(5-9)遠藤家
午前九時前。
遠藤家の庭先に小さな靄がふわりと立ちのぼった。
それは春霞のように淡く揺らめき、一瞬だけ空気がゆがんだように見える。
次の瞬間、その中から忠史と樹が並んで姿を現した。
「わー!」
樹は目を輝かせながら辺りを見回した。
「ここが忠史くんチ?」
「そう」
忠史は笑いながらうなずく。
「お父さんはもう亡くなってて、お母さんと妹がいるんだ」
「そうなの」
樹は素直にうなずくと、玄関先に並んだ植木鉢や庭木を興味深そうに眺め始めた。
「ただいまー」
忠史が玄関を開ける。
「おかえりー」
奥から浩子の明るい声が返ってきた。
その直後だった。
「おめでとーございます!」
元気いっぱいの声が玄関に響く。
「おはよー……あ? こんにちは?」
自分でもどちらなのかわからなくなったのか樹は首をかしげる。
その声に、浩子と美樹がそろって廊下へ顔を出した。
「あら?」
「え?」
見慣れない男の子がにこにこと立っている。
美樹が出てきてしゃがみ込んで目線を合わせた。
「おはよう。何くんって言うの?」
「ぼく、中村樹! いっちゃんだよ!」
胸を張って答える。
「あはは」
美樹が笑う。
「いっちゃん、いらっしゃい。どうぞ上がって」
浩子も笑顔で迎えた。
「寒かったでしょう」
二人とも、ごく自然に考えていた。
――忠史のお友達は子連れで来たんだな。
そう思えば、この状況にも説明がつく。
樹は元気よく靴を脱ぐと、そのまま居間へ入っていった。
「へぇー」
興味津々といった様子で部屋の中を見回す。
キャビネット。
本棚。
壁に飾られた家族写真。
「忠史くん、小さい!」
写真の中の忠史を見つけて声を上げる。
「え? 何? 写真見てるの? それは見なくていい」
忠史が玄関で靴を揃えながら声をあげる。
浩子は樹の様子を微笑ましく眺めながら冷蔵庫へ向かった。
「麦茶でいい?」
「うん!」
樹は元気よく返事をする。
冷たい麦茶を受け取ると「ありがと」と両手でコップを持った。
少し遅れて忠史も居間へ入ってくる。
「外、いい天気だよ」
窓の外を見ながら言う。
「雨だったら外へ行く気も半減だもんね」
美樹が笑って答える。
そして、浩子が何気なく玄関の方を見る。
誰も来ない。
少し待つ。
やはり誰も入ってこない。
忠史は何事もなかったように麦茶を飲んでいる。
樹も、ごく普通に麦茶を飲んでいる。
静かな時間だけが流れた。
浩子と美樹はそっと顔を見合わせる。
(……あれ?)
(お友達は?)
二人とも同じ疑問を抱いていた。




