(5-1)奥袴狭の新年
十二月三十一日、奥袴狭。
山々に囲まれた奥村は、淡い光に包まれながら静かに新年を迎えようとしていた。
冬の夜気は冷たかったが不思議と刺すような寒さではない。村を囲む山の木々や谷間を漂う白い靄までもが、柔らかな光を受けてぼんやりと輪郭を浮かべている。遠くでは沢のせせらぎが聞こえ、その向こうからは風が木々を揺らす音が微かに混じっていた。
普段なら静かな夜の奥村も今夜ばかりは少しだけ賑やかだった。
いつも渉が過ごしている広い二十畳の和室に村中の家族が集まっていた。園じいと園ばあ、中村家、そして東京から来ていた奥園仁の家族。本橋の姿もある。
大小いくつもの座卓が並べられ、その上には年越しの料理が所狭しと並んでいた。煮物や漬物、山菜料理、手作りの蕎麦、湯気を立てる汁物、果物、酒やお茶。食べ終えた皿が空けばまた新しい料理が置かれ、誰かが箸を伸ばし誰かが笑う。
この一年に起きた出来事を、それぞれが好き勝手に話していた。
「そういや夏のあれは驚いたなあ」
「いや、あれは驚くどころじゃなかったですよ」
「本橋さん、その時絶対笑ってましたよね」
「いやいや、笑ってないですよ」
そんな言葉があちこちから飛ぶたびに小さな笑いが広がる。
子どもたちはさすがに限界だった。
翼に詩、それから樹は、少し前に別の部屋へ運ばれて今はもうぐっすり眠っている。
中学生の凛だけは何とか起きていた。眠そうな目を何度もこすりながら、大人たちの輪から置いていかれまいとしている。
「凛、寝ていいんだぞ」
園じいが言う。
「まだ平気」
そう言った直後、大きな欠伸をしていた。
今夜の話題の中心は、自然と二人に集まっていた。
まずは何と言っても遠藤忠史。
自力で初めてこの村へ辿り着いた人物。そして夏の一か月間、この村で皆と一緒に暮らした仲間だった。
そしてもう一人。
大村環。
本橋の最期師としての仕事をきっかけに、偶然にも渉の能力を知ってしまった女性。そして、兄の芽生を助けてもらったことをきっかけに、自分の生き方を見つめ直し会社を辞めてこの村へ来た。
村始まって以来と言っていいほどの大きな出来事だった。
この小さな村に、外から誰かが来ること自体が珍しい。まして、それが二人も続いたのだから。
「忠史くん、次来るの春でしたっけ」
「たぶん春休みには来るでしょ」
「もう来る前提になってるのがいいですね」
中村由紀が笑う。
その横では、話題の中心人物のもう一人である環が、空いた皿を片付けたりお茶のおかわりを入れたりと忙しく動いていた。
本人は会話に加わっているつもりなのだろうが、気が付けば誰かの世話をしている。
「あ、環さん、座ってくださいよ」
仁が言う。
「いえ、大丈夫です」
「さっきから全然大丈夫じゃないですよ」
富美代も笑う。
「私、環さんが来てくれて本当に良かった」
由紀が湯呑みを持ちながら言った。
「渉さんより私の方が嬉しいかもしれない」
渉が少しだけ眉を上げる。
「やっぱり若い女子がいてくれるといろんな話しができますし……」
するとヒサ子がおどけて遮る。
「あたしだってまだまだ若いけどね」
部屋の中に笑い声が広がった。
環は少し困ったように笑いながら、小さく頭を下げた。
その時だった。
「あ、そろそろ新年ですよ」
仁が時計を見て言った。
「あと一分切りました」
すると、不思議なほど自然に会話が止まった。
誰から言われたわけでもない。けれど皆、静かに姿勢を正した。
テレビはない。
ラジオもない。
秒針の音さえ聞こえない。
聞こえるのは遠くの沢のせせらぎと、時折鳴る木々の揺れる音だけだった。
しばらく静寂が続いた。
そして。
渉が静かに口を開いた。
「あけましておめでとうございます」
一瞬遅れて、部屋の空気が柔らかくほどけた。
「あけましておめでとうございます」
「あけましておめでとう」
「今年もよろしく」
「こちらこそよろしく」
「はい、こちらこそお願いします」
笑いながら言葉が重なっていく。
外では相変わらず、淡い光が静かに村を包んでいた。
明るく、穏やかな年明けだった。
誰もまだ、この新しい一年が何を運んでくるのか知らなかった。




