六十二話
あきとんの背中を見送りすぐ、俺は食堂だった場所の中心へと向かって歩いた。
爆心地の中心ではまるで俺達を待っていたかの様に佇む黒いゾンビの姿。
爆発で勢い良く飛び散ったであろうナイフやフォークが全身に細かな傷を無数に残していたものの、期待した通りのハリネズミの様にとまではいかなかった様だ。
それでも少なく無い本数が突き刺さってくれた様で、ある程度の効果はあったと思う。
「まっあの爆発に巻き込まれたんだからな、ある程度削られてなきゃ困るわな」
目の前のそれは初めて見た時程の圧力は無く、最早満身創痍なのだとこうやって目の前に立てば良く分かる。正直執念だけで動いているのだと言われた方が納得出来るレベルだった。
『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』
苛立ちなのか、それとも自らを奮い立たせる為なのか、黒いゾンビの咆哮が空気を震わせる。
赤黒い瞳は暗さを増しながら、しかし未だに輝きだけは鈍る事無くその不気味さを際立たせた。
そしてそんな黒いゾンビを見ながら俺はもう一つの作戦が上手く行っていない事を確認する。
黒いゾンビによって壁に開けられた大穴で半壊し、そして今では爆発に煽られてガラスは全て吹き飛び、壁も粗方吹っ飛んでしまったにも関わらず、それでも頭上では巨大な天窓がしぶとく残っていた。
今にも崩れ落ちそうなそれは最早骨組みだけになり、最後は何時落ちるのかと思う程に不安定に揺れていた。
最後は殴り合えって事か……、しゃーないやるか!握り慣れた木刀を強く握りしめ化け物と殴り合う覚悟を固める。
「あきとんじゃ無くて不満かもしんねぇけどさ……、最後の戦いをやろうぜ?」
『グアオォォォォォォオオオオオオオオオオオオオ!』
ダン!と砂煙を巻き上げ黒いゾンビが地を蹴る。しかし爆発に巻き込まれた影響なのかその動きは当初の速さからは考えられない程に遅く、緩慢なものだった。
「満身創痍でもプライドだけは十分ってか、マジで格好良いなお前」
言い終わるよりも早く放たれた黒いゾンビの拳、振り下ろし気味のフックが反らした体の横の空間を削り取って行く。
すぐさま躱した勢いそのまま左右へ高速の連打を叩き込み、しかし目の前で膨れ上がった嫌な気配にすぐにその場から慌てて飛び退る。
髪の毛を数本飛ばしギリギリのタイミングで俺の目の前を通り過ぎていったその剛腕は動きが遅くなったとは言え、それでも一発でも当たればこの戦いに決着を着けるだろう事は火を見るよりも明らかだった。
とは言えだ。最早普通に眼で追える程度にまで減らした速度、何とかと言った様子で振り上げられる腕、その動作には最早全くキレは無く、なけなしの体力を何とか燃やして動いているだけにも見える。
俺がこうして躱せている事が何よりの証拠だろう。
尚もブォンと振られる腕を掻い潜り様、跳ねながら木刀を振り上げ顎をかちあげる。
抜けるような手応え、小さく呻き声を一つあげながら仰け反る相手を見て、一度伸びきった体勢から体を一回転させるとその遠心力を利用して木刀を振り抜いた。
最高の手応えを感じた一撃、しかし黒いゾンビは足を踏みしめ倒れる事を頑なに拒む。
右から左からと木刀を何度も叩き付ける。しかし相手の硬質な体を叩く感触に自分の手の方が痺れて先に悲鳴を上げる。
「打つです!」
『グゥォォォォオオオオオオオオオオ!』
紗希の声にその場を飛び退いた瞬間、目の前をシィィィと音を切り裂き矢が飛んでいく。
それは見事に黒いゾンビの肩へと刺さり、確かなダメージを与えた。
しかし飛び道具に苛立ちを露わにした黒いゾンビは、叫びと共に地面に転がる拳大の石を掴み、キィィィィンと短く鳴り響いた直後に掴んだ石を投げつける。
「きゃっ」
僅かに狙いが反れてくれたのか、投げた石は紗希の真横の壁を大きく抉るに済んだ。だがそんな幸運が何度も訪れるとは思えない。
「下がれ紗希!隙があった時だけで良い!無理すんな!」
「……了解です」
紗希が建物の陰に入り込んだのを確認したのか、黒いゾンビはその場で悠然と立ちながら、続きをやるぞと言わんばかりに赤黒い目を光らせる。
「あきとんが王様みたいな事を言ってたけど、お前ただの戦闘狂だろ?ったく楽しそうにしやがってよ!良いぜ最後まで付き合ってやるよ!」
こうなればどっちの体力が先に尽きるかの殴り合いだと足を踏み出した。
―――その時だった。
「おぉぉぉぉぉう!どぉぉぉけぇぇぇぇぇ!そいつは俺の獲物だぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
意識の外から隻腕の大男が走り寄って来る。その隻腕には何があっても離れない様にと鉈を何重にもテープで巻きつけて握られていて、男は勢いそのままに黒いゾンビの左の肩口へと鉈を叩き付けた。
