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今日から始まるパンデミック  作者: クポ
始まりのパンデミック
9/66

九話


 ―――ギギィィ……。

 慎重に中を伺いながら屋上と校舎を唯一繋げる重い扉を開ける。

 途端に鼻を突く死の香り、不自然な程にひんやりとした空気が全身を撫でる様に通り過ぎ、その冷ややかな空気が何処か死を連想させてブルリと身震いする。


 全く人の感覚なんて適当なものだと思う。数秒前まではあれだけ欲しがっていた涼しさに、まさか恐怖を感じる事になるとは思わなかった。



 橋が燃えている事を知ってから俺達はすぐに行動を開始した。と言うのも、両親が既に他界している睦月がバイトの為にバイクの使用許可を貰っていた為、一度寮へと戻って田中を病院まで乗せる事にしたからだ。


 ゆっくりと休んでいる間にもう一方の橋も通れなくなると身動きが取り辛くなる。だからやや性急なこのタイミングで行動を開始せざる得なかったのだ。


 最悪を考えれば勿論橋が既に通れないまであるとは思うけど、最悪を想定しすぎて何も行動出来なくなるのも違う気がする。

 なので寮に着いたら田中は睦月が病院へ、俺は女子寮へと向かって佳奈ちゃんの安否を確かめる事になった。


 勿論余裕があれば一緒に女子寮に向かって佳奈ちゃんの安否を確かめれば良いのだけど、それは田中の状況次第、俺達にだって田中をこの傷のまま放置はしたくない程度の情はある。


 そうしてどう行動するかを決めてしまえばもうやるしかない、何処か巨大な棺桶の様な不気味さを感じる校舎へと向けて注意深く階段を下って行った。


「―――っ!これは酷すぎるって……」


 しかし三階へと降り立った瞬間目を覆いたくなる様な惨状、こみ上げる吐き気と絶望感を必死に飲み下す。


 二階と三階を繋ぐ踊り場、そこは赤いペンキの一斗缶でもぶちまけたかの様に鮮やかに彩られ、その赤色の上をゾンビ達が無造作にペタペタと足跡を残しながら徘徊していた。


 目に見える範囲だけでも五体……。返り血なのだろうか、まるで血の涙を零しているかの様にも見えるゾンビが『ウーアー』とまるで迷子の様に彷徨う光景は恐怖以外のなにものでも無かった。

 もしも今俺が一人だけだったなら、恐らくこの場で発狂して叫びだしていたと思う。俺達を出迎えた光景はそんな酷い光景だった。


「ったく、一々心を折りにくるぜ……」


「それなー。俺なんてずっと夢落ち希望だわー。まだ目が覚めんけどー」


「ははっ……気持ちは良く分かる」


「まぁ兎に角だ。今この階段を降りるのは止めておこうぜ、少し遠回りにはなるけど様子見も兼ねて他の階段に向ってみようぜ。最悪ダメなら戻れば良いだろ」


 俺達は睦月の提案に無言で頷き同意した。先頭に立ち一歩廊下へと踏み出す睦月とそれに続く田中、その二人の背中を追いかける様に進みかけ……。


 ―――え?

 見間違いであって欲しかった。

 だから見間違えだという確信が欲しくてもう一度視線を戻した。


 だけどそこにはやはり見覚えのある制服を着たゾンビが混じっていて、俺は頭を軽く振り浮かんだ最悪な答えを頭の奥底へと押し込めた。

 認める事なんて出来ない、だってそれを認めたら……。


 払拭出来ない不安と恐怖を抱えたまま、疲労以上に重くなった足取りで二人の事を追いかけるのだった。








「ったく!どんだけいんだよ……!マジできりが無いっての!」


 睦月が初めよりも更に手馴れた動作で振るった木刀は、ゾンビの頭の中心へと正確に振り下ろされる。

 ボグッと鈍い音と共に頭を凹ませたゾンビは『ヴヴ……』と小さく呻き声を上げると崩れる様に地面へと落ちていった。


「それにしてもまぁ……風通しが良くなったもんだね」


 三階へと足を踏み入れすぐにこの場で起こったであろう混乱を思い知る。

 周囲の窓ガラスは所々が割れて散乱し、さっき通り過ぎた教室のドアなんて真ん中から半分に折れて倒れていた。

 やたらと風通しの良くなった廊下はヒューヒューと音が鳴り、それが悲鳴なのか喘鳴なのか、それともただの風の音なのかと問われればどの答えにもいまいち自信が持てなかった。


 ガタガタと風に煽られたドアが震える。

 カチカチとサッシに残っていた割れたガラスの残りが擦り合わされる。

 そんな普段なら気にも留めない様な音にすら全神経を向けながら進む作業は酷く神経をすり減らした。


「無駄になげぇ……」


「本当にね……」


 普段は部室として以外では殆ど使っていない教室数個を含め、二十以上もの教室が並んだ長い廊下、その距離は周囲を警戒しながら歩くにはとても長く、足元に散らばる砕けたガラスや木片だって変な角度で踏み抜けば怪我だってする。

 ゾンビだけじゃなくそういうリスクを避けながら歩くのはそれだけで疲労を強いられるものだった。

 

「うはーマジでこえぇー……、一体居たら百体居ると思えっていう格言もある事だしー、二人共十分に気を付ける様にー」


「アレと同じ勢いで湧かれたら人類なんてあっという間に滅亡すると思う」


「デスヨネー」


 小声だが普段通りの軽口を叩く田中に何時も通りに突っ込む俺、ケタケタと笑う田中のその額には脂汗が浮き、その体調が徐々に悪化している事は見て分かるレベルだ。

 だけど田中がそうして強がってくれている表情を見て脳裏に過るのは、階段で見た制服姿のゾンビの事だった。

 何度も何度も最悪な想像が頭の中を駆け巡り、俺はゆっくりと頭を振るとその最悪な想像を振り払った。

 都合の良い勘違いである事を願いながら。




 三階を進み始めて十分程歩いただろうか、もうゾンビに襲われたのが何度目なのか数える事さえ億劫だ。

 そんな中一人で突然笑い始める田中に何事が起こったのかと慌てて目を向ける。


「うはははっ……、ここさー、何か懐かしくねー?」


「いきなりどうした?ってか……何かあったか?」


「マジでー?うおーマジでかー!ここで生まれた時は違っても、死ぬ時は一緒だって誓い合ったじゃんかよー」


「いや、それだけは無いわ」


「マジかー、あの日の誓いは幻だったのかー」


 主に一年生が三階を使用し二年生が二階を使用するというこの学校のシステム上、最近では余り訪れる事も無くなった三階の廊下。

 先輩達が気軽に訪れると気の弱い下級生は萎縮してしまうだろうからと、特殊教室も基本的には一階と二階にのみ置かれているから本当に来る事が無くなった。

 とは言え数か月前までは毎日の様に通っていた見慣れた廊下の一角、そこで立ち止まった田中は疲労の滲む顔を僅かに綻ばせていた。


「確かに懐かしいな―――あの百円が……ほんの僅かな親切心が、こんな心労を生むなんてな……あの日の自分に教えてやりたいよ」


「ははっそれはお気の毒、だけどまっ俺は中学からその呪いにかかってるけどな」


「それは本当にご愁傷様です……」


「あれあれー?俺の素敵な思い出は解けない呪い的な扱いー?」


 そっか、ここから二人との腐れ縁の様な友人関係が始まったんだっけな。


 落ち込んだ様子も無く楽しそうに笑う田中、それを苦笑いで見つめる俺と睦月、そう言えばこんな関係は出会ってからずっと変わらないんだっけな。


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