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今日から始まるパンデミック  作者: クポ
二章 黒いゾンビと忘れられない過去
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五十九話



 夕暮れ時が迫るに従い徐々に陰りが見え始めた空、今では巨大な灰色の雲が頭の上を浮かんでいた。

 湿気が降りてきたのかベタつき始めた空気の中、降って来なきゃ良いんだけどなと、空へと視線を向けながら校舎内をひた走る。


 人気の全く感じられない校舎内、足音と自分の息遣いがやたらと耳につく。そんな中、一瞬で全身の産毛が総毛立つ程の殺気を感じて立ち止まる。


 ―――いる……!


 恐らくは壁一枚隔てた先、普通なら誰かがいるだとか絶対に気が付かない距離。しかし言う程薄くは無い筈の壁に遮られて尚、その殺気は明確に伝わってきていた。

 何故か今もこの周辺でゾンビに出会わないのは、最早感情なんて残っていなさそうなゾンビですらもその存在に恐怖し、息を殺して隠れ潜んでいるのかも知れないと思った。

 そんなバカげた事を考えてしまう程の圧倒的な存在感、圧倒的な気配は、緊張を押し付けてくる。まるでコールタールの中を泳がされているかの様に体が重く感じた。


『ヴァラァァァァァァッァアアアア!』


 壁一つ分を隔てた先からの咆哮、たった一枚の壁など関係ないとばかりに空気がピリピリと震える。


 ―――ピシピシピシピシ!

 空気が震えて窓伝いに亀裂が走る。

 直後、近くで打ちあがった花火の様な破裂音と振動を振りまき、窓ガラスと同時に目の前の壁が弾け飛ぶ。


「っ……冗談だろ!」


 咄嗟に顔を腕で覆い隠して目を細める。

 壁が吹き飛んだと同時に辺りを包み込む粉塵、閉ざされた視界の中全身に砕けた壁の細かい破片がバチバチと当たり、その小さな破片が細かい傷を何個も刻みつける。


「……っ!」


 視界の隅、土煙が切り裂かれる事で何かが迫って来くる気配、それを感じた瞬間必死に転がった。

 背後でゴウっと空気を無理やりにかき分ける音が響き、たったの一撃でそれまで濛々と立ち込めていた土煙は綺麗に吹き払われる。

 きっと当たれば失敗したダルマ落としの様に、首だけを弾き飛ばしていただろう一撃に肝を冷やす。


「やられっぱなしだと、思うなよ!」


 急いで立ち上がるとサイドステップを一つ挟み急旋回する。遠心力を乗せた一撃は黒いゾンビの頭部を完璧に捉えた。

 ―――ガキィィィィン!

 しかし肉体を殴りつけた筈なのに何故か硬質な音が響き渡る。そして直後に何でも無さそうに目の前のゾンビが動き出す。


「ちょっ!ふざけっ……んふぃぃ」


 それを見て慌ててバックステップするも勢い余ってそのまま転倒してしまう。その瞬間に両足の間の空間、所謂股間の前を黒いゾンビの丸太のような脚がスタンピングする。

 その瞬間、バガァァン!と踏み抜いた床がその衝撃に耐えきれずに抜け落ちる。膝まで床にめり込ませた黒いゾンビはそのまま体制を崩す。


 黒いゾンビが踏み抜いた床は細かく砕けて破片となり俺の股間を掠めていく、直撃していたらと思うと遅れて恐怖がヒュンと腰を上がってくる。

 ぶるりと一度身震いしながら、必死に開脚後転すると急いでその場を脱する。


 やっばいなぁ……こっちの攻撃は意味が在るのかも怪しいのに、あっちは攻撃の殆ど全てが必殺とか、無理ゲーすぎだろ。

 自然と漏れ出してくる弱音を必死で飲み込み、今は見えなくともきっと準備してくれている筈の仲間達が待つ食堂へと向けて走り出す。


 走り出して数秒後、ドンと背後から振動を伴う大きな音が響き、黒いゾンビがのそりと教室から顔を出す。

 数秒である程度の距離を稼げた訳だけど安心する訳にもいかなかった。

 だってまずその手に握られている物が既におかしいから……。


「ちょ……!ふざけんなって、やって良い事と悪い事があるだろ!」


 廊下に現れた黒いゾンビのその手には掃除用具を入れてあるロッカーが無造作に握られていた。まるでお気に入りの鞄を持つかの様な気軽さでロッカーを持ち出してきたゾンビに思わず声を上げる。

 そんな俺の声をお気に召したのか、黒いゾンビの赤黒い眼が鮮やかな色へと変わり、直後キィィィィンと甲高い音が聞こえたと思った瞬間だった。

 肌が粟立ち死ぬ気で逃げろと本能が叫び狂う。


『グラアアアアアアアアアアアアアアアア!』


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 ガシャァァァァン!耳元で窓が砕ける音が響く。

 意味不明に硬くなった左腕を盾にする様に突き出しガラスを割ながら中庭へと飛び込む。地面に着地と同時に何とか受身を取るが、それでも尚強かに打ちつけた背中は一瞬息が吐けない程に痛んだ。

 しかしその直後だった。


 ―――ドガガガガガガガガガガガガアアアアァァァァ!

 背後を通りぬけた衝撃がそんな痛みすらも忘れさせる。

 轟音と破壊をばら撒き飛んで行ったロッカーは、途中で軌道を下げて一度地面にぶつかると、縦回転を始めて上下に弾けてパチンコ玉の様に床へ天井へと弾け飛び、破壊の痕を場所を選ばず刻み付けた。


「っ……出鱈目すぎるだろ!」


 余りの理不尽さに不満の声を上げながら、しかし足だけは止める事なく必死に動かす。


『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』


 必殺の一撃だったのだろう、それを躱わされた黒いゾンビは背後で不満そうに咆哮を上げた。

 チラリと振り返った時に見た黒いゾンビは、先程不気味な程に鮮やかに輝いた瞳は、充電でも切れたかの様に普通の赤黒い色へと戻っていた。


 後ろから迫るプレッシャーから逃げている最中頬を一滴の雨粒が打つ、僅かに天を見上げればパラパラと雨粒が落ちてきた。初めは気にならない程度だった雨粒は、徐々にその勢いをまして土砂降りになる。

 細かい雨粒がまるでカーテンの様に降りる中、赤黒く光る眼差しが虚空にくっきりと浮かび上がる。同じく走り始めたのか上下に揺れ動く眼光がその不気味さをやけに際立たせていたのだった。



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