(4-19)吉岡の前で2
靄の中から現れた渉は、静かな表情のまま忠史へ視線を向けた。
「こんにちは、渉さん」
忠史はそう挨拶を返したが、その直後に思い出したように隣を振り返る。
吉岡はまだ固まったままの状態で、まさしくまったく理解が追いついていない顔だった。
忠史は少し困ったように頭を掻く。
「えっと……こっちは友人の吉岡で……能力のことも、奥袴狭のことも話してて……今日はたまたま捲る練習を見に来てたんです」
渉は静かに吉岡へ視線を向けた。
その目は穏やかで、人を警戒させるような雰囲気はまったくない。
「そうでしたか」
渉は軽く頭を下げる。
「吉岡さん、はじめまして。こんにちは」
「……ぁ……」
吉岡の喉がかすかに鳴った。
返事をしようとしているが言葉にならないようだった。
目の前で人が現れた。
何も無い空間から。
頭では理解不能な状況だが、現実として目の前に人が存在している。
吉岡はまったく状況を整理できないものの、それでも何とか小さく会釈した。
渉はそんな吉岡を見ても特に気にした様子はなかった。
むしろ慣れているようですらあった。
忠史はそんな二人を交互に見てから渉へ向き直った。
「もう、すぐ行きますよね?」
「はい」
渉は短く頷いた。
「本橋さんも待っています」
その言葉に忠史の胸が少しだけ引き締まる。
(やはり何かが起きている)
忠史は吉岡の方へ向き直った。
「じゃ吉岡……オレ、ちょっと行ってくるから」
吉岡はまだ放心状態だったが目は合った。
「たぶん……何かあったらまた帰ってきた時に話すよ」
「……」
数秒遅れて、ようやく小さく頷く。
口はまだまともに動いていなかった。
忠史は少しだけ苦笑する。
(無理もない)
自分だって最初はもっと混乱した。そう思いながらベンチへ向かい、置いていたリュックを肩に担いだ。
そしてそのまま渉の隣へ歩み寄った。
秋の終わりの風が吹く。
木々がざわめく。
神田川の流れる音が小さく聞こえる。
見慣れた東京の公園。その景色の中に渉だけがどこか異質だったが不思議と浮いてはいない。まるで最初からこの世界のどこかに存在していた人間のように自然にそこへ立っていた。
忠史は渉の肩へ手を置いた。
「じゃ渉さん、お願いします」
忠史は静かに目を閉じる。
空気が変わり、世界が少し遠くなるような感覚。
渉が右手を静かに持ち上げた。
――捲る。
その動作は驚くほど自然だった。
本当に紙を一枚めくるような何気ない仕草。
景色が揺らぎ空間に薄い靄が広がり、二人の輪郭が曖昧になる。
そして、忠史と渉の姿がその靄の中へゆっくり溶け込んでいく。
「……っ」
吉岡は息を呑んだ。
目の前で人が消える。
テレビでも映像でもない。
現実。
ほんの数秒。
そして。
二人の姿は完全に消えていた。
神田川の音。
夕方の風。
落ち葉。
あずまや。
何も変わっていないいつもの公園。なのに、決定的に何かが違ってしまった気がした。
吉岡はベンチに座ったまま動けなかった。
口も開いたまま。
頭の中が真っ白だった。
公園に一人残された吉岡は、茫然としたまましばらく動けなかった。




