五十七話
「一雨来そうだな……」
呟きながら睦月が空を見上げる。釣られて見上げた空にはかなり分厚い雲が掛かり、朝に比べれば大分空が低く見えた。
携帯食料で簡単な食事を済ませた後、部室で見つけたアルコールランプとライターをもう一本、それにタオルをバックに入れて早々に出発した。
なんで部室にライターやアルコールランプまで転がっているのかは謎だけど、何かに使えそうだしきっと天文学部にも色々な時代があったのだろうと、今は深く考えない事にした。
この二日間でこの扉を開けたのは何度目になるだろう?平時よりも出入りしている気すらする。
急かされる様に再び校舎内へと戻った俺達だったが、扉を開けるなり階下から激しい音が聞こえてくるのだが、その音が既に普通では無かった。
「うわっ、派手にやってるね」
「隠す気なんて更々ありませんって感じです」
「もしくはそんな余裕すらないか……とかな」
金属同士がぶつかった様な硬質な音が廊下中に派手に響き、同時に男の野太い怒声が階下より響いてきた。
その声に引き寄せられる様に階段を駆け下り、二階まで一気に駆け下りると窓の外に視線を向ける。
無残にも校舎を貫通した大穴、そこから少し外れた場所では化け物の様な男と、本物の化け物がしのぎを削る争いを繰り広げていた。
「おう!良いね!良いね!良いねぇ!戦いっていうのは命の削り合ってこそだよな!」
化け物に立ち向かう化け物の様な男、阿部は歓喜の雄叫びをあげながら心顔に獰猛な笑みを浮かべた。
その両手にはそれぞれ消火器が握られており、それをまるで棒っ切れでも振り回すかの様な気軽さで振るっている。
地面すらも削り取りながら振るわれる両手は、ゾンビの武器とぶつかる度に荒々しい音と共に周囲に火花を散らせている。
そんなパワーを全面にぶつかる阿部と相対する黒い靄を纏ったゾンビは、恐らくは少し前まではベンチだったのだろう、その名残だけを残す残骸を握り締め、ブァンブァンと迫り来る消火器を弾き飛ばすように力任せに振るっていた。
一薙ぎする度に空気すらもが悲鳴をあげ、その悲鳴が二階の窓をも震わせる。
そんな二体の化け物達の戦い、その周囲は既に人の立ち入れる空間ではなくなり、動きの余波で周囲の芝生は剥がれ、地面は荒されるを通りこして既に均されている程だった。
――――ガギャァァァァァン!
一際甲高く、そして激しい激突音が響き渡り悠璃が首を竦めている。
「うひゃっ!音が凄っ……。消火器もベンチもあんな風に空を舞うなんてきっと思って無かったと思うよ……。黒いゾンビもすっごく規格外だけど、あの縞シャツも大分人間から離れちゃってるよね」
「なのです……消火器二刀流って意味が分からないのです」
二つの消火器とベンチが空中で猛スピードで激突する。言葉にすれば確かに意味が分からない光景。
『ガアアアアアアアアアアアアアアアア!』
「おう、るぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああ!」
二つの雄叫びが重なり空気を揺らす。
二つがぶつかり合う激突音、同時に地面を揺らすほどの衝撃が起こり、黒いゾンビが振るったベンチが地面に突き刺さる。
衝撃の余波で目の前の窓がビリリと震える。
「おう!ぶっとべおらぁぁぁぁぁ!」
叫びながら阿部は突き刺さったベンチを一気に駆け上がり、その勢いのまま放った一撃が確実に黒いゾンビの顔面を捉えた。
『ゴゥオ……!』
僅かに怯んだような声を残し数メートル後ずさる黒いゾンビ、それをベンチの上から不敵な表情で見下ろす阿部は足元にあるベンチをバキリと踏み抜き鼻で笑った。
「おう!楽しいじゃねぇか!おい黒いの、もういっちょ行くぞぉらぁぁぁ!」
『グルァァァァァァァァァァァアアアアアアアアア!』
阿部が吠えれば黒いゾンビもそれに呼応するかの様に雄叫びを上げる。
叫ぶのと同時にすぐに体制を整え飛び出す黒いゾンビ、阿部の表情がまるで不遜だと言いたげな咆哮をあげながら腕を振るい、腕と消火器の衝突の音で再び空気を振るわせた。
「ったく……やってらんねぇな、化け物ばっかじゃん」
「全くだね」
睦月の呟きに完全に同意する。っていうかこうして化け物同士の戦いを目にして、自分達があんな化け物と戦えるビジョンが全く見えてこない。
仮に俺ならどうやって戦う?本当にあんなのと戦えるのか?出来る事ならワンチャン相打ちになってくれれば最高、次点で阿部が倒しちゃってくれないかという他力本願な気持ちが浮かぶが、しかしそれも次の瞬間儚く霧散した。
「っ……」
思わず漏れ出した声、そこにはあれでも届かないのかという軽い絶望が混じる。
黒いゾンビが再びベンチだった物を手に取り、それを阿部へと無造作に放り投げたのだった。
ゴウと空気を押し潰しながら進むベンチは目で追う事すら困難なもので、それはこうして上から見ていても同じ事で、まるで線を引くように阿部へと飛んで行った。
それは傍目に見ても躱わす事は出来ないタイミングだと思った。
しかし阿部は体を大きく倒しながら、俺が間に合わないタイミングだと思った攻撃を強引に、両手に持った消火器を投げ出す事で間に合うタイミングへと変えてしまう。
ベンチだった物が空中に置き去りにされた消火器とぶつかる。その衝撃で吹き飛ぶ消火器は中ほどから拉げ、まるで降参するかの様に真っ白い化学物質を周囲に撒き散らした。
阿部が身代わりとなった消火器へと目を向ける暇もなく、その激しい戦いは一気に佳境へと突入した。
ここまで戦線を支えてきた消火器が無くなった阿部は、腰にぶら下げた皮のケースから分厚い鉈を抜き放ち一気に駆け出した。
「おぉぉぉうおりゃぁぁぁぁぁぁ!」
大地を踏みしめる足音がここまで聞こえてきそうな程の激走、一瞬で肉薄した阿部の一撃は見事に黒いゾンビの左肩へと突き刺さる。
『グルォォォォオオオオオオオ!』
咆哮と同時に黒いゾンビの肉体が盛り上がり鉈の進行を阻んだ。
断ち切るに至らなかった鉈はその途中で止まり、その瞬間すぐに飛び退ろうという動きを見せた阿部だったが、それは叶わずその腕を捕られてしまう。
その圧倒的な膂力で掴れた阿部は逃げ出す暇もなく。
―――ブツン……。
何故か二階まで届いてきたその音は、簡単に人の体から出て良い音では無かった。
「おうあああああああああああああああああ!」
一拍遅れて上がった安部の悲鳴、まさに骨を切らせて肉を断つを実践して見せた形の黒いゾンビ。
片腕と大量の血液を失った阿部は、すぐに自分のベルトを外して肩口を縛って出血を少しでも減らしたりしながら必死で戦っていた。上手くバランスの取れなくなった体で必死に戦いはしたのだ。
しかし片腕とバランスを失って勝てる程その相手は容易い相手では無く、そこから始まったのは目覆いたくなるような一方的な蹂躙だった。




