五十八話
今はグッタリと弛緩した様に地面に突っ伏して動かなくなった阿部。
その戦いに呼吸をする事さえも忘れていた。その戦いはそれ程に衝撃的なものだった。
少なくても現時点で知っていた戦闘力として最強だったのは豪太さんだった。でも、あの阿部と豪太さんがやりあったとしたら……。本気の豪太さんを見た事が無いからはっきりは言えないけど、それでも互角に近い戦いをしたのだは無いだろうか?
しかしそれほどの戦闘能力を見せ付けた阿部でさえ最後は本当に為す術無くやられてしまったのだ。
『ガアアアアアアアアアアアアアアアア!』
黒いゾンビの勝ち鬨がビリビリとガラスを揺らす。最終的には圧倒的な力を見せ付ける形で終焉を迎えた二つの化け物の戦い。
片腕を失い、全身をぼろ雑巾のようにしながら倒れ、今ではピクリとも動かなくなった阿部、ここからでは生きているのかどうかさえ判別つかない程に酷い有様だった。
こんな化け物を倒そうって言うんだからな……。バットを握った掌には汗をびっしりと掻き、一度ズボンの尻へと掌を擦りつける。
その瞬間ゾクリとした悪寒が背筋を走り抜け、反射的にその場を飛び退りながら周囲に警戒を促した。
「っ……!皆離れろっ!」
――――――ィィィィィィィィン!
甲高い音が耳を捉えた次の瞬間、ドガァァァァァン!とまるで爆撃でもされたかの様に目の前の窓が壁ごと爆散する。
「きゃぁぁぁぁっ!」
「クソっ!出鱈目すぎるだろ!」
巻き起こる粉塵で真っ白く染まる視界、余りの砂埃に目を開いている事さえ出来ずにさらに数歩後ずさる。
―――ィィィィィィィン!
「次がくるっ!皆少しでも壁際から離れろ!」
俺が叫んだ瞬間ベンチらしきものが壁を貫通して教室内へと飛んでいき、若干の間を置いて教室で爆砕音が響いてくる。衝撃の余波は大量の粉塵と共に流れ込み、白かった視界を更に白く染まる。
咽返りそうな粉塵の中、口を塞ぎ目を細めながら急いで状況を確認する。
「二人共ゴメン、紗希に肩貸して!」
「だ、大丈夫です……ちょっとぶつけただけです」
朦々と粉塵が舞う中、皆の姿が確認出来た事にホッと胸を撫で下ろす。極度に視界が悪化する中、紗希は何処かにぶつけたのか左肩を押さえ辛そうに顔を顰めていた。
「紗希、ちょっと我慢してろよ!あきとん紗希の事は任せとけ!今は少しでも早くここを離れるべきだ!って事で撤退だ撤退!」
「えっ……ちょっと先輩!ば、馬鹿なのですか!今すぐ降ろすのです!」
睦月は紗希を横抱きに抱えると凄い勢いで走り出した。所謂お姫様抱っこの形で睦月に抱きかかえられて顔を真っ赤にする紗希は、照れ隠しにぽかぽがと睦月の胸を叩いていたが、途中俺達を追いかける様に壁に次々に穴を開けるその轟音にビクリと体を強張らせると、諦めたのか振り落とされない様にギュッとしがみ付く。
「ほんとバカです……痛いのは足じゃないです」
紗希の小さな呟きが風に乗って聞こえてきて、それを最後に抵抗する事を諦めたのか身体を大人しく睦月に預けていた。
―――ィィィィィィィン!
ああもう!逃がす気は無いってか!話さなくてもその意思だけは十分伝わってくるよ!