『グォオオオオオオオオオオ!』
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉう!」
何が起こっているのか理解するまでに数秒の時間を要し、それが阿部の特攻だと気がついたのは二つの化け物が視界から消えた後だった。
クレーターの淵で立っていた黒いゾンビは、阿部のその突撃を受け止めクレーターへと滑り落ちて行く、転がり落ちる二つの影を追いかける様クレーターの際のギリギリまで近付き目を凝らす。
どちらも手負いの、それこそ何時倒れてもおかしくない状態で、その二つの化け物は再び対峙した。
二つの咆哮がビリビリと空気を振るわせ、その迫力に押された俺は一歩後退る。
見れば片腕を失った阿部のその肩に縛り付けた布は真っ赤に染まっていて、顔色は既に土気色へと変じている。
最早阿部が死の際に立った状況なのは明かで、それなのにそれでも心底楽しそうに笑っていた。
因縁の相手との決着のみを願ったのだろう、あれだけ俺が攻撃しても膝すらつかせられなかった黒いゾンビの肩口へと、鉈を数十センチ食い込ませる。
対する黒いゾンビは阿部の一撃にグラリと一度は倒れかけ、しかしまるでボクシングでいう所のクリンチをするかの様に倒れる事を拒み、ゆっくりと阿部へと抱きついた。
バキバキバキと二メートルは離れているであろうこの場所にすら聞こえてくる音、その音は決して人体から聞こえて良い類の音ではなくて、当然それは人から命を、動く為の力を無理やり刈り取るものだった。
声にならない声、生きながら全身の骨を砕かれるた阿部は悲鳴を上げることさえも許されなかった。
しかしそんな状況で血を吐き出しながらも、阿部は全身で唯一自由が利く腕一本に己の命を全て込めながら、必死の形相で歯を食いしばり鉈に力をかけていった。
どういう精神構造をしていたらあんな限界をとっくに超えた状況で尚、ああやって踏ん張れるのだろうか、あれで人類だって言うんだから笑えてくる。
そしてそれは阿部による人生最後の力比べだった。叫ぶ度に鉈の刃は徐々に黒いゾンビの血肉を割り裂いていく。
「ぐうおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
阿部は最後に悲鳴とも気合ともとれる声を響かせながら渾身の力を込めた。
意地と意地とがぶつかり合うただの力比べ。しかし既に満身創痍の阿部に力比べに勝利するだけの力など残っておらず。
―――ぱたり……。
鉈を頑丈に結びつけたその腕は鉈の重さすらも支えきれずについに落ちた。
『グォォォォォォォォオオオオオオ!』
まるで勝利の咆哮、歓喜の叫び、恐らくは飛び道具以外では阿部だけがつける事が出来た深い傷からはコールタールの様な黒くドロリとしたものを流れている。
しかしそれすらも些事だと言わんばかりに黒いゾンビは空を見上げてもう一度大きく吠えた。
―――ダガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァン!
それは何というタイミングだったのだろうか、その音が俺達が思い描いていた最後の罠が発動した事を教えてくれる。
まるで阿部を手助けするかの様に最後の最後で実ったもう一つの罠、正直あそこまで爆発が大きなものになるなんて俺も、あきとんも予想していなかった。だから寧ろこっちこそが本命の罠だった。
黒いゾンビと安部にコンクリートに囲われた窓枠が落下する。その瞬間激しい破砕音と共に土煙が巻き上がり二つの影を覆い隠した。
濛々と立ち込める土煙が徐々に晴れていく、やっと腕で目を隠さずとも開けていられるだけになった時、目の前には目論見どおりに大地に突き刺さる巨大な天窓が姿を現した。
狙い違わず落ちた天窓を黒いゾンビは見上げた姿勢のまま、まるで処刑台にでも貼り付けにされたかの様にその身を貫かれていた。
そんなゾンビの腕の中、阿部は動きを止めた黒いゾンビの最後の姿を満足気に見つめると消え入りそうな声で最後の言葉を吐き出した。
「おう……引き分けだな、黒いの……。くははっ……ざまぁみやがれ」
それを最後に二つの化け物はどちらもその活動を止めたのだった。二つの化け物の最後にしてはやけに呆気なく、どこか空虚な戦いの幕引きだった。
「まぁ……正直別に関係無いんだけどな」
そんな言葉が自然と零れた。そう関係ない、空虚だろうが、納得がいかなかろうが、死んだらそこまでだ。
戦いの美学?そんなもんクソ喰らえだ。泥水を啜ろうが、無様に這いずり回ろうが、生き残らなきゃ全てが無駄だと俺は思う。
少し離れた場所で戦いを見守っていた紗希が駆けてくるのが見える。そんな紗希に小さく手を上げ無事を伝えるのだった。




