(5-6)一月一日
翌朝、一月一日。
忠史は驚くほどすっきりと目を覚ました。
布団の中でゆっくりと目を開き、しばらく天井を見つめる。
昨夜は能力が発現し、そのまま奥袴狭へ捲り、渉たちと新年の挨拶もできた。興奮してほとんど眠れないかもしれないと思っていたが、そんな心配はまったくの杞憂だった。
体は軽い。
頭も冴えている。
胸いっぱいに息を吸い込むと、体の隅々まで新鮮な空気が巡っていくような感覚があった。
(遅い時間まで起きてたのにな……)
布団から起き上がり肩を回してみる。疲れどころかむしろ普段より調子がいい。
(奥袴狭で朝を迎えた時と同じだ)
あの村で目覚める朝は不思議なくらい体が整っていた。ぐっすり眠った翌朝とも少し違う。体だけではなく、心まで静かに整えられているような感覚。それが今日は自宅の和室でもはっきりと感じられた。
着替えを済ませて居間へ向かうと台所から味噌汁の香りが漂ってきた。
キッチンでは、浩子が朝食の支度を進めている。包丁の軽やかな音が、正月の静かな朝によく響いていた。
「おはよう。よく眠れた?」
振り返った浩子が笑顔を向ける。
「おはよう」
忠史も自然と笑みを返した。
「うん。調子いいよ。なんか体が軽い」
「そう。それなら良かった」
浩子はほっとしたように微笑み、再び鍋へ向き直った。
ほどなくして、二階から足音が聞こえてくる。
「あ~……」
眠そうな声とともに、美樹があくびをしながら階段を下りてきた。
「おはよー」
まだ半分眠ったような顔で椅子に腰を下ろす。
「二人とも早くない? まだ眠いよ……」
そう言って大きく伸びをすると、寝癖のついた髪がぴょこんと跳ねた。
忠史と浩子が思わず笑う。
三人そろって「いただきます」と手を合わせる。
焼き魚に玉子焼き、味噌汁、おせちの残り。いつもと少しだけ違う正月の朝食だった。
他愛のない話をしながら箸を進める。
「今日は初詣に行って……」
美樹が味噌汁をすすりながら言う。
「そのあと山?」
「そうね」
浩子がうなずく。
「せっかく忠史が帰ってきてるんだし、今のうちに行けそうなところは見ておきたいのよね」
昨日見た山はどうも違った。
見た瞬間に「ここじゃない」と感じた。その感覚だけはなぜかはっきりしていた。
忠史は箸を止める。
昨夜、奥袴狭で交わした会話が頭をよぎる。
――山だったら、樹がいた方がいいかもしれませんね。
――明日、中村さんにも樹にも話をしておきます。
少し迷った。
どう説明すれば自然だろう。
考えながら、ご飯を一口食べる。
そして意を決したように口を開いた。
「何時頃出る?」
「そうね……」
浩子は時計を見た。
「九時頃に出ようか」
「じゃあ……」
忠史はできるだけ何気ない口調を心掛ける。
「ちょっと山に詳しい友人を思い出したんだけど、誘ってもいいかな?」
「え? そうなの? そんな人いたの?」
浩子が目を丸くする。
「え?」
今度は美樹が驚く番だった。
「東京の人じゃなくて近くにいるの? 地元の友達とか?」
「あ、いや……」
忠史は苦笑する。
「地元じゃないんだけど……まあ、来られるかどうかわからないし。でも、もし来られるなら一緒でもいいよね?」
浩子は少し考えてからうなずいた。
「うん。山に詳しい人なら一緒に見てもらえたら安心かな」
「だよね」
美樹も納得したようにうなずく。
忠史は胸をなで下ろした。これ以上質問されると困るところだった。
朝食を終え、食器を流しへ運ぶ。
そして玄関で靴を履きながら振り返った。
「九時までには戻るから」
「はーい」
「気を付けてね」
浩子と美樹に見送られ、忠史は家を出た。
冬の朝の空気は澄み切っていた。
近所にはまだ人気も少ない。
忠史は家の裏手へ回り、目を閉じて渉へ意識を飛ばす。
(渉さん、おはようございます。聞こえますか?)
⦅遠藤さん、おはようございます。こちらいつでも大丈夫です⦆
(わかりました。今から向かいます)
忠史は人目がないことを確かめ、深く息を吸う。
昨夜と同じ感覚を思い出す。
空間の縁へ、そっと指先を触れるように意識を向けた。
――捲る。
目の前の景色が一枚の絵のように静かにめくれ落ちる。
その向こうには、見慣れた奥袴狭の朝が広がっていた。
忠史は迷うことなく、一歩を踏み出した。




