三十四話
「……ん?あれって生徒会の連中じゃね?」
視聴覚室の扉をゆっくりと押し開けた先へと視線を向けたまま小さく睦月が呟いた。
バタンと閉まる扉の重厚な音に一斉に集まる十五人分の視線、その視線は全てが好意的なものじゃなく、生徒会の三人からの視線は中々冷たいものだった。
いや三人というよりは主に一人か……、確か書記だった筈のその女子生徒は、何故か目尻を吊り上げ睨みつけてくる。
そんな彼女の怒気に先程までの和やかな空気は一変して、どこか困った様な白けた様な、そんな空気になってしまっていた。
「賑やかみたいだけど何かあったんですか?」
「あっ、秋斗……あのね、あ、睦月先輩もちょっと……」
トタトタと眉を八の字にして近寄ってきた悠璃は、睦月と俺を屈ませると耳元に唇を寄せて極小さな声で囁いた。
「―――ボク達でお昼ご飯の準備していたんだけどね、カセットコンロとか食材とかは今朝に生徒会の人達と聟島さん達が集めて来たものだったらしいんだよね。それでボク達が人数分のご飯を作っているのを見たら、生島さんが食材を許可なく使うのはどうなんでしょうね?せめて生徒会長に挨拶して、ここに居ても良いと言われてから使うのが筋なのじゃないでしょうか!ってすっごい剣幕でね」
「なるほどな……。オーケーオーケー大体分かったわ、うちの生徒会はマジで残念な位に器がショボイって事な」
悠璃の話に睦月がため息交じり呟いた言葉、俺はそれに「ほんとにね」と小さく呆れ混じりに答えて背筋を伸ばす。
敵意は無いと分る様にバットを悠璃へ預けてから生徒会の三人がいる方へとゆっくりと歩きだした。
途中書記の女性の目の前を通りかかる。何か言いたげなヒステリックな瞳を一瞥するとその先に居る生徒会長の目の前へと立つ。
後ろに立つ副会長が僅かに身体を動かし反応した所を生徒会長は優雅な手つきで押し留めた。
「生徒会長で……良かったですよね?始めまして、天文学部二年の稲田秋斗です。危ない所をうちの部の先輩でもある愛美さんに助けて貰ってこうして匿って貰ってました。行き違いで挨拶が遅れてそちらの書記の方に不快な思いをさせたみたいですみません。もし問題がないようでしたら仲間の皆も紹介したいのですが大丈夫ですか?」
慇懃無礼にならない程度に言葉に気をつけて丁寧に接する。
もしこれでもああだこうだと言うようなら別にここに居なくても良いとまで思っていた。って言うか仲間の責任を取るのはリーダーの務めだからな?生徒会長って言っても書記一人すらも抑えられない程度なら器の程度が知れてる。一緒に行動するのに意味が無い。
「稲田君ですね。始めまして自分は生徒会長の加賀屋悟です。後ろにいるのが副会長の小松寛治、後そちらが書記の生島諒子君です。彼女も悪気がある訳では無いと思うのだが、まぁ状況が状況だ……神経質になってしまうのは大目に見てやって欲しい」
生徒会長は自己紹介をしながらノンフレームの眼鏡を指先で押し上げる。
正直いくら生徒会長とは言え、話した事も無いから名前なんて覚えていなかったから自己紹介してくれたのは助かる。
ヒョロリと細長い身体からは想像付かない程に良く通る声をした……神経質そうな男、それが何時も壇上で挨拶する生徒会長のイメージだった。
こうして目の前にしても神経質そうなイメージなんかはそのまんまで、口元に薄く浮かんだ笑みと全く笑っていない瞳が何処か腹を探られてる様な気になる。
良くも悪くも学生らしくない雰囲気は、数年前に就職して一足先に世間の荒波に揉まれて最近少し病み始めたサラリーマンの従兄弟に似ていて、同じ高校生の筈なのに少しだけ心配になる。
「小松寛治だ。こういう状況で何をするにも人手は必要だからな、仲間は一人でも多いに越した事は無い、よろしく頼む」
会長の背後から一歩進み出て挨拶をする角刈りで中肉中背の副会長、表情筋がピクリとも動かないまま挨拶をする様は、映画なんかに出てくる軍人を想像させる。
「生島です……会長がお優しいからって付け上がらない様に、この世界に訳の分からないものが溢れようとも守るべき規律は在るべきなの!規律が無くなれば組織は成り立たないわ、そういう事も心得て行動して欲しいものだわ」
書記の生島諒子は端正な顔立ちではあるけど、以上にきつい目付きが全てを台無しにしていると個人的には思う。
今もその強烈に敵意を持った瞳で睨んできている訳だけど、彼女は何と戦っているのだろうか?