中庭に目を向ければ黒いゾンビがベンチを担ぎ上げている姿が見える。
この耳鳴りの様な音はベンチが空を飛ぶ風切り音じゃなかったんだなと、変な発見をしながら、少しづつ近付いてくる背後での爆発音に急かされる様に足を動かした。
次々に飛んでくるベンチ、もしかして中庭のベンチ全部を投げる気なのかと気が気じゃなかった。
そんな俺達が命辛々でも逃げ出せたのは、恐らくは黒いゾンビの近くにベンチが無くなったからだろう……。
「ほんっとうに先輩ってばっ!痛いのは肩だって言ってるのにバカなのですか!それとも後輩を辱めて羞恥に悶える姿を観察するのが趣味なのです?もうお嫁にいけないから責任とりやがれです」
「いやそれはマジで悪かった……だけど本当にやましい気持ちは一切湧かなかった。それだけはマジで誓えるから安心しとけ」
「カッチーンです!あれだけ私が抱き着いていたのに一切何も感じないとか、それはそれで屈辱的です!ギルティです!」
プンスカと擬音が聞こえて来そうな様子を見せる紗希、そんな彼女を何とか宥めすかそうとしたが見事に失敗したようだった。
そんな二人に心配したのか悠璃が紗希を慰めに向かい、紗希の背中を撫でながら悲しそうに眉を歪めて呟いた。
「睦月先輩、それは酷いよ……それだと余りにも紗希が可愛そうだよ」
睦月は大きくため息を吐くと、俺にだけ聞こえる音量でボソッと呟いた。
「クソ……興奮したって言ったら言ったで先輩は変態です!とか百パーウゼェくせにさ、二択でどっちを選んでも地雷が埋まってるとかどうしろってんだ」
「ははっ……ご愁傷様」
あの砲撃の様な攻撃を躱して粉塵に追いかけられながらも仲間を助けようと頑張ってくれたのにな、余りの報われなさに少しだけ肩を叩いて慰めておいた。
きっとそのうち良い事もあるさ。
―――それにしてもだ。
背後から感じるプレッシャー、と言うか視線が凄く痛い。良く女子が男の視線なんてすぐに分かるものだなんて言っていたけど、視線って本当に分かるものなんだな……。変な所で新しい発見、というか勉強になった。
って言うかなんで俺まで睨まれる?
「そう言えばあの黒いゾンビに追いかけられてから、ゾンビと出会ってなくないです?」
「そう言えばそうかも?」
紗希の言葉に一度足を止めて周囲を眺める。周囲にもゾンビの姿は無さそうだし、確かに紗希の言う通り暫くゾンビに出会っていない気がする。
「だったら少しゆっくり休もうぜ……何て言えたらいいんだけどな、流石にあの砲撃みたいな攻撃が来るかもって思いながらだとゆっくり休めねぇな」
「だね……。腰を下ろした所に飛んで来たら目も当てられない」
今は見えない中庭へと視線を向けながら小さく体を震わせる。あんなのまともに喰らったら一発でミンチだし、倒すとしたら何か対策を練らなきゃいけないな。
「それじゃ疲れてるだろうけどさっさと行こうぜ?あー、そう言えば阿部と袴田は一緒に行動しているものだと思ってたけど、あの場には袴田も愛美さんも居なかったよな?」
「だね。それに追いかけて行った二人も見えなかった。皆、無事だと良いんだけど……」
「少なくてもあの場に居なかったのなら、まだ無事な可能性があるのです」
「うん。早く探してあげなくちゃね」
そう話すと俺達は再び走り始める。先程まで背中に感じていた強烈な死の気配、今はそれが少しだけ遠いものになった気がしていた。
「ちょっと待って、皆止まって」
あれからひたすら逃げる様にと廊下を走っていた俺達だったけど、流石に中庭に、と言うか一階に恐怖を感じて怯えてばかりも居られないと、気合を振り絞って一階へと降りてきた。
流石に中庭方向へと視線を向ければ足は竦むし、何時あの出鱈目な攻撃が飛んでくるかと思うと気が気じゃ無かったけど、それでも一歩前へと進んだ形だ。
そんな中、丁度食堂へと差し掛かった時、僅かにではあるけど何とも言えない独特の匂いが鼻をつき、俺は足を止めるのと同時に皆に待ってと制する。
「ん、何だかガス臭いのです……」
「うん、本当だ。少しガス臭いね。でも少しでもこうして臭いがするってだけでも結構怖いよね。ちょっとでも迂闊な事したら爆発しちゃいそうな感じが」
「あー確かに怖いイメージはあるな。それにしてもこれだけ壊されて風通しが良いのにも関わらずガスの臭いがするって事は、どこかでガス漏れが続いてるって事なんじゃね?」
