四十一話
「二人共本当にごめんねぇ……?えっとぉ、こっちは準備出来たのでぇ、それじゃぁ悪いんだけどお願いしまぁす」
ホースを通す為に僅かに開けられた窓、そこから聞こえてくるのは悪いと言いながらも弾むような愛美さんの声、そんな声を合図に俺はポンプを上下に動かし始めた。
繰り返す事数度、スカスカだったポンプの圧力が徐々に増え、更にそれを繰り返す事数回、腕に確かな重さを感じた瞬間、窓の内側からは「わぁ」っと三人の弾けるような歓声が上がった。
「わっ、本当に出たよぉ!」
「凄いのデース。ちゃんと水が出てるのデース」
「冷たい、けど……気持ち良いわ」
「でしょでしょぉ?ほらほらぁ」
「もぅ、愛美ばっかり遊んで無いで、私にもシャワーを貸して欲しいのデース!」
「あ、カノン、もぉ仕方が無いなぁ……てえぃ!」
「もー意地悪しないで私にも貸して欲しいのデース」
床に敷いておいたスノコの上を走り回る音がここまで聞こえてくる。久々のシャワーにテンションが上がりに上がっている事だけは音を通して伝わってくる。
「良いよ良いよぉ、怒った顔もキュートだよぉー?えい!」
「ひゃぅ……。冷たっ!もおー!良くもやってくれたのデース!そうして我が物の様に権力を振りかざせるのも今だけなのデース!海、手伝って欲しいのデース!権力には屈しないという意思表明をするのデース!」
「え?突然ボディーソープなんて泡立てたりして何を?―――ってああ、そういう事ね。ふふっ……、カノンさんは本当にもう仕方の無い子ね?」
「愛美、覚悟するのデース!さぁ降参するなら今なのデース!その権力を渡すのデース」
「えっ……?きゃっ!―――ちょっと、止めてよぉ……カノン冗談でしょ……?ダ、ダメだってぇ。んぅ、分かったってばぁ、渡す渡すってぇぇ!」
重いものが倒れる様な音が響き、続いてバタバタと何かが暴れて争う様な音が聞こえてくる。
「んふふー♪残念ながらもう手遅れなのデース。でも安心して良いのデースよ?大丈夫、痛くしないのデース!」
「いやいやいや、ダメだってぇもぉ!ほら海も微笑んで無いで止めてってばぁ、カノン!離れてよぉ、ああもぉその手の動きに安心なんて一ミリも感じられないからぁ」
「んふふー、海は背後から……そう、ナイスなのデース!さぁ愛美?観念するのデース」
「海の裏切り者ぉぉ!あっいや……だって。―――んっ、本当ぉに、んぁ……ダメだってばぁ、ひぅ、いい加減にしないとぉ、んんっ、本当におこ……あぁ、んぅ……くっ、おねがっ……本当に止め、て……」
室内から漏れ出てくる酷く艶かしい声にゴクリと喉が鳴る。
動悸も信じられない程に早くなり、だいぶ日も落ち、暑さのピークなんて過ぎ去った筈なのに口腔内がカラカラになる。
今も途切れ途切れに聞こえてくる愛美さんの艶めいた声に、そういう光景を妄想するなと言う方が酷な話しだと思う。
だって男子高校生だぜ?これが俺一人だったなら、いや睦月と二人だって良い、それならご褒美ありがとうございますって心の中で叫んでいたさ。
だって男子高校生だからさ!
なのに……ああ……。憧れの先輩の艶声を一緒に聞いているのが後輩の女子高生って、一体どんなプレーだよ。
少しでも愛美さんの声に反応を見せたりでもしようものなら、悠璃と紗希の二人の視線が一気に冷たくなる。
こっちは仕様なんだよ仕方が無いんだよ!
全くどんな拷問だ……。隣で同じく冷や汗を流している睦月と一度目配せしてから溜め息を吐く。
六月のかなり長くなった日照時間のお陰で明るく照らされた室内から漏れ出す声、愛美さんの甲高い艶声と同じように室内の熱気も上がっている事だろう。
しかしそれとは逆に一つブルリと身震いしてから空を見上げ思う。
出来ればカノン先輩には早めに満足して頂いて、俺達をこの状況から一早く解放して頂きたいものだと切に願うのだった。
「二人共ありがとうございます。シャワー終わったので、もう止めて貰って平気ですよ」
「……」
「あきとん?おーいあきとん?海さんがもう良いってさ」
気持ちは修行僧にでもなった気分、座禅でも組んでいたならさぞ良い時間を過ごせたのではないだろうか?
