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今日から始まるパンデミック  作者: クポ
二章 黒いゾンビと忘れられない過去
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六十話


「おっし、これだな」


 壁際に取り付けられたハンドル、下と書かれている矢印へとハンドルを回していくとゆっくりと天井で揺れていたハンモックが徐々に下がってくる。

 何だかハンモックがやたら不規則に揺れているなとは思っていたが、降りてきてから調べれば、四本中二本のフック部分の紐が千切れていた。

 とは言え食堂全体の破壊状況を考えると、こうして原型を保ってくれている事が奇跡だなと思う。

 少し離れて作業していたと二人と目が合い、片手を上げてこっちは大丈夫だと合図する。

 流石に引き摺って歩くわけにもいかずに運びやすい様に何度か折り畳み、担ぎやすくなるまで小さくした。同じく作業を終えた悠璃と紗希がナイフやフォークがパンパンに詰まった箱を抱えて駆け寄ってきた。


「そっちも順調そうじゃんか」


「うん、睦月先輩の方も大丈夫って事だよね?」


「ああ、こっちも大丈夫そうだぜ」


「良かったです。それでは何時秋斗先輩が戻ってくるとも分からないので、さっさと準備をしてしまうです」


 そんな会話を挟みつつ、俺達は先程発見したガスの発生源とも言える地下室の前まで移動してきた。

 相変わらず周囲にはガスの臭いが濃厚に漂っており、なるべくそれを吸い込まない様に手早く準備を進めていく。


「おし、それじゃ二人共、集めて来てくれた箱を落とさない様に地面に置いてくれ、くれぐれも落とすなよ?―――紗希そんな目で見るんじゃねぇよ、振りじゃねぇから余計な事すんな?」


 一度紗希が目を見開き、何をやらせるつもりなんだと驚きの表情を見せていたが、そういうの今は全然必要ない。

 二人が穴が開いている付近ギリギリまで慎重に進み二つの箱を置いてくれるとすぐ、今度はハンモックを広げ慎重にその穴の上に被せていった。これでガスはハンモックによってある程度は流出を遮られ、今までよりも濃厚に密度を上げたガスが穴の中で凝縮されていくだろう。


「後は黒いゾンビの好きそうなベンチ……は面倒臭いからテーブルにするか。粗方吹き飛んでるっぽいけど、流石に無事そうな物も何個か見えるしな」


 重い物は持ちたく無いとあからさまに顔を顰める紗希とそれを宥めて歩く悠璃を見る。

 最近の紗希はずっとすまし顔だったのが嘘みたいに感情を顔に出すようになった。今までどんだけ猫を被っていたのかと突っ込みたくはなるが、個人的にはその変化は嫌いじゃない、ついつい笑えて来る。

 悠璃も特にあきとんの前では自然に振る舞える様になってきているみたいだし、こんな状況だとは言えこうやって一つずつ成長していければ意外と俺達は大丈夫なんじゃないかとさえ思えてくる。


 良し……もうひと踏ん張り頑張るか、あの黒いのさえ倒してしまえば大手を振って佳奈を探しに行けるしな。


「もう……何で言い出しっぺの先輩一人が一歩も動いていないのですか、もう中間管理職にでもなったつもりなのです?」


「ああ悪い、少しだけ考え事してた」


 そんな非難の声を聞きながら薄く笑うと小さく手を上げて二人の元へと向かうのだった。


「もう……本当に先輩は―――まぁ良いです。早くやる事やって移動しましょう?流石にこのままガスを吸い続けたら遅かれ早かれ具合だって悪くなるのです」


「うん、早めにここから動いた方が良いよね」


「だな……」







 テーブルを入口から見て穴の奥側に設置すると急ぎ駆け足で移動を開始する。

 食堂から外にでると何時の間にか空の機嫌はかなり悪くなっており、この調子だともう何時振り出してもおかしく無い気がした。

 今日も少し動けば汗ばむ程に暑く、途中から空は低くなったとは言え、それでもそこそこ良い天気だったんだが、今は振り出しそうな雨の影響なのか湿気が全身を覆う様にベタベタと纏わりつき、不快指数が目下急上昇中だ。


