四十八話
俺が視線を向けた時、戦況は確かにこちらに有利に傾いていた筈だ。
弓を取り出した紗希が全体を牽制し、悠璃は得意のアクロバティックな動きで相手を翻弄していた。
険しい表情を見せる悠璃は相手の肩を痛烈に叩いてグラつかせ、しかしそこで止まらずに更に一歩踏み込むと、その場で半回転した遠心力を乗せたクラブを男の脛へと叩き付ける。
「ぎゃあああああ!」
ゴキンと嫌な音が響いたのと同時に男から絶叫が吐き出された。
うへぇ痛そう……と顔を顰めそうになりながらも、心の中でその一連の華麗な動きに喝采を送った。
だけどそれと同時に愛美さんの悲鳴が廊下に響き渡った。
「きゃっ、嫌ぁぁっ!」
「捕まえた!ああ愛美君、何て良いスメルなんだ!嗚呼……。あああああああああああああああああああああ!待った!二年待った!そして漸く二年越しの願いが叶う!勿論受け止めてくれるよな愛美君!」
「ちょっとほんとぉに止めて!離して!気持ち悪い!」
「ああ……気持ち悪いは傷つくな、良し!本当なら連れ帰ってからじっくり愛を囁こうと思っていたんだが、傷付いた私の心を癒す為にもお友達の前で愛を誓い合おうかな?」
愛美さんを後ろから羽交い絞めにすると、髪の毛の中へと顔を突っ込むようにして匂いを堪能していた袴田は、一度顔を離して愛美さんの耳を舐める。
「ひっ……」
ブルリと身体を震わせた愛美さんは両目に大粒の涙を浮かべ、袴田は怯えた愛美さんの涙をベロリと舐め取ると、そのまま形の良い胸を鷲掴みにする。
痛みや屈辱に顔を歪めた愛美さんの瞳からは涙が零れ、その口からは悲鳴が零れる。
「クソッ!」
助けなきゃと二人の方向へと足を向ける。しかしタイミングを図られた様に目の前に現れたゾンビに足を止められる。
横を見ても睦月が表情を歪がませながら三体のゾンビを相手取っていた。もしも今俺が動けば睦月が耐えられる保証は無い、睦月が動けば俺は退くしかなく、その時は恐らく仲間の誰かがゾンビに襲われる。
選べる選択は目の前のゾンビ達を倒して助けに向かう事、正直それ以外には無かった。
そんな最悪の状況の中で悠璃が、そして紗希が俺達が想像だにしなかったの素早さで動き出した。
「このっ!愛美さんから離れろ変態教師っ!」
悠璃は左手で愛美さんを掴んだままの袴田へと駆け、その足へと向けてクラブを振りぬいた。
だが袴田はそのメタボリックな体型からは信じられない程の機敏さで一つ跳ねると、余裕たっぷりの表情で粘り付く様な視線を悠璃へと向ける。
「おっと危ない危ない!見た目は可愛らしいのに随分と手癖と口が悪いようですね?良いでしょう私がじっくりと手取り足取り矯正して差し上げますよっ!」
「ふざけないで!お前みたいな変態教師に泣かされる子が二度と現れない様に、ボクがきっちりと去勢してやるんだから!」
悠璃は嫌悪感の浮かんだ表情で袴田を睨み、そして一気に最速で駆け出しクラブを二度三度と振る。
「おっと、随分と勇ましいですね」
しかしその全てを袴田は愛美さんを掴んだままだと言うのに紙一重で躱してみせる。
最悪でも愛美さんの手は放すだろうと踏んでいたのだろう、悠璃は悔しさを噛み締める。
しかし別に悠璃は一人で戦っていた訳ではないのだ。人知れず袴田を狙いやすい場所へと移動をしていた紗希が、弓を構えたままの姿勢で悠璃に警戒を促した。
「悠璃ちゃん離れてです!」
言うが早いか紗希の手から放たれた矢は、シィィィィと風を切る音を引き連れ袴田の左腕へと吸い込まれる。
「ぐあぁぁぁぁぁぁあああ!」
左前腕に矢を突き刺したまま袴田は苦悶の声を上げる。しかし、その状態でも意地で愛美さんの手を離さなかったのには驚いた。
袴田は右手で強引に矢を折ると、歯を食いしばりながら矢を引き抜き、そんな常人なら耐えられない程の激痛の最中、愛美さんを助けようと詰め寄る悠璃の腹部へと矢を抜き終わった血塗れの拳を突き刺した。
「―――あっ……ぐっ……っ」
袴田の拳が深々と腹部へと突き刺さり、息をする事もままならない悠璃はその場で崩れ落ちる。
それでも涙で顔を汚しながらも袴田を睨みつけ、足を震わせながら何とか立ち上がろうとしていた。
そんな悠璃の首を痛めた腕で怪我等気にもしてないかの様に掴み上げると、袴田は教室へと二人を引きずって行った。
「まっ、待ってくださいよ袴田さん!」
それに続くように教室に下卑た笑みを浮かべながら着いて行く男達を追いかける。
