五十四話
目の前でゾンビになった生徒会長の姿を見て、そう遠くない未来に自分もああなるのかと思うと気が狂いそうになる。
あまり好きなタイプの人間じゃなかったけど、それでもただ一つだけ凄いなって思った事がある。
生島さんと副会長、その二人は生徒会長が死ぬ瞬間まで助かって欲しいと、心の底から願っていた事だ。
最後の瞬間浮かべた生島さんの優しい瞳、そんな二人を見て「最後までお付き合いします」と言ってのけられる副会長の忠誠心、壮絶な三人の最後はもう少しだけ話しておけば良かったなと思わせるものだった。
とは言え、そんな俺にも然程の時間は残されて無さそうだった……。
頭の中では痛みへの警鐘なのか、止む事無く鐘の音が鳴り響いていた。
生徒会長達の最後に釘付けだったのは俺だけじゃなく、止まっていた戦いが再び動き出した。更には生徒会の三人を追いかけてきた男達までもが加わり、状況はむしろ悪化している。
気が狂いそうな程に腕も頭も痛いけど、どうせ今だけ頑張れば良いんだと、残る体力を全て使い切ってもやろうと両足に力を込めた。
刺し違えてでもここで止めてやるのだと足を踏み出しかけ……しかし生まれて初めて目にした本当の絶望に足が止まる。
―――それは漆黒だった。
絶望を煮詰めたらこんな色になるのかもと思えるだけの黒い靄、それを全身に纏わりつかせた一体のゾンビ。
屋上の入口に立つゾンビは、漆黒の絶望を身に纏い、まるで王の凱旋だとでも言わんばかりに堂々と立っていた。
何故だろう、それを目にした瞬間に無意識に頭が垂れた。
なぜ自分がそんな行動をしたのか何てそんな事俺が一番分からない、ただ無意識に服従を示したそのゾンビには禍々しさの中にもある種の神々しさがあった。
「化け物がぁぁ!」
何も感じない程鈍感なのか、それとも神をも恐れぬ蛮勇なのか、一人の男が黒い靄を纏ったゾンビへと殴りかかっていく。
黒いゾンビはハエを追い払う様な何気なさで手を払い除けると、ブゴッと聞いた事の無い音をまき散らしながらコンクリートの壁まで吹き飛び、そのままパンと破裂音を残して壁に染みを作った。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!」
「ひぎゅぁ!」
あっという間だった。恐らくは一目散に駆け出した一人二人しか逃げられなかったのじゃないだろうか。
残された男達は口々に叫び声を上げ、一人、また一人と倒れていった。
まるで紙で出来た人形を吹き飛ばすかのように気軽い感じで行われた凶行。なす術無く蹂躙されていく男達を俺は陶然としたまま見つめていた。
「―――っ!」
俺以外に動く者がいなくなった屋上に君臨する黒いゾンビ、半ば呆けたまま不意に黒いゾンビと目が合った。
背筋を寒気と快感が混在したものが同時に駆け抜けゾクリとする。次は俺だろうなと諦めにも似た気持ちで最後の瞬間を待った。
しかし黒いゾンビは俺を一瞥すると興味無さそうにそっぽを向き、我先にと逃げ出して行った男達を追いかけて行ったのだ。
何故自分が襲われなかったのか、なぜ助かったのかも分からないまま、体中から一気に力が抜けた俺は崩れる様にただその場にへたり込んだ。
気がつくと先ほどまで女を寄こせだのと息巻いていた男達が立ち上がっていて、それは一人残らず虚ろな瞳でダルそうに歩き出す。
そいつ等は俺を見てももう見向きもしなかった。
ああ、何だ……もう仲間だと思われてるって事か。
何処か納得しながらゆっくりと立ち上がると、最後の力を振り絞って全てのゾンビの頭を叩き潰して回り、最後のゾンビを倒し終わった瞬間、これで俺に残された仕事は全部終わったなと安堵する。
その瞬間体からは急激に力が抜け、俺はその場でゆっくりと倒れこんだ。
「クソ……ひでぇ目に遭ったぜ……。んだ?まだ生きてやがんのかよ。元はと言えばテメェ等がさっさと出てこねぇからこんな事になったんじゃねぇか!ああイライラする!さっさとクタバレってんだよ死にぞこないがっ!」
「がぁっ!」
一人残されていた屋上、そこには何故戻ってきたのか、真っ先に逃げて行った男が戻ってきて俺を蹴りつける。
何だよ……助かったならわざわざ戻ってくんなよな。
あー……でもここで殺してくれるなら、俺はゾンビにならなくて良いのかな?
だったら殺して欲しいな、何て考えながら男が歩いてくるのを何も出来ずに眺めていた。
ああ……でもそうすると二人が少し心配だ。多分すぐにはどうこうは出来ないとは思うけど……。
それにしても頭痛が酷い、先ほどからずっと頭の中で鐘の音が鳴り響いている。最初は一個だけだった鐘の音が時間を経ると同時にその数を増やしている。
―――リンゴーンリンゴーン!
鐘の音が一つ響く度、視界からは色彩が薄れていき、消えた色の変わりにひび割れみたいな黒い線が走る。
―――リンゴーンリンゴーン!
頭の奥で自分と似た声が『早く喰わせろ』と叫んでいる。頭が割れそうな程の頭痛に喉奥から自然と声が漏れ出る。
「がぁぁぁぁっ!」
「おいおい、まだ何もしてないだろうがよっ!」
頬を真横から蹴られ、奥歯の一本が口の中を転がる。
『グラァァァァァァァァァァ!』
屋上に響くゾンビの声に僅かに首だけを持ち上げ視線を向ける。
ほら、そんなに叫ぶし叫ばせるからゾンビが集まって来たじゃないかよ。
三体のゾンビが階段を上がってきているのが見えてしまい、折角二人の為にゾンビの居ない状態にしてあげたかったのになと残念な気持ちになる
出来る事なら目の前の男とゾンビだけは何とかしたいなと動こうとしてはいるのだけど、極限まで酷使し続けた身体は動く事を強く拒み、僅かに持ち上げた体はどちゃりと地面に崩れ落ちた。
「ははっ……ここが限界か……、今舌を噛み切ればゾンビに成らなくても良いかな?ああでも舌を噛んでも死ねないんだっけか……」
ゾンビになんて成りたくないな……。そう願いながらもどうする事も出来ず、だったらもうこのまま意識を手放そうと、そう思ったその時だった。
一瞬目の錯覚を疑った。だけど……必死に走ってくるその姿を見た瞬間、慌てて意識を繋ぎ合わせる。
「秋斗から離れろぉぉぉ!」
ブシャァァァァァァァァ!
悠璃の声が聞こえた瞬間辺りが真っ白に染め上げられる。
「ジッとしてて欲しいです!」
背中から紗希の声が聞こえたかと思った時には脇の下へと両腕を突っ込まれ、そして俺はそのまま引き摺られるように室内へと連れ込まれた。
「なっ!前が見えね――――ぎゃああああああああああああ!い、やめろぉぉぉ!」
消火器の煙の中、階段から上がってきた三体のゾンビから逃げる事に失敗でもしたのか、先ほどまで息巻いていた男からは情けない悲鳴が上がっていた。




