四十三話
身体は疲れてクタクタな筈なのに沈まない意識、片目を開けて壁に掛かった時計に視線を合わせる。暗闇でも見える蛍光塗料の塗られた時針は丁度真上に止まっており、カチリと乾いた音を立てたのは同時の事だった。
軽い喉の渇きを覚え体を起こし、枕元に置いておいたカバンからペットボトルのお茶を取り出すと温くなったお茶を一口含む。
特に他に意識を向ける所も無く半分ぼぅっとした状態で飲んだお茶、それがゆっくりと身体を流れて落ちて行くのを感じる。
「ふぅ……」
一度小さく息を吐き出して再び床へと寝転がる。小窓から薄っすらとした月明かりだけが射し込む薄暗がりの中、意識を澄ませばこのだだっ広い室内には幾人もの寝息だけが聞こえていた。
電気も娯楽も無いこの世界では夜中なんて何をする訳でもない、日が上ると同時に行動を開始し、沈めば大人しく寝る。電気の無い時代はこんな感じだったんだろうなと思いを馳せる。
俺と睦月がシャワーを浴びて戻ってくると、まだ二十二時過ぎだというのに殆ど全員が眠りに落ちていて、それに倣う様に俺達もなるべく寝ている人の邪魔にならない様にと黙って横になった。
だけどそれから二時間弱はゴロゴロと転がり眠りが訪れるのを待ったのだが、中々夢の世界には誘われずに今に至るという訳だ。
本当に某漫画の主人公みたいに横になって数秒で眠りについた睦月が羨ましい。
周囲に聞こえる寝息に耳を傾けながら、同じように眠りに誘われないだろうかと何度か寝返りを繰り返してみてもどうにも眠れそうに無い、のそりと体を起こすとペットボトルを手に持ち立ち上がった。
寝れないのなら他の人の邪魔にならない様に、トイレがてら外の風にでも当って来ようと思い廊下へと出る。
夜の廊下には人の気配など当然無い、シンと静まり返った夜の世界に俺の足音だけが小さく鳴った。
―――ヒィィウ。
割れた窓ガラスにぶつかった風がゾクリとする様な音を鳴らす。それは無念のままに亡くなった人たちの慟哭の様で、そんな無念がここにはどれだけ溢れているのだろうかと思うと薄ら寒い気持ちになる。
そんな思いを抱えていたせいか、背後にある筈の無い視線を感じて一度振り返る。
「気のせい……だよな。ははっ、当たり前だよな……」
ブルリと背筋を震わせながら足早にトイレへと向かうと素早く用を足した。
眠くなるまでどこで風に当ろうかと考え、まぁ何処でも同じかと一番近くに在った教室へと入り、ゾンビがいないかどうかだけは念入りに確認してからベランダへと出る。
ベランダに出た瞬間に一度強い風が吹き、室内よりも格段に涼しい風が肌をゾワリと撫であげる。
昼間よりもかなり薄くなった気がする死臭や腐敗臭、今なら大丈夫そうだと大きく深呼吸した。
そう言えば聟島さん達は蒼い壁がどうと言っていたっけな?何となく正面に目を凝らしたけれどもそこには見慣れた校舎の屋根が見えるだけ……。
そう言えば街の境目って一体何処なのだろう?そんな事を思いながら考えるのを一度止め空を仰ぐ。
見上げた夜空には今日も歪で気持ち悪い星星が浮かんでいて、無意識に癒しを求めるかの様に星を見上げた俺を嘲うかの様にチカチカと瞬いていた。
「うわぁぁぁぁっ、綺麗だね!向こうにオーロラみたいなのが見えるよ?」
「うわぁっ!えっ?あ、え?……なんで悠璃がこんな所に?」
突然真横から掛かった声に情けなく悲鳴を上げながら体をビクリと跳ねさせる。
慌てて振り向いた先に居たのが悠璃だと確認した後も心臓が早鐘を打つ。
「あっ……ごめんね?急に声掛けたら驚いちゃうよね?でも余りに綺麗だったから、つい」
暗がりの中で申し訳無さそうに眉を下げる悠璃、小さな身体を更に縮こまらせて、何だかこっちが困らせている様な気分になる。
「あっ、ううんそれは全然大丈夫、こっちこそビビリすぎてゴメン。それで悠璃は何でこんな時間に?何かあった?馴染んでそうな感じだったけど、実は居辛かったりして出て来てたとか?」
「え?あぁ違う違う。皆良い人だから快く受け入れて貰えてるよ。たださ、何だか目が冴えちゃって眠れなくて、それでゴロゴロしてたら秋斗が外に出て行くじゃない?一人だと怖いから今がチャンスかも!って」