目を開けたままの瞳には流れる雲が通り過ぎる景色をぼんやりと映す。
「おーい、あきとーん?」
肩を揺すられる感触、先程まで感じていた不思議な感覚は現実へと引き戻された。
どんどんと艶やかになり激しくなっていく愛美さんの嬌声、それと同時にどんどんと冷めたプレッシャーを増していく二人、その相反する二つの事に俺の精神は無意識に感情を殺す事を選択したらしい。
危うく、一は全、全は一とか言い出しそうになった。
と言っても、思い出すとナニかが反応しそうになる程には耳に残ったあの声は、きっと暫くは忘れる事は出来ないだろうし、きっと後で思い返してしまうことだろう。
だけど今はいけない!心を波立たせない様に無心でただひたすら行動する。まだ社会的に終わりたくは無い。
「―――それにしても凄いデース、秋斗が作ってくれたコレ、ちゃんとシャワーになってたのデースヨ?」
「本当上手に作ったわよね。シャワー、凄く気持ちよかったわ」
僅かに開いた窓から聞こえてくる声は俺をべた褒めしてくれ、その声を聞いただけでペットボトルに穴を空けただけのシャワーヘッドだったけど作って良かったと頬が緩む。
そんな二人の声と声の合間に「うぅ……はぁ、二人共酷いよぉ」なんて愛美さんの声が聞こえているのだけど、その息遣いはまだ若干荒く二人を批難しながらも必死に息を整えているようだった。
「ハイッ!本当に気持ち良かったデース。あっ、でも愛美が一番気持ち良さそうだったのデース」
「ふふっ、確かにそうね」
「もぉ!二人共後で酷いんだからねぇ!」
漸く愛美さんの息も整ったのか、コロコロと転がる様な三人の笑い声が響き、少しだけ空いた窓からは笑い声と共にシャンプーのとても甘くて爽やかな良い香りが流れてくる。
「それにしても、鈍感、女心を理解しない、心の機微に疎いで有名な稲田さんが皆の為にシャワーを作ってくれるなんて思っていませんでした。普段からその位女子に気を使えていたら……あら?それだと不純異性交遊で停学になっていたかしら?」
「あ、あはは、きっと停学の前に刺されて刃傷沙汰になってるよぉ?それに秋斗君は女心を分からない振りをしてるだけでぇ、別に本当に鈍い訳じゃないと思うんだなぁ。多分面倒臭がり屋なんだよぉ、きっと気がついても気付かない振りしてるんだよぉ」
「オーウ……余程性質が悪いのデース」
窓の隙間からクスクスと漏れ聞こえてくる笑い声。ペットボトルに穴を開けてシャワーヘッドっぽい物を作ったり、ブルーシートやスノコを敷いて簡易シャワー室を作ったり、廊下側からは簡単には人もゾンビも入って来れない様にと大量の机やロッカーで塞いだりと、睦月と一緒に結構頑張ったのに、その努力の結晶とも言えるであろうその場所では何故か言われたい放題言われている。
海先輩、俺、停学になるような恋がしてみたかったです……。
愛美さんに至っては本当に酷い、俺だって結構女子部員に気を使ってましたって!それでも尚、彼女の一人もいなかったなんて、言ってて何だか悲しくなってくる。
ほら睦月だって隣で声を殺して腹を押さえて笑っている。
「ちなみに紗希はどっちだと思う?ボク的には秋斗は純粋に鈍いんだと思うんだけど?」
「秋斗先輩ですか?んー……普段からフラグを立てるだけ立てて放置してるのを見ると、ハーレムでも作りたくてわざとそうしているんじゃ無いのかなって思う事はあったのです。―――だけど不思議と話していてもそういう厭らしさはチラリとも見えないんです。だとしたらもうこれは、そんな目に見えそうなフラグですら見逃すレベルの鈍さだと言い切っても良いと思うです」
そう言いきり悠璃の顔を見つめた紗希は、しかし一度思案顔を見せた後でクルリと俺へと向き直るとその人形の様に綺麗な顔でニコリと一度微笑んだ。
「まっ、どちらにしたってそんな男に恋した女の子が悪いのです。悪いのですけど……ね?」
そう吐き捨てた紗希は一瞬だけ唇の端を吊り上げ極上の笑みを浮かべた。
その笑みは誰もが見惚れる程に妖艶で、美しく、しかし見ただけで棘……と言うよりは毒が含まれている事を感じさせるものだった。そんな紗希の笑みに薄ら寒いものを感じながら俺はそっと視線を反らすのだった。
「紗希にそこまで言わせるなんて凄いよね?秋斗ってボクが思ってたよりもずぅっと性質の悪い男の子だったんだね?」
「なのです。だから気をつけなきゃダメなのですよ?うちの部では何人も何人も女の子が泣いたのです。それはもう……ダース単位でなのです」
「いや、流石にそれは嘘だろっ!」
流石にダース単位って、十二人に好意を持たれてたら幾らなんでも何処かで気がつくだろと、つい条件反射で口に出た言葉、睦月がくつくつと笑いながら「ドンマイ」と背中を叩く。
「悠璃ちゃん、よく見ておくのですよ。あれが女の敵の顔なのです……」
「そっか、分かったよ。あれが敵の顔なんだね……」
世の中からは未だに熱が引かずに、こうして黙って座っているだけでも蒸し暑い、だけどそんな暑さを忘れさせる程の二人からの冷たい視線を浴びながら、俺は弁明を諦め大きく溜め息を吐き出した。
色々と頑張った筈なのに、一体どうしてこうなったかと重い息を吐き出しながら空を仰ぎ見る。
勿論早くこの場から開放されたいと願いながらだ。