 そんな時、視界の先で僅かに人影が揺らめくのを見た。初めは見間違いかと思ったそれは見間違いではなく、隣で周囲を監視していた悠璃も同様に見つけた様で声を上げる。


「ね、ねぇ……あれって袴田と……愛美さんだよね」


「っ……!そう、なのです。あっ、悠璃ちゃんダメなのです!隠れて」


 ふと視線を動かした先で愛美さんの手首をロープで縛って連れ歩く袴田を偶然目にした。

 紗希は袴田に見つかり作戦が台無しになる事を恐れ、今にも飛び出しそうだった悠璃を一度物陰へと引き摺り込むと無理やり頭を隠れさせる。

 悠璃は酷く辛そうな表情のまま大人しく隠れるも、その視線はずっと二人を追っていて、今すぐにでも飛び出しそうな雰囲気を見せていた。


 改めて視線を向ける。そこには後ろ手で縛られ力なく項垂れた愛美さんの姿があり、そのすぐ後ろには愉悦の笑みを浮かべた袴田の姿が見える。

 二十メートル位だろうか、そこまで距離が離れている訳でもない為、愛美さんの表情までもが見えてしまう。

 必死に抵抗したのだろう乱れた衣服は直すことさえ許されず、頬を腫らしたまま絶望しきったような虚ろな瞳で歩く愛美さんの姿が痛々しい。手錠を掛けられたかの様に両手を縛られたまま歩く姿は、生きる希望を無くし連行される奴隷を思わせる。


「何であんな風に誰かを傷付けられるんだろう……、何であんな風に平気で誰かを苦しめられるんだろう……、何で……」


 悠璃はそう呟くと一人声を殺しながら大粒の涙を零し始めた。

 愛美さんは何時も朗らかに笑っていて、誰にでも優しい人だった。それこそ言ってしまえば学校のアイドル的な存在で、かなりの人数が彼女に憧れを抱いていただろう。うちの部だと俺以外の男子全員が大なり小なりの憧れを抱いていたと思う。


 卒業した先輩達にあきとん、それに今は亡き田中に部長。仲間達が憧れていた彼女が袴田に壊されようとしていた。流石に助ける以外の選択肢が見当たらなかった。


「二人でこっちいけるか?ちょっと助けに行ってくるわ」


「ううん、睦月先輩はここに残った方が良いと思う。作戦が上手くいかなきゃ秋斗一人じゃどうしようもない状況になるかも知れない、そうなった時は絶対睦月先輩の力が必要になってくると思うんだ。……だからボクが行ってくるよ」


「悠璃ちゃん……、でも……」


 紗希の顔に浮かぶのは行かせても良いのだろうかという躊躇いだ。だけど悠璃のその覚悟を決めたと言う表情を見ると意見を変えるつもりなんて無いんだろうなとも思う。


「紗希、心配してくれてありがとう。でもボクは愛美さんを助けてあげたいんだ。あの日あいつに襲われてボクはとっても怖かった。紗希が助けてくれなかったらって思うと今でもゾッとする。だからね、紗希が助けてくれたみたいに少しでも早く助けてあげなくちゃって思うんだ。それこそ取り返しがつかなくなる前にね」


 自らの過去を語りながら、しかしその目は愛美さんが連れられていった方へと見据えられていて、静かな怒りを滾らせているのが見て取れる。


「それにさ、たとえこんな世界だとしてもあんな男に良いようにされて何も出来ないなんて、ボクならゾンビになって永遠に彷徨わされるのと同じ位に耐えられないよ……」


「もぉ……分かったのです。確かにあんなゴミに好き勝手されるなんて耐えられないのです。―――先輩、悠璃ちゃんに助けに行って貰っても良いですか?」


「はぁ……ったく、いくら俺がダメって言おうが、悠璃は行く気だし紗希は行かせる気だろうが。こっちが片付いたら俺達も向かうから、絶対に無理すんな?ロケット花火の残りを渡すから、危ないと思ったらせめて居場所だけでも知らせろよ」


「うんっ!睦月先輩ありがとう!紗希もありがとう!じゃぁ行って来るよ!絶対愛美さんを助けて戻って来るからね!」


 残り二本のロケット花火を受け取ると猛スピードで走って行く悠璃を見守った。悠璃なら大抵の事は大丈夫だろうと思う。

 しかし何だろう胸の中に生まれた不安感、きっと大丈夫だとそう信じていても何故か心の中に生まれたモヤモヤが晴れる事は無かったのだった。




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