(5-30)楽しかったー!
一方その頃。
林道脇に停めた車の中では、浩子と美樹が静かに二人の帰りを待っていた。
最初のうちは、それほど心配していたわけではない。
「山に詳しいって言ってたしね」
「何か面白いものでも見つけてくるかな」
そんなふうに、少し心配しながらもどこか遠足に出かけた子どもを待つような気持ちで話していた。だが、時間が経つにつれて、その空気は少しずつ変わっていった。車の時計は既に午後二時を回っていた。
「……さすがに遅くない?」
美樹が窓の外を見たまま言った。
山は相変わらず静かだった。木々が揺れる音だけが時おり聞こえてくる。
「そうよねぇ……」
浩子も同じ方向を見つめた。
「樹くん、山に詳しいとは言ってもまだ小学生だし……」
「お兄ちゃんもさ、方向音痴ではないけど山は別だもんね」
美樹は苦笑しようとしたがうまく笑えなかった。
「ちょっと電話してみる」
そう言ってスマートフォンを取り出し、忠史の番号を呼び出す。
しかし画面には無情にも「圏外」の文字が表示された。
「あ……圏外だ」
「え?」
浩子も慌てて自分のスマートフォンを取り出す。
画面を確認して、小さく息をついた。
「本当だわ……」
「けっこう山の中まで来たから電波が届かないんだ」
美樹はスマホを握ったまま窓の外を見た。
「じゃあ……このまま待つしかないわね……」
浩子はゆっくりと言った。
「でも、待つって言っても限度があるよね。もう一時間以上経ってるし……」
美樹の声には焦りが混じっていた。
「もし転んだとか道に迷ったとかだったら……」
浩子もその想像を打ち消せなかった。
「もう少し待って、それでも戻らなかったら私たちも山に入ろうか」
「でも、私たちが入って迷ったらもっと大変じゃない?」
「そうか、そうよねぇ……」
「こういう時って、どこに連絡するんだっけ」
「警察? それとも消防?」
「山だから遭難ってことになるのかな……」
二人とも答えを知らなかった。
不安だけが少しずつ膨らんでいく。
話しながらも、視線はずっと二人が入っていった山の方へ向けられていた。
林道は静まり返っている。
車も通らない。
鳥の声さえ、いつの間にか聞こえなくなっていた。
その時だった。
バックミラーの中にふわりと白いものが映った。
浩子は一瞬だけ視線をミラーへ向ける。
(あれ?)
車の後方に、白い靄のようなものが立ちのぼっている。
朝霧にしては不自然なほど局所的だ。
だが、特に気にせずやはり山の方に視線を戻してしまう。
すると、車の後方から声が聞こえた。
「ただいまー!」
二人が同時に振り向く。
そこには忠史と樹が立っていた。
「ええっ!」
美樹が思わず声を上げ車を出る。
「お兄ちゃん!?」
浩子も慌ててドアを開けて車を降りた。
樹はそのまま駆け寄ると、美樹の足へぎゅっと抱きついた。
「ただいまー! 楽しかったー!」
そして顔を上げ、満面の笑みで言った。
「もう、びっくりしたよ!」
美樹はしゃがみ込んで樹の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「心配したんだから」
「そうなの!? すごかったんだよ!」
樹は悪びれる様子もなくにこにこと笑っていた。
浩子も車から降りて忠史のところへ歩み寄る。
「もう……無事でよかった」
そう言いながら、そっと忠史の肩へ手を置いた。
その一言に、忠史は胸が熱くなった。
「ごめん。思ったより奥まで行っちゃって」
「いいのよ。無事に帰ってきたんだから」
浩子はほっとしたように笑う。
美樹も樹の手を握ったまま立ち上がり、四人はしばらくその場で顔を見合わせて笑った。
冬の山の空気は冷たかったが、その小さな林道は家族のようなあたたかさが満ちていた。




