第3夜 驚くほど頑丈な男
「何してるんですか……」
まさかの行動に緑の目を見張るが、髭面の男は何食わぬ顔で部屋の中へ入り込む。
後ろにいた三人の屈強な男たちもぞろぞろと小屋の中へ入ってきた。
「まさか、お前、懸賞金を独り占めしようとしてんじゃねえだろうな」
「何の話ですか?」
「惚けるなよ、その姫さんに懸けられた懸賞金は百億ダルカだ」
「ひゃ、百億!?」
今まで聞いたことが無い程の金額に意識が一瞬飛びかける。
百億ダルカなど、一生盗みをしてそれを売りに出しても絶対に手に入らない。まともに生きていても、普通に仕事をしていても稼げない。スラム育ちの自分からすれば天文学的な数値だ。
「同じ職業のよしみで、そのうち憲兵からも怪しまれるだろうお前の所に前もって来てやったんだ。何か隠してるんなら、早めに吐いた方が身のためだぜ」
髭面の男は意地の悪い笑顔を浮かべてウリの肩に腕を回す。
同じ仕事。それは、この髭面の男とウリが普段日銭を稼いでいる裏家業の事だ。
普段陽の目に浴びることのない者たちが、何とか食い扶持を繋ぐために時折手を汚す仕事、それは、命を奪いたい相手がいる場合、正規の手続きを踏まないでその願いを聞き届けられる、暗殺業だった。
そもそも暗殺業も違法なため、憲兵に見つかれば自身の命すらも危うい。
(…この人は、俺が何かを隠していると分かっているんだ)
ウリは下を向いて息を呑む。
隠しているわけではないが、隠さなければいけない気がしていた。
「おい、親方!なんかいるぞ!」
部屋に入り込んでいた三人の男のうちの一人が、そう叫んだ。
その声に髭面の男も、そうしてウリも顔を上げた。
あの女の子は扉の位置からは見えない場所にいた筈だが、部屋に入ってきてしまえば直ぐに気付かれるだろう。
案の定、声を上げた男は端切れにくるまれて壁にもたれ掛かる女の子を指さしていた。
(………あれ)
――あんな場所にいたっけ…。
ふと小さな違和感が脳裏に浮かぶ中、肩に腕を回していた髭面の男が「でかした!」と言い、ウリを弾き飛ばしてそちらへと向かっていく。
「いって……」
思わずよろけるが、そんなことをしている場合では無かった。
ウリは、自分より三倍も大きな男に突き飛ばされ、尻餅をつきそうになったところを何とか踏ん張る。そして、端切れにくるまれ顔が見えなくなっている女の子に向かう髭面の男の腕を、掴んだ。
「あ?何のつもりだ」
「それは俺の妹ですから、止めて下さい」
「はあ? お前は孤児だろ。妹などいたなんて、初めて聞いたけどなあ」
「……身体が弱くて、この小屋にずっといたので」
いかにも厳しい言い訳でしかないのだが、今はこれしか言えなかった。
勿論、こんなの嘘だし、髭面の男もそんなことは分かっている。
――俺は天涯孤独で、家族なんてもう一人も生きちゃいない。
髭面の男は馬鹿にするような黒目をこちらに向けた。
「何を隠している。お前、その行為が何を示すのか分かっているのか。これが姫さんだった場合、お前は反乱者と見做されるぞ」
「俺の妹、なので」
「はあ、聞き分けの悪いガキだな。お前がそんな奴だとは思わなかったよ。いつも卒なく仕事を熟す、優秀な新入りだと思っていたんだがなあ。 ……残念だ」
その声と共に、ウリを囲むようにして構えていた屈強な三人の男が、一斉に殴り掛かってくる。
まだ未成年の少年対し、殴り掛かってきた三人の男はもう立派な大人だ。体格も全然違うし、踏み込みの重さも桁違いだ。
一溜りもない。
あちこちが折れるような音が縦横無尽に小屋の中に響き渡る。
男たちからの拳を、ウリは黙って全て受け続けた。
スラムに生きる人間など、明日を生きる保証など無い。
この少年がこの小屋で野垂れ死んだところで、悲しむものなど誰もいないのだ。
髭面の男は憐みとも愉しみとも取れる、どちらにも見えるような目の光を自分より下にいる少年の顔へと向けていた。
しかし、その余裕は段々と剥がれ落ちていく。
「な、なんだこいつ…」
「お、親方、このガキ……」
「全然くたばらねぇです……!」
