めた。
「僕も隣で練習してたからさ。一瞬何を言ってるのか分からなくなった」
右手を軽く動かす。
「でもすぐに言ったんだ」
仁は少し声を強めた。
「まだだ! まだ捲るなよ!って」
凛も翼も詩も、息をのむように聞いている。
仁は続けた。
「そう言って僕はすぐ目をぎゅっと閉じた」
リビングが完全に静まり返る。
「それでね」
仁は当時の声を再現するように言った。
「目をつぶったまま“よし、捲っていいよ”って言ったんだ」
誰も動かない。
忠史の喉が小さく鳴る。
ごくり。
仁は静かに続けた。
「しばらくそのまま目を閉じてた。でも……渉が何も言わないんだ」
「それで」
仁はゆっくり言った。
「恐る恐る少しずつ目を開けた」
間。
「……そしたら」
仁は低く言った。
「渉はもういなかった」
リビングに沈黙が落ちる。
凛も翼も詩も言葉を失っている。
「それからね」
少し視線を下げる。
「十分くらい経ったかな」
静かに言う。
「奥村の家の方から渉が出てきたんだ」
忠史の胸がざわつく。
「でね……」
仁の声が少しだけ揺れる。
「泣いてたんだよ」
詩が小さく息を飲む。
仁は続ける。
「でもね……声は出してない……唇をかみしめて……」
言葉を探す。
「ただただ、泣いてた」
仁は少し視線を遠くに向けた。
「あの時の顔……今でも覚えてる」
静かに言う。
「僕は……何も言えなかった」
仁は小さく息を吐く。
「ただ渉を抱きしめてたんだ」
リビングの全員が黙っている。
誰も口を開かない。
仁は続けた。
「結局、その日はそれで練習をやめて……お互いそのまま家に帰ったんだ」
コーヒーの湯気がゆっくり揺れている。
仁は静かに言う。
「その夜はね……全然眠れなかった」
忠史も自然と身を乗り出していた。
「だって本来ならやったーって、できたーって喜びそうなもんじゃない。だから、渉の涙の意味も分からなかったし」
仁は指を組む。
「それに」
ゆっくり続ける。
「渉が捲れたってことは渉のお父さんは?」
「まひと様はどうなったんだ?」
「これからどうなるんだ?」
リビングに重たい沈黙が広がる。
「もし、これからのまひと様が渉だとしてもまだ十歳。小学四年生の子どもだ」
「いったいどうなるんだろう」
視線を落とす。
「そんなことばっかり考えてた」
そして小さく息をついた。
「……眠れなかったんだよ」




