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第2夜 釣り上げたのは…



 生まれてからこの方まともな生活とやらを送った記憶はなく、ずっと底辺を彷徨(さまよ)って生きてきた十七年間ではあったが。

 流石に、人生において釣りをしていたら人間の女の子を釣り上げるなどという経験は、したことが無かった。




――女の子? そもそも、本当に人間なのか、これは…。


 陸上に打ち上げられた人魚のようになってしまっているそれに、ウリは恐る恐る近づいた。

 水で濡れてぺったりと髪が小麦色の肌に引っ付いているが、明るい栗毛色の髪が腰ほどの長さまで伸びており、着ている衣服は白いブラウスにベージュのチノパン。シンプルで質素な服装ではあったが、お金がある者が着る衣服だった。長い髪の毛だって、汚い泥水に濡れてしまっているが、ふけが溜まって臭いどころではなくなっている自分の髪からして見れば、大変手入れが行き届いている。

 それと、腰部分に丸まった敷物のようなものがベルトでくっ付いていた。


――何だこの子、絨毯売りの行商人か?

 

 こんな恰好の女性がスラム街を歩いていれば、直ぐに襲われてあられもないことになってしまうだろうに。

 肌つやも良く、見目も整った女の子だった。


 そもそも、なぜ池の中から。


 そこが一番の謎だ。


 一先ず、このまま放置しておくわけにもいかないので、少し肌に触れる。

 小麦色の肌は水に長時間浸かっていたのか、冷たくなってしまっているが、脈はあるようで微かに息もしていた。


 どう考えても訳ありでしかないのだが、自分が引き上げてしまった訳ありなので、このまま見なかったことにするのは気が引けた。

 大きなため息をついてウリはその女の子を担ぎ上げ、近くの掘立小屋まで連れて行った。





 基本的に、青年は常にお金などはなかった。日銭を稼ぐ方法も、あることにはあったが、普段必要なものはそこらへんに落ちているものを使ったり、最悪の場合は盗みなどをして生き延びていた。

 盗みなんて、してはいけないことは勿論分かっている。けれど、そうでもしないと毎日を生きて眠ることもできない人間だって、この世の中にはいるのだ。


 小屋の中にある小汚い布の端切れを昏睡状態の女の子にを被せて、ウリは再度大きなため息を吐いた。


 空腹を黙らせてくれるような食糧が手に入ると思っていたのに、手に入ったのは人間の女の子だった。

 この女の衣服を剥いで売りに出せばそれなりのお金が手に入るのではなかろうか。

 そんな考えがふと脳裏を過るが、瞬時にため息を吐いて棄却した。


「………寒そうだな」


 今は秋だ。

 年中比較的暑い地域ではあったが、水の中に居れば身体が冷えてしまい風邪を引くだろう。

 そもそも、どれだけの時間水の中に居たのかわからないが、風邪を引くどころの話でもないかもしれない。


 肌にぺったりと引っ付いた白いブラウスを見て、ため息を吐く。

 

 濡れた衣服を着たままでいれば、身体の芯は冷えたままだろう。

 女の子はウリと変わらない年齢のように見えた、ウリも勿論生物学上的に男なので、何も思わずに居られるわけなどないのだが。


 苦虫を嚙み潰したような顔で止まった青年は、決心を固めて女の子のブラウスの釦へと手を掛けた。


「……………無だ」


 言い聞かせるようにそう呟いた。


 一つ一つ、なんだか震える手で釦を外していく。釦も少し値が張りそうなもので、普段自分が着る釦付きの衣服は釦の縫い付けが悪く、外すのも一苦労なのに、女の子が着ていた衣服は簡単にするりと外せる。

 それが更に謎の緊張感と、身体の熱を無駄に上げているのだが、邪な考えが脳裏を掠める度にその考えを無心で殴り倒した。

 流石に、どこの誰かも分からない女の子を性的な意味で襲うことは、今までしたことが無かったしこれからもするつもりも無い。


 無の感情と、生理的に湧き上がる熱と、それを静める度に謎に目じりから零れる涙に耐えながら、ブラウスの釦を全て外した。もうここまでくれば悟りの境地に辿りつつあった。ブラウスの下には肌着を着ていたが、それも無心で脱がし、女の子は下着だけになった。