「…………何をしている」
髭面の男の、体毛で覆われた大木のような腕を掴んだまま、四方八方から向けられる拳の数々を全て受け切っても尚、ウリは一切その場を動かなかった。
三人の男たちは、その異様な光景に思わず泣き言を漏らす。
まるで、そこにある岩をずっと殴り続けているような気分だった。
ウリはうんともすんとも言わない。
大の大人が気絶してしまう程の殴打を受け続けているというのに、ウリは真っ直ぐに緑の目を髭面の男へ向けたままだった。
あまりにも異様すぎる光景に、殴り続けていた男たちの方が三人とも腰が引けている。
まるで、蛇に睨まれた蛙のような心持だ。嫌な恐怖心が首をもたげそうになる前に、それを振り払うが如く髭面の男はぐっと奥歯を嚙み締めた。
「なんだよ、くそっ……!」
髭面の男はウリの腕を掴み、そのまま自分の腕から外して床に叩きつけた。
思ったよりも軽く腕から離れ、大きな音を立ててウリは床に打ち付けられる。
あまりの衝撃に小屋全体がみしみしと音を立て、周りで見ていた男たちは思わず息を呑む。
これでは、生きてすらいないだろう。
「………ふん、ガキが。俺に楯突くからこうなる」
肩で息をしながら、地面に叩き付けられた黒髪の少年を見下ろした。
このガキの事はよく知らなかった。
数日前に家の戸を叩いてきて、雇ってほしいと言われたのだ。
暗殺業には向いてなさそうな貧弱な見た目をしていたが、相打ちになってもこちらとしては良いし、そこで死んだところで何も損はない。人手が足りなかったから何も考えずに雇ったのだが、予想に反してこのガキは次々に仕事を片付けていった。
その仕事ぶりは実際に目にしたことは無かったが、黙々と仕事を完遂し、短時間で対象を始末する様はどこか恐ろしさすら抱かれていた。
『…親方、なんだよあのガキ』
『あ?』
三日前、部下の一人が怯えた顔をして話しかけてきた。
『…西地区のあいつだよ、緑の目した』
『新入りだよ。この前夜中に雇ってほしいって言って来たから雇ったんだ。不気味な奴だが仕事は出来る』
『不気味ってもんじゃねえだろ、あれは……』
部下は完全に怯えた顔をしていた。
それはまるで、化け物でも目にしたかのような目をしていた。
『……あいつ、自分の三倍以上もある大男の頭を引き摺って、顔色一つ変えずに、傷一つも付けずに何ともねえ顔で歩いてたぞ』
『そりゃあ、相当腕が良いんだろうよ』
『良いとかいう話じゃねえよ!切り傷や殴り跡一つついちゃいねえんだぞ! 引き摺ってたのは〝鉄球使いのアリー〟だ! ……そんなの、まともじゃねぇって…!』
〝鉄球使いのアリー〟は、ここ最近色んな依頼が来ている、王都の偉い大臣とやらの用心棒だった。あまりの強さにどんな奴でも返り討ちにあってしまい、暫く名前がリストに上がったままだった。
もっと賞金の高い仕事がしたいと言われたので、適当に投げたリストが、まさかそんなSランクのものだったとは。気付きもしなかったが、結果オーライといったところだろう。
顔を真っ青にさせる部下には悪いが、自身はあの緑の目の男の仕事ぶりは見たことが無かった。
なので、そのように怯える理由も、到底理解が出来ない。
強いといったって、そんな奴ここにはごろごろいる。命が掃いて捨てられる場所なのだから、そんなものに一々感慨を持ってなどいない。
『良かったじゃねえか、最近の人手不足と仕事の停滞具合があいつによって助かってんのは事実なんだからよ』
髭面の男はそう言って、適当にあしらった。
あの時の部下の真っ青な顔の意味を、髭面の男はこの時初めて理解した。
殴り飛ばされ、床に叩き付けられた筈の緑の眼の男は、何事も無かったかのようにゆらりとその場に立ち上がり、何食わぬ顔でこちらを見つめていたのだ。
「ひい……」
「な、何だこいつ……」
「ば、化け物だ………」
男たちが口々にそう言う。
髭面の男も、その光景には思わず口を閉ざすしかできなかった。
「……殴られれば殴っても問題ないですよね」
異様な空気が小屋の中を満たす。