悠璃は人差し指を立てながら真面目な顔をして話し、そしてポカンとしながら聞いていた俺と目が合うと、数秒の間をおき表情を一転させて破顔する。照れた様に笑う悠璃の笑顔に釣られて俺も微笑んだ。
「それでね?秋斗が真っ直ぐお手洗いに入って行くのが見えたんだけど、流石にボクも怖いからってそこまでは付いて行けないし、仕方なく物影でこっそりと隠れて待ってたんだよ」
「質悪っ!驚かそうとしてたって事かよ」
「あはは、後ろから背筋を撫でたらどんな反応するかなぁって」
立てた人差し指をツーッとゆっくりと下げ降ろしながら、おどけた表情を見せる悠璃の姿は月明かりに照らされて何時もより尚可愛らしく、見ているこっちの表情も緩んでいくのが分かる。
だけどそれはそれ、これはこれ、中指と親指で輪っかを作ると、にこやかに笑みを浮かべたままそれを悠璃の狭いおでこに持って行き。
「あいたぁぁぁぁ!もぉ酷いよ秋斗」
涙目の悠璃はおでこを押さえたまま「これコブになるよ」と見える訳もないのに自分のおでこを見ようと上目遣いをしている。
そんな悠璃から視線を外すとベランダの手摺りに体を預ける。
「こんな所で悪戯を企む悪い後輩にはお仕置きが必要だからね」
「未遂で終わったのにこの仕打ちは酷いよ……。それにあれは驚かせようとしたんじゃなくて、オーロラにビックリしただけなのになー」
ブスッと頬を膨らませてむくれた表情を見せる悠璃が気になる事を呟いた。
「オーロラ?」
「そうだよ?えっと……ほら、あっちに」
手摺りから身を乗り出しながら悠璃が指差す方向へと視線を送る。確かにそこには蒼く光るオーロラの様なものが空一面に浮かんでいたのだった。
「もしかして、あれが聟島さん達が言ってた蒼く光る壁なんじゃないか?」
「えっと、街を囲んでるかもって壁だよね?触ると蒼く光るって言ってたけど……でも光る場所おかしくない?」
確かに聟島さんは出ようとして触れると蒼く光るって言っていた気がする。
じーっと目を凝らすが流石にここからではよく見えない、結構な位置にある壁が光ってるのだから流石に人では無いだろうと思うけど。
「あ、秋斗秋斗、よく見たらあっちの空でも、あれ?あっちでも、こうして見ると色々な所で光ってるよ?まだこんな夜中だけど……鳥とか虫とかかな?」
「んー……なのか?昨日はこんなの分からなかったな」
夜空には小さな丸い波紋が幾つも生まれ、それはゆっくりと端から順番に移動した。そして動き始めたその蒼い波紋は夜空の一部分へと集まっていくと。
―――!
まるで音の無い花火の様に夜空を染め上げた。連続して浮かんだ波紋は、しかし無秩序では何処か一つの意思の元に起こされた行動の様で、十秒にも満たない僅かな時間ではあるけど、蒼く夜空を彩った。
「グスッ……」
小さく鼻を啜る音に隣を見る。すると悠璃はどうして涙が零れるのか分からないといった表情のまま、大粒の涙を落としていた。
自分が泣いている事に気が付くと慌ててその目元を擦る。俺はポケットからハンカチを出しかけ、流石に汗まみれのコレを使えと渡すのも躊躇われて仕舞い直した。
「急に泣いちゃってごめんね、何でだろ、あの蒼い光を見ていたら悲しい気持ちになっちゃって……」
悠璃は手の甲で涙を拭い取るともう一度夜空を見上げた。そこにはもう蒼く光る波紋も何も無く、昨日と同じ不恰好な夜空だけが浮かんでいた。
「怖い事が起こり過ぎて情緒不安定になってるのかな?やだなぁ……あはは」
少しだけ困った様に笑う悠璃、その姿が迷子の子供が泣いているそれの様で、考えるより先にその頭をそっと撫でてしまっていた。
ビクンと一度肩を震わせて体を強張らせる悠璃、睦月の忠告を思い出して慌てて「ごめん」と離れる。
「ううん!大丈夫だから、慰めてくれようとしたんでしょ?ありがとね、秋斗」
そう笑って手をパタパタと振る悠璃の姿からは彼女の本当を見抜くことは出来なかった。それは悠璃が隠すのが上手いからじゃない、ただ俺の観察力の無さだろうと後になってから気がつく事になる。
―――それも最悪の形でだ。