何としてでも二人を助けなくちゃ!俺は睦月と目配せするとゾンビを一先ず放置して教室へと駆け込んだ。
教室へと駆け込むとそこでは既に袴田を取り囲む様に男達が陣取っていて、手首を掴まれた愛美さんと、首を掴まれたまま宙に吊り上げられたままの悠璃が必死に両手で袴田の手にしがみ付いているのが見える。
「そんな怯えた顔を見せなくても平気です。大丈夫……すぐ殺してしまうなんてそんな勿体ない事はしないさ、本当ならすぐに相手をしてあげたい所だが少し待っていなさい。先に愛美君と愛を確かめ合わなくちゃいけないのでね?ほーら、後で沢山泣かせてあげるから今は泣き止みなさい、それに君が相手をするのは私一人じゃないんだ、今から泣いていたら大変だぞ」
袴田はそう言うとベロリと悠璃の涙を舐め取った。
「あ……ああ……ああああああああ!触らないで!汚い手でボクに触らないでぇぇぇ!」
悠璃が髪を振り乱して暴れまわり、その余りの取り乱し方に怪我をした袴田は顔を顰めると悠璃を仲間へと預けた。
「狂暴な子です。全くメインディッシュ前に興が削がれるじゃないですか、貴方達、逃がさない様にしっかりと捕まえてなさい」
悠璃を仲間へと預けた袴田は厭らしい笑みを浮かべながら愛美さんへと向き合った。
「さてと……、待たせてしまったかな?」
愛美さんは止めてと懇願する様な瞳を向けたまま大きく首を振る。しかし袴田はそんな愛美さんの事など意に介した風も無く抱きしめた。
「ああ……愛美君!ああ愛美君愛美君!―――君は思った通り極上だ!声も身体も香りさえも俺の情欲をかき立てる!ああ、こんな世界でもなきゃこの極上の身体に触れる事など出来なかった!はははははははっ!だったら悪く無い!ゾンビだらけの世界も悪くないぞぉぉぉ!」
「いやぁあああああ!止めてぇ、気持ち悪いし痛いっってばぁ!」
袴田は愛美さんをひっくり返すと後ろから羽交い絞めにしてその胸を鷲掴みにする。袴田の手が蠢く度に愛美さん胸は無遠慮に形を変えられ、その手が、その視線が俺達の憧れていた愛美さんを汚し、苦しめていく。
「あんまり煩いとゾンビが寄って来るだろう?ああ、黙らせて欲しいっていう事か?」
「ひっ!~~んぐんんん!」
袴田のナメクジみたいな舌が愛美さんの小ぶりな唇舐め上げる。愛美さんは泣き出しそうに顔を歪めた後、目を見開き大きく首を振る。
「袴田ぁぁぁぁぁぁ!愛美さんを放せぇぇぇ!」
バットを真横に構えて駆け出した。狙うのは狙いがそれても愛美さんを一番傷つける可能性の低そうな袴田の足だ。周りを取り囲む男達の隙間を縫うように駆け出し数メートルの距離を一気に詰める。
そこは既に後一歩で袴田へと届く距離……それなのに、後一歩なのに……、それでも俺は止まらざるえなかった。
「おいおい、袴田先生だろ?……だがそこで留まれたのは優秀だぞ?そうだ。ご褒美くらいはあげないとな」
袴田が隠していた刃の厚いナイフを手に愛美さんの胸元を叩く、愛美さんが息を飲むのが伝わってくる。
「なに……をっ」
俺が言葉を言う一瞬前、愛美さんの制服の襟部分からお腹の部分までが一気に切り裂かれ、ピンク色の下着に包まれた形の良い胸と、滑らかで真っ白い腹部が露になる。
「うはっ!袴田さんそれヤバイっすね!あざっす!最高のご褒美っす!」
「うひょ!さいっこー!」
周囲からは下卑た視線が集まり、同時に厭らしい歓声が聞こえ、愛美さんの両目からは止めどなく大粒の涙が零れ落ちる。
隠したくても隠す事も出来ない羞恥に耳まで真っ赤になっている。
すぐに助けてあげたかった。だけど今も愛美さんに突きつけられたままのナイフに下手に身動きする事が出来なかった。
海先輩やカノン先輩も男達へ武器を振りかざしなんとかしようと頑張ってはいるけど、暴力に慣れている人間と一切無縁の人間が戦えばどうなるかなんて火を見るよりも明らかだった。
睦月は廊下のゾンビに手一杯な様子だし、紗希は弓を構えてはいるがこれだけ人が密集していると流石にピンポイントでもう一度矢を射る事は難しそうだ。
完全に手詰まりだった。この状況一体どうしたら良い……どうすれば少しでもマシになるかと二度三度と視線を彷徨わせる。
「っ……」
思わず諦めにも似た声が漏れ出した。目には決して見たくは無かったものが目に入り、それは俺達にとって最悪な形で動き出す事となるのだった。