そんな空気の中をウリの静かな声が響いた。
「…何だって」
生きていくための鉄則。
スラム街で子供たちが守っている約束事。
「殴るなら殴られる覚悟を持て」
それを、ウリは口にしていた。
言葉の重さに思わず怯んだ男たちが、悲鳴を上げて逃げる隙も与えずに、次の瞬間にはその顔面に次々と拳がめり込まれていた。
無駄な動きが一切なく、自分よりも倍以上ある体格の男たちの顔面に、小さい拳がめり込む。
拳の面積は小さいのに、殴られた男たちはそのまま小屋の壁に吹き飛び、木の壁に打ち付けられたり近くの樽に打ち付けられたりして、そのまま気を失っていった。
あっという間の出来事だった。
三人がかりでも気を失わせることすら出来なかったのに、子供一人の手で一撃で大の男三人をのしてしまった。
髭面の男はその光景に呆気にとられる。
「アミルさん。貴方も良いですか」
名を呼ばれた髭面の男はびくりと肩を震わす。
何に対しての了承を得ていようとしているのか、全く訳が分からない。
しかし、その緑の目に見据えられて、髭面の男・アミルは動けなくなっていた。
まるで、床に足が生えてしまったかのようだ。
「………お前、良いのか。俺を殴ればあそこにはいられなくなる。俺はあのスラムの土地を管理しているんだからな」
苦し紛れにアミルはそう言った。
アミルは暗殺者を雇い、裏ルートで届く依頼を暗殺者に渡し裏金を稼ぎながら、スラムの土地を管理している。所謂土地主であった。
その土地主であるアミルに楯突けば、スラムには住めなくなる。それどころか、その身を追われることだってある。
少しだけ動きを止めたウリに、アミルはにやりと笑みを向けた。
このガキが一体どういう人生を送ってきたのかなど知る由もない。なぜここまで頑丈な身体を持っているのか、なぜその貧相な拳一つで屈強な大男を殴り飛ばせる力があるのかなど知ったことではないが、一つだけこのガキを見ていて気付いた事があった。
「良いわけねえよなあ。お前はあそこしかいられる場所がねえんだ。 ……俺は知ってるぞ、お前、ここの出身じゃねえだろ」
「……」
「流れ流れてここまで来た。それが知られればお前は元の場所に逆戻りだ」
「……」
「戦争なんて嫌だよなあ、辛いよなあ。分かるぜえ」
長年の勘で出した答えだったが、どうやらビンゴだったようだ。
それまで底知れぬ恐怖の色を纏っていたウリの様子が少しずつ変わっていく。
声が、頭の中に木霊した。
『痛い、痛いよぉ…兄ちゃん』
『いつになったら終わるの……』
『……母ちゃんはどこ?』
それと同時に、思い出したくもない鮮明な記憶が脳裏にフラッシュバックする。
焼けた硝煙の匂いと血肉の混ざったような臭い。
痛む足を引き摺っていたあの時の記憶と共に、右足が少し重くなる。
「そうだ、思い出しただろう?あの痛みを」
まるで催眠術かのように、アミルの声が脳内に響いていた。
(頭が、割れそうだ…)
ウリは苦悶の表情を浮かべたままその場に立ち尽くしてしまう。
過去の記憶がトラウマのようにこびり付き、思い出してしまうと身体が動かなくなる。
忘れちゃいけない記憶。だけど、忘れたくもなる記憶。ずっと頭の片隅にこびり付いて離れない、泣き叫ぶ子供たちの声と無数の死体の臭いが、鮮明に思い出される。
形勢逆転とばかりにアミルはほくそ笑む。
先程までは得体の知れない何かを目の前にしていたような気持ちで、目の前のこの少年が大変気味が悪かったのに、今では片手で捻り潰せそうに見える。
苦渋に歪んだ顔を見ていると気分が良かった。
(そうだ、お前は俺の駒にしか過ぎない。存在価値のない、虫同然だ。俺に楯突こうなどとするからいけない)
完全に戦意を喪失したウリを前に、アミルは心の中で大声をあげて笑った。
(こいつの心を支配すれば今後もいい駒になる。さっきの異様な雰囲気は、今後も使いようによってはたくさんの標的を殺す道具になるだろう)
この男の過去など、アミルにとってはどうでも良かった。
「やめなさい」
その時だった。
凛とした、鈴のような声が辺りに響いた。




