六十四話
二人と別れてどれ位経っただろうか?走り通しの肺はそろそろ酸素を求めると抗議を始めていたし、なんだかんだで動かしっぱなしの体も悲鳴の声を上げていた。
部室棟の方向だと聞いて走っては来てみたが、実際姿が見えない状態では何処へ向かえば良いかも分からなかった。
「正直方向が間違っていないならそろそろ追い付いてくれても良いだけ走ったと思うんだけど……ここまで来て方向を間違ってるとかないよな」
呼吸を整える為に一度立ち止まり天を仰ぐ、空を見ても土砂降りの雨しか目には映らなかった。
さてどうしたものかと、そう前へと視線を戻した時だった。
―――パンッ!
雨音に紛れて小さく鳴り響いたその音を聞いた瞬間、その方向を忘れない様にと見据えると再び走り出す。
必死で足を動かし辿り着いたその場所は、ここで激しく争ったのだろう一段と地面が荒れていた。
強まるばかりの雨足、全く止む様子の見えない雨に先程までは鬱陶しさを感じていたが、こうなれば悪い事ばかりでも無かった。
「あそこだな、間に合えよ!」
荒れてぬかるんだ地面には、一つの部室に向けて何かを引き摺った後がクッキリと残っていた。俺はその部室へと一目散に駆け寄ると乱暴に蹴り開けた。
急いで入り込んだ室内では衣服のはだけた愛美さんの姿と、袴田に押し倒されて馬乗りに跨られている悠璃の姿だった。
「悠璃っ!」
「秋斗……っ」
俺は今も悠璃に馬乗りになったままの袴田に一気に詰め寄る。
しかし憤怒の形相を浮かべた袴田も急いで立ち上がると、俺へと向き直り忌々しいとばかりに不機嫌に叫ぶ。
「次から次へと……全く騒々しい!邪魔―――――――おぅ……ふっ」
俺は一気に詰め寄り一発で決めてやる!そう意気込み走り寄った。しかし……。立ち上がった袴田がガクリと崩れ落ちる。
袴田の股間にめり込んだ悠璃の足が引き戻され、そして容赦なくもう一度振るわれた。
切な気な声を上げながらふるふると振り返る。内股になりながら全身を震わせる姿は酷く滑稽で、どんなに怒りの形相を浮かべようとも憐れみしか浮かんでこなかった……。
「ゆゆゆううううう、許さないっっっっ!」
怒りと痛みに身体を震わせながら悠璃へと武器を振り上げる袴田、しかしそんな無防備になった袴田を見逃してやる筈もなく、そのまま容赦なく後ろから殴りつける事でこの騒動は呆気なく終わりを迎えた。
「秋斗ぉぉぉっ!」
悠璃は涙で顔をくちゃくちゃにしながら俺の胸へと飛び込んできた。
その瞳から零れる大粒の涙、触れて良いものなのかと一瞬だけ躊躇った後、意を決して涙を優しく拭い取る。
そしてもう大丈夫だからと伝わる様に、濡れそぼったその髪を優しく撫でたのだった。
悠璃もこの状況を一人で行動して、そして袴田と一人で戦って怖かったのだろう。暫くして落ち着きを取り戻した悠璃は、ハッと我に返ったかの様に俺から二歩三歩と慌てて離れると、顔を真っ赤にさせてへへへっと照笑いを浮かべた。
「あのね、本当に助けてくれてありがとね」
「ああ、間に合って良かったよ」
悠璃は改めて感謝を俺へと伝えると、慌てて愛美さんの元へと駆けて行った。
悠璃に続いて俺も愛美さんの元へと向かう。
悠璃に肩を抱かれたまま、今も震えたままの愛美さんは酷く虚ろな表情だった。手を差し出しても大丈夫なものかと一瞬悩み、それでも数秒躊躇った後に手を差し出すと、愛美さんはボーっと俺の顔を見つめ、数秒の時間をかけて手を取りゆっくりとだけど自分の足で立ち上がってくれた。
「愛美さんごめん、少し落ち着くまで休ませてあげたいんだけど、すぐにここを出なきゃいけない」
俺が愛美さんの目を見つめながらそう告げると、彼女は瞼を伏せて小さく頷くと俺の背中へと回り込み、小さくシャツを摘まんだ。
後は今も股間を押さえて小刻みに震える袴田の処遇だけど、当然袴田を助けてやるつもりは一切無かった。
部室のドアを盛大に開け放ち一度部室から全員で外へと出る。
扉を開けっぱなしで固定する為とゾンビを呼び寄せる為の両方で、手近に在ったブロックをわざと大きな音が出る様に置いてドアを固定していく。
ガチガチにドアを固定した時には周囲はゾンビに囲まれていて、急いでここから離れようと促そうと思った時、入口の前に悠璃が立っているのが見えた。
すぐにゾンビが押し寄せてくる事など想像に難しくない、必死の形相を浮かべながら何とか這いずってでも逃げようと動き始めた袴田だったが、まるで何かに捕まれているかの様に動けないでいた。
そして悠璃はそんな袴田に絶望へと突き落とす最後を投げつけた。
「愛美さんにした事も、ボクにしようとした事も、絶対に許さないから!何も出来ずに襲われる気持ちを、屈辱を、恐怖を、少しは味わえクズ教師!」
「待て、悪かった!悪かったから!助けて……助けっ―――あああああああああああああああああああ!」
そんな叫び声が周囲に集まっていたゾンビをその場所へと向かわせる。
俺達が足早にその場を離れるまで、袴田の助けを求める声だけが響いていた。
そう言えば最後身動きの取れない様だった袴田、彼はまるで何かに引っ張られている様だった。もしかしたら理不尽な暴力に涙した人達の無念が袴田を捉えて離さなかったのかも知れない……、ずっと背中を叩き続ける袴田の叫び声を聞きながらそんな事をボンヤリ思っていた。
袴田の最後を振り払いながら考える。
世界がこうなってまだたったの三日だぞ?そんな短い時間で人の命も尊厳も、何もかもが軽くなってしまったのかと気持ちが沈む。
袴田達が自分達の欲望を満たす為、他人を貶めながら生きる事を何とも思わなくなったように、俺達だって邪魔者だと思えば、許せないと思えば躊躇わずに排除してしまう。
きっとこの世界にいる以上そういう事はもっと顕著になって行くんだろう、そう考えると何ともやりきれない暗い気持ちになってしまう。
空を見上げればザーザーと降り続ける雨が体を濡らしてくる。
こんな嫌な感情もこの雨と一緒に流れてくれれば良いのにな、降りしきる雨粒を見上げながらそんな事を思うのだった。




