三十一話
「うそ……」
顔色を青くして絶望的な表情を浮かべる愛美さん、余程ショックだったのか暫く呆けた様に薄暗い視聴覚室の天井の一角を涙を流しながらジッと見つめた。
「あぁもぉ……何でこうなっちゃったんだろうねぇ……」
そう呟いた愛美さんは崩れる様に座り込み両手で顔を覆って泣き出してしまった。
慌てた皆が愛美さんの元へと駆け寄り華奢なその背中を撫でていた。
俺もそうだから分かる。悲しみと辛い現実が連続で押し寄せ気持ちが追い付かないのだろう、なんだかんだでうちの部は仲が良かったから……。
田中の事も部長の事も、他の女子部員の皆の事も、本来なら友人が一人が亡くなる事だって簡単に受け入れられる事じゃないないのだから……。
「ごめんねぇ……急に取り乱しちゃってぇ……。もう皆に会えないのかぁって思ったら急に悲しくなってぇ……、でももぉ大丈夫だから。田中君の事だってねぇ、姿が見えなかった時から最悪なんて想像してたのに、それでも誰かが死んじゃったなんて認めたくなかったんだぁ……」
クシャリと再び顔を歪ませた愛美さん、折角泣き止んだのにその大きな瞳には大粒の涙が滲む。
「やっぱりさぁ……誰かが死んじゃうって、凄いキツイなぁ……」
言い終わると同時に、再び愛美さんの頬に零れた涙、慌てて指先で涙を拭い取るものの涙は次から次へと零れ落ち、海先輩とカノン先輩が挟み込む様に抱きしめるのだった。
いつの間にか慰めにいった筈の先輩達も泣いていて、そんな三人を見ているうちに残りの部員達も何時しか泣き出してしまう。
紗希と悠璃はお互いに手を握り締めながら、睦月は壁に背を預けて瞳を閉じながら、皆が落ち着くのを待っていた。
俺は然程大きくは無い窓から見える景色に視線を向ける。窓の外には巨大な鱗雲が浮かび、いくつもある雲の隙間から射し込む光はなんだか忙しなく、何となく騒々しい田中を連想させるものだった。
(田中……どこかで見てたりするのか?お前がいなくなって俺も悲しいけどさ、皆も悲しんで泣いてくれてるぞ)
そんな事を考えていたからか、ふと田中の声が聞こえた気がして周囲を見回し、ある訳ないよなと肩を落とす。
薄暗い視聴覚室の中では、少女達の声を殺した泣き声が暫く響いていたのだった。
「うん、もう大丈夫、ごめんねぇ本当なら一番しっかりしないといけないのに……ダメだなぁ、ゴメンね弱くって」
あれから数分程彼女達は泣き続けた。しかし一人また一人と顔を上げると、顔を上げた者から順に隣の者の背中を擦ったり、肩を抱きしめたりしていた。
まるでその辛さや悲しさをそっとお互いが支え合うかの様な姿は、凍えない様にお互いの体温を分け合っているかの様だった。
だけど誰かが隣に居てくれると感じられたからだろうか、泣き止んだ後で下を向いている者は誰も居なかった。
「愛美は謝る必要なんてないのデース、あの地獄の様な状況の中、今もワタシ達が前を向いていられるのは愛美のお陰なのデース」
「ええそうね……カノンさんの言うとおりだわ。愛美さんが残った皆をまとめてくれていなかったら私達は今頃死んでいたかも知れないもの、だから胸を張りなさい」
カノン先輩が愛美さんの手を取り首を振る。その言葉を引き継ぐ様に海先輩が自らの手を胸の前で組みながら言葉を重ねた。
当時の光景を思い出しながらなのだろう、その声は少しだけ震えており、伏せられた瞳も相まってその姿はまるで祈るかの様だった。
「ううん……皆が居てくれたら、皆で協力しあったから生き延びられたんだよぉ。私一人だけじゃ絶対に無理だったもの」
愛美さんは首を振りながら六人全員の顔を見回した。その柔らかな光を湛えた大きな瞳でゆっくりと全員の表情を確認するかの様に見つめ、続く言葉をゆっくりと語りだす。
「あの後ねぇ……、悠璃ちゃんと紗希ちゃんとはぐれてしまってから、私達は玄関方向へと逃げたんだぁ、途中で二人がはぐれてしまっている事に気が付いたんだけどねぇ、濁流の様に流れだした人の波を掻い潜って全員で取って返すにはあの状況では出来なかったんだぁ……。結果的に二人の事を見捨てる様な形になっちゃってごめんなさい……」
愛美さんは眉を僅かに歪めて小さく頭を下げる。茶色に染められた肩よりも少しだけ長い髪の毛が、沈み込んだその表情に合わせるかの様にサラリと揺れる。
普段ならば人好きのする明るくて大きな瞳、そこには今は暗い影が落ち、小さめな唇から零れ出る言葉はどうしても疲れの色が濃く滲む。
