五十六話
「何だよ……あきとんも俺を置いて先に逝くのかよ……」
睦月はそう呟き天井を仰ぎ見た。その表情はとても悲しそうで、そして普段よりも何歳も歳を取った様にくたびれて見えた。
「しくじったよ。佳奈ちゃんを一緒に迎えに行けなくなってごめん」
「良いよそれは別に、俺がちゃんと迎えに行くからさ」
睦月はそう話すとそれよりもと呟き髪をかき上げた。
「あきとんが死ぬと佳奈に死ぬほどどやされる。そっちのが問題だわ」
「はははっ……あの世で会ってもすぐには気が付かない位に生きて欲しいって伝えて貰える?しばらく待ってるからって」
「……ああ。そのまま伝えとくわ」
「悪いね、嫌な役ばっかりむっちゃんにはやらせてる気がする」
「本当にな、でも爺さんになるまでそういう役をやらせて貰えるものだって思ったけどな、あきとんが俺の弟になるなら最悪許せるかなもって思ったのによ」
睦月はそう言うと微妙な笑顔を見せた。あはは……嘘つきだな。世界中の誰にだって佳奈ちゃんを渡せないくせに。
笑いたいのにもう咳しか出てこない。全身が酷く痛くて倦怠感がヤバい。残された時間はもう余り無さそうだった。
「最後に皆と一緒に居られて本当に良かった……」
「……ボク達もだよ」
悠璃の泣き顔が見える。それは涙でぐちゃぐちゃだったけど、とても綺麗な顔だった。
そしてその会話を最後に、意識の殆どを思考を手放さない為だけに使わなければいけなかった。
頭の中では最初は数えられる程度だった鐘の音が、今では数える事さえバカらしいだけの数へと増えていて、ソレが鳴り響くたび視界にヒビが入るような不快な感覚が襲ってくる。
いつの間にか視界からは色が消え去り、終にはあれだけ鮮やかだった世界がモノクロへと変化していた。
「ぐぅああああああああああああァァァァアアアアア!』
俺が死を本格的に覚悟した時だった。ピシリと言う音と共に世界が白と黒のモノクロに染まる。
最後の力を振り絞って寝返りを一つ、二つ……皆を傷付けてしまわない様に。
「ああ……クソ!やっぱり死ぬのは怖い!クソッ死にたくない!」
最後の最後まで格好悪いなって思いながら、心の底から思っている事を最後に叫んでしまう。
その瞬間だった。突如左腕が輝き始めて光に包まれる。体の内側から心臓が弾けたかと思うような衝撃に半分以上止まっていた心臓が再び動き出し、そしてひび割れモノクロに染まっていた視界にも再び色が戻っていったのだ。
「ぐああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「あきとん!」
「秋斗!」
「秋斗先輩?!」
苦しかった。
本当に苦しかった……。
最後に死にたくないって思った瞬間全身が、特に齧られた左腕が焼ける様に熱かった。これがゾンビに変わっていくって事なのかって思うほどに。
だけど急に引いた痛みに恐々と目を開けると、まるで何事も無かったかの様に世界の中に俺はいて、あれだけ苦しかった体の痛みも、最悪だった体調も全てが消えてスッキリしていたのだった。
「―――えっ……?」
本当に驚くと言葉も出ないって言うけど、実際数秒呆けた様に天井を眺め、視線を皆へと戻した時にやっと出た言葉がそれだった。
当の本人だというのに自分の身に起きた奇跡の様な出来事がとても信じられなかった。
「あきとん、おいっ!あきとん!」
睦月が誰よりも先に走り寄ってくると、俺の肩を掴んで前後に揺さぶった。
「―――っ!」