鼻を僅かにひくつかせた睦月はキョロキョロと周囲へと視線を彷徨わせながらそれっぽい所を探していた。そんな睦月を見ていた紗希が何かを発見して
「そういう時って電気のスイッチで爆発しちゃうって言うです。でも今ならカチカチしても大丈夫です」
「紗希、危ないよ」
「残念ですけど、今は電気が通ってないので平気です」
「あー……そっか、そうなんだよね」
あれ?ってか何かが引っかかる。喉元まで答えが出掛かっているのに出てこない感覚、妙なモヤモヤ感が気持ち悪い。
半壊した食堂を入口から見渡しながら、何に気をとられたのかをもう一度順に視線を動かして行く。
「ん?あきとんどうしたん?」
「んー……。ここって爆発すると思う?」
「んあ?ここって食堂だよな……?外なら無理だろうけど、場所を選べば案外爆発しそうじゃね?」
「爆発させちゃうの?」
「そう……だね。まずは一度ガスの発生源を確認して、爆発させるのが本当に可能そうだったら改めて皆に聞いて貰いたいんだけど、良いかな?」
頷く三人と共に慎重に食堂内へと進んで行く、食堂はそこまで複雑な構造でも無かった為にガスの発生源は意外と簡単に見つかった。
平時ならガスは異常に漏れたりすれば停止するはずなんだけど、電気が止まっているからなのか、それとも何処かのタイミングで故障して運悪く漏れ出したのか、ただ分かる事は今もガス漏れが続いている様だった。
しかもガスの発生源が地下空間で、更にはその空間を塞ぐように瓦礫が蓋をしていたお陰で、かなり濃厚にガスが溜まっている事がその臭いからも伺えた。
「これを利用すると考えると……」
呟きながら天井を見上げる。そこにはお洒落なハンモック型の日除けが未だに何とか掛かっていて、もしかしたらそこにもガスが溜まってくれているかもしれない、そうやって考えれば立てた作戦的にも悪くないロケーションだった。
予期せぬ爆発を恐れて一度その場を移動する。ある程度の安全距離を確保すると今度は考えた作戦を三人へと伝えて相談する。
まだフワッとした計画を皆に話せば、今度はその計画に皆が肉付けしていってくれる。こういう時に頼れる仲間がいてくれて本当に良かったって思う。
お陰でフワッとしていた作戦がそこそこ上等なものに思えてくる。
「それでは秋斗先輩が一人別行動するという事で本当に良いのですね?一旦離れて行動してしまうとフォローには回り難いのですけど、大丈夫です?」
紗希の声に俺は力強く頷いて見せる。初めは死にかけた経験を生かして俺と睦月が一緒に行動しようかとも思っていたんだけど、それだと食堂側の戦力が心配になってしまう事と準備の手が足りなくなってしまう。
だから今回に限っては逃げるだけだし一人でも二人でもそんなに変わりはないんじゃないかと思い直し、俺が一人で黒いゾンビを引っ張ってくる事にしたのだ。
「秋斗……絶対に無理しちゃだめだからね」
「ああ、心配してくれてありがと。全力で逃げてくるから準備は頼んだからね」
心配そうに眉を八の字に歪める悠璃に笑って答える。悠璃が心配してくれる分だけ逆にこっちの緊張が解ける気がして笑ってしまった。
「まっ、あきとんが大丈夫だって言うなら今回は任せるよ。逆に俺らが遅れて足引っ張らない様に、こっちはこっちでさっさと準備しようぜ?」
「うん、了解だよ!それじゃ秋斗も頑張って!また後でね!」
「はいです!秋斗先輩、また後でです。ほら先輩行くのですよ?言ってた人が足、引っ張らないで欲しいです」
「うっせ、言ってろよ」
悠璃は少し緊張した面持ちで、紗希はフンと小さく鼻を鳴らしながら来た道を引き返す。表情こそ違えどその後ろ姿は自分達のやるべき事を正しく理解しているのだろう決意が感じ取れた。
「さてとっ、そんじゃ俺も行くわ、くれぐれも無理すんなよ?」
「了解、それじゃむっちゃん、そっちは頼んだよ」
「ああ、また後でな、これが片付いたら今度こそ佳奈の所に行くんだからな?ちゃんと付き合えよな」
「あはは、そうだね……。勿論忘れてないし、今度こそ約束は守るからさ」
コツンと軽く拳を合わせてお互いの進む方向へと向かう。
睦月は元より、何だかんだいって頼りになる二人の事も心配していない、問題は俺が黒いゾンビと出会った時にちゃんとやれるか、心配は正直そこだけだと思う。
大丈夫、弱気になるなと自分に言い聞かせて走り出すのだった。