「ハイ、とても怖かったのデース。満員電車の様な人ごみを潜り抜けて、何とか校舎の出口へと向ったのデース、でもそこにはまるで待ち構えていたかの様に数え切れない程のゾンビが犇き合っていたのデース」
何時でもニコニコと能天気に笑っていたカノン先輩、その時の光景を思い出したのか今はその表情を恐怖に歪ませ、よく見れば全身が小刻みに震えていた。
「カノンさん大丈夫よ……もう大丈夫だから、ね?」
カノン先輩は少しだけ灰色がかった黒髪を僅かに左右に揺らしながら、まるでイヤイヤをする子供の様に何度も首を振り、その背中を海先輩が優しい手つきで撫でていた。
「あの時出口を求めた人達が昇降口へと一気に殺到したんだぁ。満員電車とか乗った事あるかなぁ?降りたい駅に着いたのに鮨詰め状態の車内で、降りたいのに身動き出来ないもどかしさ、そんな状況がずっと続いてたんだぁ。―――気が付くと何時しか周囲には怒号と泣き声が溢れかえっていたわぁ……。誰もがどうしたら良いか分からず、自分から行動するのも怖くて周囲の様子を伺うだけの時間。そんな中で私達の少し前にいた名前も知らない男子が急に奇声を上げたのぉ。―――もう何を言っているのかも分からない程に興奮しながら、前にいた人達を無理やり突き飛ばし、殴りつけ、人波をかき分けながら走り出したんだぁ。そしてゾンビに食べられた……」
そこで愛美さんは一度言葉を区切り「ちょっとゴメンね」と断ってペットボトルの水を一口含んだ。
全員に「喉が渇いていたら飲んでねぇ」と小さく告げると話しを再開した。
「結局それが引き金になってしまったのぉ。まるで限界まで空気を入れていた風船に針を突き刺したように、そこに居た人達の恐怖が限界まで達してパニックは一気に拡大したわぁ。押されて転んだ何人かが押しつぶされたし、身動きの取れなくなった所をゾンビに襲われている人も何人も見たわぁ。それは言葉では正確には語れない位、本当に、本当に酷い光景だったわぁ……」
「わ、私はそこで眩暈をおこしてしまって、あの時部長が肩を貸してくれなかったらきっと……。それなのに!部長があんな事になっちゃって……私っ!」
愛美さんがその時の状況を思い出しながらゆっくりと語ると、その言葉にその時の恐怖を思い出したのか、うわぁぁと花子が顔を押さえて泣き始めてしまう。
突然泣き出してしまった花子、その取り乱し方は普段の彼女からはとても想像も付かないものだった。
伊藤花子、俺とはクラスは違ったけど、昼などの休憩時間には田中の教室に行く事が多かった為部活以外でも毎日顔は合わせていた彼女。
基本的に見た目も雰囲気も派手さは無く、大人しく控えめな性格もあって余り目立つことは無いのだけど、静かに微笑む姿がグッとくるとクラスでは隠れた人気があるんだって田中が言っていた。
普段あまり感情を表に出さずに静かに微笑んでいる姿が印象的な花子が感情を露わにして泣き出してしまった。愛美さんはそんな花子の元へと急いで駆け寄って正面から優しく抱きしめた。
何度も何度も「大丈夫だから」と優しい声音で囁くのが聞こえてくる。
しかし一度火の点いてしまった悲しみや自己嫌悪の炎は直ぐに消えるものでは無く、花子が落ち着くよりも先にその想いは広がってしまい、それまで俯きながら黙って聞いていた一年生の萌花に声を上げさせる。
「花子先輩だけじゃなくて、私も……!私も部長に助けて貰いました。折角皆で何とか階段まで逃げてこれたのに、それなのに!私があそこでゾンビに気がつかなかったばっかりに、私を庇って部長は齧られちゃったんです……」
当時の事を思い出したのか萌花が片手をきつく握りしめたまま、悪いのは自分なのだと身を乗り出して声を上げた。
部内でも一番身長の小さい、それこそ百五十センチにも満たない身長、ともすれば中学生にも間違えられる程小柄な身体を精一杯伸ばして、悪いのは私なんだと叫ぶその姿は何処か罪の告白をしている様で、その声も尻すぼみに徐々に小さくなっていった。
すぐに大きくなるから大丈夫だと、彼女が好んで来ているサイズが合わないぶかぶかな制服の袖口から覗く拳、小さくて華奢なその握り拳は小さく震えている。
「違うよ萌花ちゃん!萌花ちゃんは悪くないよ。私に肩を貸してたから、だから部長は!」
愛美さんに抱きしめられたまま、その肩口からガバッと顔を上げた花子だったが、その瞳から流れる涙を止める事なく必死で叫ぶ。
どちらもやりきれない思いを抱えたまま、いつまで経っても消化しきれない気持ちを抱えているのだろう、瞳に深い悲しみを湛えたままの二人の視線がぶつかり合うのはとても痛々しかった。