悠璃が涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら飛びついてくる。その小さな頭を優しく撫でつけると、一瞬だけピクリと反応を見せた後、グリグリとその頭を押し付けてくるもんだから少しだけ笑ってしまう。
「なんで……って今はどうでも良いのです!悠璃ちゃん!秋斗先輩が無事で、良かったです!」
悠璃に飛び乗り紗希が悠璃毎抱きしめてくれる。
「皆……心配かけてごめん―――でも、俺何で助かったんだろ?」
「ええっと……それは流石に誰にも分からないのです」
「だな……。急に左腕が光ったかと思ったら、あきとんが苦しみだして、そして今に至る」
左腕が?俺は左腕へと視線を向け自らの血で真っ赤に染まっていた腕を見る。何故か前腕がまるで炭化でもしたかの様に真っ黒く染まっていた。
触ると感覚はあるものの、他の部分と比べると明らかに違う硬質な手触り、金属バットを手に取り軽く叩いてみると、カーンと甲高い音が響き渡った。
「えぇ……」
「秋斗……腕痛くないの?それって平気なの?」
自らの腕が意味が分からなくなってしまっていて若干引いていると、悠璃が心配そうな目で俺の黒くなってしまった腕にそっと触れてくる。
「あ、うん。痛くはないね。ただそこだけ触った感覚も少し違うし、なんかやたらと硬くなってるだけかな」
「あっ……本当に硬いんだね……何だろう、金属っぽい訳でも無いんだね?急にこんな風になったらビックリだよね?もし痛くなるようだったら無理しないでね?」
ありがと、悠璃にそう伝え視線を向ける事でぶつかった瞳はとても優しくて、未だに柔らかく俺の腕を撫でるその手の温もりは何処か母性を感じさせる。
って……年下相手に母性とかどうかしてると慌て、不自然にならない程度に僅かに視線を逸らす。少しだけ頬が熱を持つのを感じ赤面していないかと心配になる。
「もぉ!悠璃ちゃんは油断するとすぐにいちゃいちゃするのですから!男性不信を克服したと思ったら……本当に困ったものなのです。そういのは性質が悪いと思うのです」
「えぇ……そんな事ないよ」
紗希がジト目で俺達を見つめてくる。若干の身の置き所の無さを感じながら視線を逸らすと、紗希がクスクスと笑っていた。
「ふふっ、本当に、治って良かったのですね?」
「もぉ!紗希ってば!」
「きゃぁー、悠璃ちゃんに襲われるのですー」
「はぁ……二人共落ち着け、あきとんもいちゃつくなら止めないから、だけど話が終わらないからもう少しだけ後にしとけ。―――んじゃ紗希、お前鏡とか持ってないか?持ってたらあきとんに貸してやって」
「えっ、いちゃ―――」
「―――あ、部室におっきいのあるのです」
悠璃が弁解しようと手を振りながら口を開いたところを狙い紗希が言葉を被せていく。弁解の機会を奪われた悠璃は可愛そうになるくらい真っ赤になって俯いてしまった。
そうして鏡を持ってきて、それを渡してくれた時の紗希の顔はニヤリと悪戯が成功した時の顔をしていた。
一瞬だけ真っ赤になってしまった悠璃に助け舟を出した方が良いかと悩んだけど、きっとそれは燃料の投下になるんだろうなと思い直し、「ありがと」とだけ告げて受け取った手鏡を覗き込んだ。
「な?結構衝撃的じゃん?」
「ん?何時もの俺の顔だけど……?」
鏡に映る顔は普段通りの見慣れた顔で、睦月が衝撃的だと言う意味が全く分からなかった。
「うーえっ、秋斗先輩、もう少し上です」
紗希のその言葉に手鏡の角度を変えていく、やっぱり何時もの顔だけど、何だろう?僅かに違和感がある気がする。
えっと……あれ?