 これは流石に正面を向いて外すわけにはいかないと感じ、女の子を後ろ向きにさせる。


 そこで、ウリの動かしていた手が止まった。


「………………これは………」




 その時、不意に掘立小屋の戸が強く叩かれた。




「おい!開けろ!」


 激しく戸を叩く音と、扉の向こうから有無を言わさぬ男の声が聞こえる。

 女の子の背を見て固まっていたウリは、弾かれたように顔を上げ、咄嗟に女の子の身体を隠すように端切れを被せ、扉を開けた位置から見えない場所に移動させてから扉の前へと急いだ。


「…どうしました」


 扉を開けると、そこにはウリよりも三倍くらい体格の良い、髭面の大男が立っていた。その後ろにも三人ほどの屈強な男たちが立っていて、こちらを睨みつけている。


「スラムにいたお前がなんでこんな場所にいる」


 髭面の男は自分より大分下にある緑の眼の青年を睨み下ろす。


「…昨日、嵐が来てたじゃないですか。俺が普段寝泊まりをしている地域は、屋根がなくて。屋根を探してここまで辿り着いたんです」

「ほう。いつ頃だ」

「えっ…と……。 …夜中の十時頃、ですかね」


 時計などは持っている筈もないので、月の位置でそれぐらいだと思った感覚でしかないのだが。

 その言葉に髭面の男は、ふうん、と言い、どこか怪しむような眼をこちらへ向けてくる。


「……それが、どうかしましたか」


 普段どこで寝泊まりをしているかなど把握すらしていない筈なのに、わざわざ居る場所を突き止めて数人がかりで押しかけてくるなど、絶対的に何か裏がある。

 怪しむ眼をこちらに向ける髭面の男に、緑の瞳が向く。


「王都で内乱が起きた」


 静かな声の響きに、一瞬、空気が止まった。

 

「……三日前、ですよね」


 三日前。

 ウリが今いる場所は砂漠に位置する王国・サンドリア王国、そこの王都で三日前に内乱が起き、なんと王都が逆賊に占拠されたというのだ。数百年の間同じ一族で治められていたこの国が一夜にして転覆し、王は殺害されたとも聞く。

 煌びやかな王都から少し離れた、卑しい人々の住むスラムに住む自分の耳にも、その噂は流石に入ってきた。

 残っていた王族も、全て一族郎党皆殺しされたとかいう。そうして、その逆賊とやらも、どうなったのか分からないのだとも。


「……そこの第三王女様が行方不明なんだとよ」


 髭面の男は小さい黒豆のような眼を細めた。


「どうやら、俺らのいるスラムまで逃げ延びてきたようなんだが、そこで見つかってよ。そのまま追いかけられていた姫さんが、この池のある方向へ走って行ったのを見たっつうんだ」

「…そうなんですか」

「それをスラムのじじいが見たってのが夜中の十二時頃の話だって言うんだが、お前がここの小屋で一晩寝泊まりしてたっつうんなら。…見てんじゃねえのか」


 夜中の十二時頃は確かに起きてはいたが、外でそのような騒ぎがあったかなんて今初めて知った。

 そもそも、昨日は一晩中嵐で、風と雨の音が強すぎてそれどころではなかった。


「残念ですが、俺はその時間帯寝てましたので。知らないですね。 …そもそも、そのお姫様のお顔も存じ上げないので、見たとして分かりません」


 正確には起きていたが、説明するのが面倒だった。

 この国の内政には大して詳しくはないが、王族は王と継承権の近い子息しか顔を出していなかった筈だ。そんな、継承権の低そうな第三王女の顔など分かるはずが無い。恐らく社交界にも顔を出していないだろう。人々は何を根拠にその姫様を追っているのだろうか。



――これで大人しく引きかえってほしい。



 その思いと表情を前面に出すが、そんな願いなど届く筈も無かった。

 髭面の男は鼻を鳴らし、ずかずかと小屋の中へ足を踏み入れていった。


 


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