「あ、あのっ!花子先輩、萌花ちゃん、きっと誰が悪いっていう話じゃないと思います。きっと花子先輩も萌花ちゃんも悪くなくて、皆を想って咄嗟に行動出来た部長さんが凄かったんだと思うんです!き、きっと部長さんもありがとう、最後に助けてくれた時凄くカッコ良かったですって感謝された方が嬉しいと思うんです!だ、だからっ……」
萌花の隣でおろおろとしていた実が堪らずといった表情で口を挟む。普段から垂れ目で困り顔っぽく見えるのだけど、大きく眉を八の字に歪めるものだから更に困っている様に見える。
本人は少しぽちゃっとしている事がコンプレックスだと前に話していたが、可愛い系でぽっちゃりしているというのは本人が思う以上に需要があり、一定以上の人気があるらしいのだが、残念な事にそれを本人が気がついておらず何時も何処か自信なさ気におろおろとしている子だった。
そんな引っ込み思案な彼女が友達の事を思い勇気を出して紡いだ言葉、それは正しくその通りだろう言葉だった。
確かに部長なら「死にたくなかったけど仕方無い、俺はカッコよく逝った!」なんて天国で笑ってそうだと思わせてくれた。
「そうだよ……。部長さんならきっと、後輩を守って死んだなら、それは死に方としては悪く無いなとか、似合わないポーズを付けて格好つけて笑ってそうだよ」
「ふふふっ……、そうだねぇ、部長はふざけてばっかりの人だったけど、何だかんだ言って後輩想いだったからねぇ……。だから、うん、萌花ちゃんも花子ちゃんも、部長の事を忘れないでいてあげて?多分それだけで彼はきっと喜んでくれると思うからぁ」
柔らかく微笑みながら愛美さんが二人の頭を順に撫でる。花子は俯いたまま小さく何度か頷き、萌花は涙を湛えたまま小首を傾げる。
「そう……でしょうか?部長は許してくれるでしょうか……?私は許されて良いんでしょうか……?」
「そもそも誰も悪くないの、でももしもそれに納得できないのなら、皆が許されるべきだって私は思ってる。だから今はそうやって誰かに許される代わりに、今度何かあった時は私達が許して上げられる人になろう?」
「はい……、そうですね……。私はそういう人になりたいです……」
俯き肩を震わせる少女達の姿を皆は優しく見守った。
二人が顔を上げるのは思ったよりも早く、その表情は迷いを振り切ったような幾分かスッキリとしたものだった。
その後皆が落ち着くのを待って、改めて愛美さんから話の続きを聞いた。
玄関前で起こってしまった凄惨な光景に眩暈をおこしてしまった花子、そんな花子を部長が肩を貸す事で何とか階段前まで逃げ出せたらしい。
しかし何とか辿り着いた階段前でゾンビに襲われてしまい、一番ゾンビの近くに居た萌花を部長は何とか突き飛ばして助けたけど、その際にゾンビに左腕を齧られてしまったらしかった。
傷ついた部長を庇いながらその場はなんとか逃げ出す事が出来た皆は急いで二階へと上り、そしてゾンビがいない教室を探してそこへと逃げ込んだのだ。
急いでカーテンやドアを閉めると入り口の前に机を並べ、人もゾンビも簡単には入って来れないようにバリケードを築き上げたらしかった。
怪我をした部長は心配だったけど、混乱の中怪我をした部長に無理させるよりも、ある程度状況が落ち着いてから動こうとしたらしかった。
その時はまだ殆どの部員が生き残っていた。皆を助ける為に左腕をゾンビに齧られた部長が心配だったけど、何とかしようと皆必死に動いた。
だけどそんな矢先に部長がゾンビへと変貌してしまう。
ゾンビの進入を拒む為に並べた机が、まさかの自分達から逃げ場を奪う檻となってしまうとは誰だって思わないだろう。
仲間だった人達が化け物へと変貌し、次々と仲間を襲う悪夢の様な光景、悲鳴と泣き声が渦巻く混乱の中、それでも愛美さんが残った皆をまとめ上げ必死に机をどけて逃げ出したのだと涙ながらに語ってくれた。
やはり彼女達六人もまた、想像以上に酷い地獄を味わいながらも生き延びてきたようだ。
自分ならどうしただろうか、ふとそう考える。
数分前まで笑い合っていた仲間達が次の瞬間にはゾンビへと変わって襲ってくるなんて、そんな事を目の当たりにして俺なら正気を保っていられるだろうか?
あの時、もしも田中がゾンビになっていたとしたら、ゾンビに変貌した田中に襲われていたとしたら、俺はそんな中でも諦めずに生きようと足掻けただろうか?
俺は自信をもって勿論とは言えなかった。だからこそそんな絶望的な状況の中を生き延びてきた六人を心から凄いなと尊敬した。




