(5-31)ただいま
帰りの車の中、樹はとにかく興奮していた。
「すごかったんだよ!」
助手席の後ろから身を乗り出し、両手を大きく広げる。
「ぐおーって! 玉がね、ずぼーって入って!」
さらに腕を振り回しながら、
「それでグワーッって! 木とか草がバーッて!」
言葉よりも身振り手振りの方が大きい。
何度も同じことを繰り返し、時々立ち上がりそうになるたびに美樹が笑いながら「危ない危ない」と肩を押さえる。
「ごめん、いっちゃん。全然わかんない」
美樹は苦笑した。
「本当にすごかったんだよ! みんなすごいんだよ!」
「うん、それだけは伝わる。何かとんでもないことがあったんだろうなって」
浩子も運転しながら笑う。
樹は満足そうにうなずいた。
忠史は窓の外を眺めながら、そのやり取りを聞いていた。
あの光。
あの声。
木々が自ら場所を空け始めた光景。
どれをどう説明すればいいのか自分でもまだ整理がついていなかった。
(あとでゆっくり話そう)
そう思うしかなかった。
やがて車は倉敷市街へ戻り、駅近くの人通りのある場所までやってきた。
「お母さん、この辺で止めて」
忠史が言う。
「ここで降りて樹を送ってくる」
浩子は少しだけ驚いたように二人を見たが、何も聞かなかった。
「わかった。気をつけてね」
美樹も笑顔で言う。
「いっちゃんありがとうね。また遊ぼうね」
忠史と樹は車を降り、車が見えなくなるまで手を振った。
やがて二人は駅前の通りを少し歩き、人目の少ない路地へ入る。周囲を確認し、忠史は静かに意識を集中させた。
すでに身体は覚えていた。
一枚の景色の端をそっと摘まむように。
――捲る。
次の瞬間、二人は奥袴狭の静かな空気の中に立っていた。
夕方が近づいた山の村は、どこか一日の終わりを迎える穏やかさに包まれていた。
「ただいまー!」
樹が元気よく中村家へ駆け込んでいく。
玄関の奥から由紀とハジメが顔を出した。
「おかえり!」
「おかえりなさい」
「ただいま戻りました」
忠史も一礼する。
「どうぞ、入って入って」
由紀がにこやかに促した。
リビングへ通されると、温かいお茶の香りが漂っていた。
「どうでしたか? 樹は役に立ちましたか?」
ハジメが静かに尋ねる。
忠史が答えようと口を開いた、その瞬間だった。
「すごかったんだよ! ぐおーって!」
樹が割って入る。
「玉がずぼーって入って! それでグワーッって! ねっ、忠史くん!」
忠史は思わず笑った。
「あ、うん。本当にすごかったです」
少し真面目な表情になって続ける。
「樹が一緒にいてくれて本当に助かりました」
「そうでしたか。それはぜひ詳しく聞きたいですね」
ハジメは穏やかにうなずく。
「はい」
忠史は一呼吸置いた。
「その前に……渉さんにも声をかけていいですか? 一緒に聞いてほしくて」
ハジメはすぐにうなずいた。
「ええ、もちろんです」
忠史は目を閉じ、静かに意識を渉へ向ける。
(渉さん、聞こえますか?)
少し間を置いて言葉を送る。
(岡山での山の状況をお伝えしたいです)
すぐに返事が返ってきた。
⦅わかりました。すぐ伺います⦆
忠史が目を開ける。
「渉さん、来てくれるそうです」
その言葉から数分も経たないうちに玄関の戸が開いた。
「こんにちは」
渉だった。
その後ろにはヒサ子、そして環の姿もある。
「こんにちわ」
「お邪魔します」
真庭で起きた出来事を語るための時間が、これから始まろうとしていた。




