(5-11)僕の村と一緒
少しだけ場の空気が落ち着いたところで、浩子は少し気になっていたことを口にした。
「樹くんのご両親は、忠史と一緒にうちへ来ていることちゃんと知ってるのよね?」
幼い子どもを預かる以上、それだけは確認しておきたかった。
忠史はすぐにうなずく。
「あ、うん。もちろん」
安心させるように笑って続けた。
「樹のお父さんもお母さんもよく知ってるし、すごくお世話になってるんだ」
「そう」
浩子も少し安心したようだった。
「出石の山奥っていうくらいだから……農家さんなの?」
「あ、いや。お父さんは作家さんなんだ」
忠史は首を横に振る。
「へぇ」
「中村ハジメっていう人」
「え?」
その名前に、美樹がぴくりと反応した。
「ちょ、ちょっと待って。なんか……その名前、聞いたことある」
眉を寄せながら記憶をたどる。
すぐにスマートフォンを取り出し検索を始めた。
「えっと……」
数秒後。
「あっ、あった!」
画面を皆に向ける。
「この人?」
そこには、中村ハジメのプロフィール写真が表示されていた。
樹は嬉しそうに画面を覗き込む。
「あ、パパ! これパパだよ」
にこっと笑う。
「やっぱり!」
美樹が少し興奮気味になる。
「この人、ネットドラマの脚本も書いてる人じゃない?」
画面をスクロールしながら説明する。
「小説が映像化されて、配信ドラマで結構話題になったんだよ」
美樹の説明に、樹は誇らしそうに胸を張った。
「うん! 前もパパと一緒に東京の大きいビル行ったよ!」
その様子を見て、忠史は思わず苦笑した。
「そんな有名な人だったんだ……」
今さらながら驚く。
考えてみれば、調べようと思えばいつでも調べられた。けれど、そんな発想すら浮かばなかった。忠史にとって中村ハジメは有名な作家ではなく、奥袴狭で温かく迎えてくれた"樹のお父さん"だったからだ。
「え? 何、お兄ちゃん、知らないまま付き合ってたの?」
美樹は思わず笑ってしまう。
「うん……」
「それはそれですごいよ」
くすくす笑いながら言う。
「私だったら絶対検索してる」
「いや、小説家だってことは聞いてたんだけど……」
忠史が言いかけると美樹が続けた。
「そうそうこの人、小説ももちろん有名だけどドラマになった作品で一気に知名度が上がったんだよ」
「へぇ……」
忠史は素直に感心する。
そんな和やかな空気が流れていたその時だった。
樹がふいに立ち上がり、隣の襖の前まで歩いて行く。
「こっちもお部屋?」
忠史を振り返る。
「見ていい?」
「うん、いいよ。特に変わったものは置いてないけど」
忠史は笑う。
樹は嬉しそうに襖を開けた。そこは忠史が寝起きしている和室だった。
畳の匂い。
差し込む朝の光。
布団はすでに片付けられている。
樹は興味津々に部屋の中を見回した。
仏壇。
机。
壁に掛かったカレンダー。
そして――。
仏壇の隣、和箪笥の上に置かれた黒い玉。
その瞬間だった。
「あ!」
樹が思わず声を上げた。その声色は、さっきまでとは明らかに違っていた。
居間にいた三人も一斉に振り向く。
「え?」
忠史はすぐに和室へ入る。
「どうした? 何かあった?」
樹は黒い玉をじっと見つめたまま小さく指をさした。
「忠史くん、あれ取って」
「ああ、この黒い玉ね」
忠史は和箪笥の前まで歩き、両手でそっと玉を持ち上げる。
見た目以上にずっしりと重い。
「ちょっと重いから、気を付けてね」
そう言ってゆっくり樹へ手渡した。
樹は両手で大事そうに受け取る。
しばらく何も言わない。玉の表面をゆっくり眺め、指先でそっとなでる。まるで何かを確かめるように。
部屋は静まり返っていた。
誰も声を掛けられない。
やがて樹は小さく息を吐き、ぽつりとつぶやいた。
「これ……僕の村と一緒」
そう言って顔を上げた。
その表情には、驚きとも懐かしさともつかない色が浮かんでいた。