きっと勉強は出来るのだろうけど、プライドが高そうな物言いがなまじ顔が整っている分だけ残念感が半端ない。
言い終わるとフンと音が聞こえそうな程の勢いで振り返り、生徒会長の方へと歩いて行くのだけど、背中でブンブンと揺れ動く三つ網は崩れる要素も無いほどにガッチリ編み込まれ、最近では珍しい程に立派で太い三つ編みだなって感心してしまう。
でもまぁ、とりあえずは受け入れられたって事で良いのだろうと判断した俺は、生徒会の面々の自己紹介が終わるとすぐに睦月、悠璃、紗希と順に自己紹介をした。
自己紹介が終わるとすぐに昼食となり、皆が作ってくれていた焼肉丼をご馳走になる。
冷凍されていた為に無事だったという肉を焼いて、それに市販の焼肉のタレをかけただけの焼肉丼、香ばしく焦げたタレの香りが食欲を刺激する。
冷凍の肉だしきっと安い肉の筈なのに、それはこれまで食べたどんなお肉よりも美味しくて、最後の一切れを口に入れた時、こんな状況でこうして普通の食事にあり付けた幸運と、この先まともな食事なんて後何回出来るのだろうかという現実的な問題に少しだけ悲しくなった。
「そう言えば色々とあって言うのを忘れていました。先ほど見回りの途中で袴田先生達のグループに出会いました。先生達の方にも十人程の生き残りの方たちがいらっしゃるとの事なのですが、今日起こったあの破壊で集めていた全ての食料と、沢山の仲間を失ってしまったそうなのです。ですので皆さんが宜しかったらこちらで確保している食料をある程度お分けしようと思っているのですが如何ですか?」
食事も終わって雑談の最中生徒会長が口を開く、会長の視線は聟島さん達に向けられていて、ここまで大変な思いをしたのであろう人達からの許可が欲しいのだろう。
「ひははっ、別に任せるぜ。俺達は俺達でやりたいようにやるし、お前等はお前等でやりたい様にやれば良いさ」
「では、袴田先生達には自分の方からお分け出来るとお伝えしておきます」
そう言う会長は満足そうに頷くと、話はもう無いですとばかりに立ち上がる。
「はぁ……ちょっと待てよ。俺達よりも先に聞くべき相手がいるだろうが、筋を通したいならそこら辺を間違えるんじゃねぇよ」
会長を睨みつける豪太さんの迫力というか眼力は、自分に向けられたものじゃないと分かっていても思わず身が竦む。
実際にその視線を直接浴びた会長の顔は僅かに引き攣っているし、絶対に背中とかにはびっしりと冷や汗を掻いている事だろう。
「え、ええ……そうでしたね。自分とした事が……すみません、何処か気が急いていたのですかね。―――それで如何ですか飯塚君、問題ないようでしたら協力するべきだと考えるのですが」
豪太さんに促され愛美さん達へと体を向けて確認する会長、その頬には汗が浮かび、緊張からか眼鏡が僅かに曇っている。
愛美さんは恐らくはダメとは言わないだろう。勿論俺だって生き残っているのなら助け合いたいとは思う。
だけど個人的には正直こんな状況に陥ってもまだ、あんな教師にでも媚を売りたいのかと溜め息が出そうになるというのが正直な気持ちだ。
「袴田先生、ですかぁ……。ええ、こういう状況なので食料を分けるのは構いません。ですがもしも協力というのが一緒に行動する事になると言うのであればぁ……、すみませんがその時は私達は一緒には行動出来ません」
愛美さんは僅かに表情を曇らせながら、しかし出来る所と無理な所の線引きだけはきちんと伝えた。確かに正直袴田先生には良い噂が無く、個人的にも望んで行動を共にしたいとは思わない。
「お前はっ!会長が下手に出れば調子に乗って!貴女達なんて好きに出て行けば良いじゃないの!誰も頼んで―――」