俺、髪の毛が真っ白だな……。
僅かに目を回しながら睦月を見ると、睦月はやっと気が付いたのかと言いた気に少しだけ呆れた表情で頷くのだった。
「あー……ヤバい美味い、生きてるって感じがする」
カラカラに乾いていた喉を水が通り抜けていく、その美味しさといったら冗談無しで体中の細胞が歓喜に沸き立っているかの様だ。
「ははっ、マジで死にかけてたからな、そりゃ美味いだろうな」
あれから俺達は部室に残っていたカロリーフレンドなどの携帯食料を齧りつつ、各自好みの飲み物を手に取り喉を湿らせ、そうして無事を喜び合った。
本当に簡素で味気ない食事だったのだけど、時折笑いながらこれからの事の話しながらする食事は、たとえ簡単なものだったとしても生きている事を十分に感じさせてくれるもので、皆でまたこうやって笑いながら何かを食べられた事だけで十分に幸せだった。
そんな和やかに進む食事の最中、ふと思い出した事を睦月に聞いてみた。
「そう言えばむっちゃん、今思い出したんだけど愛美さん達ってどうなった?」
「ああ……。ったく馬鹿かよ俺は、あきとんの事が衝撃的過ぎて、大事な事を忘れてるなんて……」
睦月はそう話すと頭を乱暴に掻きながら髪の毛を掴んで天を仰ぎ見る。
「あの後三人を追いかけたんだけどよ、皆が皆騒ぎながら走るもんだから速攻でゾンビに囲まれちまってよ……。廊下に溢れ出て来るゾンビに対応するので精一杯でさ、結局追いつけないまま三人を見失っちまった……。それでも何とかそれは倒して追いかけたんだぜ?だけど最悪な事に、そこで他のゾンビとは全然違う黒くて禍々しいゾンビと出会った」
「黒いゾンビ……あれは相当ヤバい奴だったね」
「あきとん達も会ってたか」
思い出すだけで背筋が震える。あれは俺が半分ゾンビだったからなのだろうか?あの威圧感とひれ伏したくなる程のある種の神々しさ、その他大勢のゾンビとはあり方からして違う存在だった。
「あれって倒せると思う?」
「いやいや無理っしょ?逃げるのだって運が良かっただけだしな、先に追いかけられていた奴らがいたから逃げられただけだな」
「だよねぇ……」
親指と人差し指の背で下唇をグニグニとしながら考える。当然俺だって愛美さん達を助けてあげたい、だけどどうしてなのかそれと同じ位かそれ以上に、あの黒いゾンビは倒さなきゃいけない気がしているのだ。
「あのさ……、多分俺って一度ゾンビになりかけてるんだよね。その状態で見た黒いゾンビは禍々しくてさ、でも凄く神々しかった。……無意識に頭を垂れる程に、ね。―――だけど、どうしてか分からないけど、こうやって人へと戻ってこれて思うのは、あの黒いゾンビは絶対に倒さなきゃいけないって想いなんだ……何でかは分からないんだけど」
ただ自分や仲間を危険に晒すだけの可能性が高い、何故倒さなくちゃいけないかも分からないただの感覚。本当なら黒いゾンビなんて倒す必要なくて、黙って愛美さん達を助けに行けば良いだけなのかも知れないのに、それなのに頭の中ではあれは倒すべきだと騒ぎ立てる。
そんななんの確証も無い話を三人はそんな俺の話を黙って聞いてくれた。
「あきとん、一人じゃ倒すのが厳しいと思ったから俺にも聞いたんだろ?だったら一緒に倒しに行こうぜ?流石に手の届かない場所で親友がまた死にかける……なんて笑えねぇしな……。その代わり!佳奈の時はあきとんが俺に死ぬ気で力を貸せよな?」
「むっちゃん……ありがと、佳奈ちゃんの時はここで力を貸してくれなくたって当然全力で力を貸すよ!」
睦月は唇の端を僅かに吊り上げて笑う。それは何時もの気負いのない頼りになる自然な笑みだった。
「二人はどうする……?ここで待ってるっていう選択肢も正直ありだと思う」
「もぅ……怒るのですよ?私達だって愛美さんを助けに行くに決まってるのです!その最中でその、黒いゾンビです?それが出て来るなら戦うに決まっているのですよ。それに、今は私にだって弓があるのです。力になってみせるのです」
「死にかけてまで助けようとしてくれた秋斗を放り投げて、自分だけ安全な場所で待ってるなんて出来る訳ないじゃんね?個人的には愛美さんを優先だけど、でも心配なんていらない、ボクも一緒に行くよ」
腰に手を当てて憤慨だと怒った素振りを見せる紗希、お腹の前で両手を組み、眉根を寄せて心配そうな表情を浮かべる悠璃、浮かべる表情こそ違えど気持ちは同じくしてくれている。
本当に大変な戦いになるのなんて目に見えているのに、俺の訳の分からない選択に突き合わせてしまって申し訳ない気持ちが強い、だけど同時に皆と一緒になら何とかなる気がしてくるのだった。