「諒子君っ!君は状況を理解しているのか?今はそういう言い争いをしている場合じゃ無い事が理解出来ないのか?全く……我々が会長の足を引っ張ってどうするんだ?感情で口を開くのも大概にしたまえ」
副会長に諌められると空気を喉に詰まらせた様に顔を顰め、しかしそれを飲み込むと同時にふんっと不機嫌そうに顔を反らす。
不機嫌さは微塵も隠す気は無さそうだが、ここで揉めるつもりは無いのか大人しく数歩下がる。
「飯塚君、決して我々と袴田先生達とで一緒に行動するという訳では無い。ただお互いに生き残るため、出来る範囲の協力はしていこうというだけの話ですよ。何かあった時の協力体制はどれだけ作ったとしても無駄にはなりませんからね」
「そう、ですかぁ……、でしたら良いのですがぁ」
喉の奥に小骨が引っかかっているかの様な微妙な表情を見せながら、しかしこれ以上言い合う事でも無いかと愛美さんは一応の納得はしたようだ。
「なんだか面倒臭そうな話になってきたな」
睦月は僅かに顔を顰めて生徒会の面子に視線を向ける。それに倣って視線を向けると満足気に微笑む生徒会長が目に映った。
「袴田先生かぁ……ボクはちょっと苦手だよ。あの視線が、特にね……」
「ですです……鳥肌がたつのです。あのネットリとした視線だけで妊娠させられそうって女子生徒の大半からは敬遠されてるのです」
「まっ、弱みを見つけたら骨の髄までしゃぶり尽くす……みたいな話は聞いたことがあるしな。実際何人もあいつのせいで学校を辞めてるって、まぁ……あくまで噂だけどな」
三人が三人ともろくでもないイメージを抱いている事だけは分かった。そう言えば、袴田……名前は何て言ったっけ、ダメだ覚えて無いや。
兎に角四十台後半の独身教師だ。彼が受け持つ物理の授業がうちのクラスに当っている事もあり、彼が女子受け最悪な事は十分解かっている。
俺は今年初めて担当に当ったんだけど、最初の授業の自己紹介が思い出すだけでドン引きする程、まぁ酷かった。
「あー、兎に角最初の自己紹介が酷かったよね。何だっけ?『袴田だ。最近はメタボリックなお腹が気になる四十代独身、彼女は何時でも募集中だ。二十四時間受付中だから何時でも遠慮なく言って欲しい、年上の魅力っていうのを教えてやるぞ』だっけか?」
「うわぁ……ドン引きです」
「不恰好なウインク付きでの自己紹介でさ、一気にざわつく教室内とは逆にどこか満足気な袴田先生に、腕中に鳥肌をたたせた隣の席の女子生徒が顔面を蒼白にしていたのが可愛そうだったよ。ってかさ、今まで良く訴えられなかったよな……。このハラスメントに敏感な昨今、セクハラで訴えられたら絶対に負けると思うんだけど」
「いや、保険室の優子ちゃんの話しだと、理事長に呼び出されて厳重注意喰らってた筈だけどな、だから少しは大人しくなってても良さそうなものだけど……、そもそも大人しくなって尚気持ち悪い説まであるからな」
そう一度思案顔を見せ、直後に何か思い出したかのか、うへっと顔を顰めて頭を振る。
「むむむ?先輩は優子先生と仲良しなのです?」
「ああ、佳奈と裕子ちゃんが仲良くてな、その関係で俺も仲良くさせて貰ってるんだよ。だからまぁ紗希が期待する様な女医と生徒の秘密の関係、とかじゃねぇぞ?」
睦月は薄く笑うと「全く紗希は耳年増だな」と肩を竦めてみせた。
「バッ……女子高生になんて想像を期待してるのです!ギルティです!別に期待なんてしていないです。寧ろ……」
一瞬言い淀みジトッと睦月を睨みつける紗希、何だかラブコメ臭が気になるがあえてのスルー。
気配りの来る男なのですよ、俺は。




