二十三話
「紗希!睦月先輩!すぐに下りてきて!ボクは秋斗を助けに行く!二人は退路の確保をお願い!」
秋斗が分断されたのを見た瞬間三階にいる二人へと叫んだ。
もうこうなれば音になんて気を使っている余裕なんて無い。今も一体、二体と飛び出してきたゾンビ、この調子でいけば直ぐに教室に居た五体ゾンビ全てが出てくるだろう。
分断された先では秋斗が必死にバットを振るっているのが見える。何とかこっちに戻ってこようと奮闘しているみたいだけどそれも上手くいかない様で、今も目の前から飛び出してきたゾンビの腕が当たって体制を崩している。
「無茶する気なら俺が行くから、お前が紗希とこっちに残れ!」
「ダメ!それじゃきっと間に合わないよ!」
ベランダの手摺りに体をぶつけながらも回転して、何とかその場を脱しようと足掻く秋斗の姿を見て、どんなに楽観的に見ても長い時間耐えられそうな状況じゃないと思った。
ボクは二人の返事を待たずにこの場を任せ、手摺りに足をかけて飛び跳ねる。
一気に視界が高くなり風が僅かに吹いただけでグラつきそうになる体を必死に立て直し、近寄ってきたゾンビの顔面を躊躇せずに蹴り付ける。
体勢を崩したゾンビは頭からガラスへと突き刺さり、ガシャァァァァアン!と耳を塞ぎたくなる程のけたたましい音を立てる。
結果としてその騒音が上手く他のゾンビの視線を釘付けにしてくれる事になり、その隙に睦月先輩が飛び降りる様に梯子を降り切る姿が見えた。
続いて梯子を降りてくる紗希が不安そうに視線を揺らしているのが見えるけど、もう猶予が残されていないだろうという自分の直感を信じ、声をかける事無く前を見据えて手摺りの上を一気に加速する。
二十センチに満たない手摺りという不安定な足場は全速力で走るにはやっぱり怖い、それでもマイクスタンドでバランスを取りながら今出来る最速で一気に走った。
真横をゾンビの姿が通り過ぎる光景に怯えながら、それでも必死に足を動かした。
だって、後何秒の猶予が残されているのかも分からないのだ。
一刻も早く秋斗を助けてあげないと、じゃないと秋斗が死んじゃう。
ダメ!それだけはダメ!ここで秋斗まで死んじゃったらボクも含めて全員の心が折れてしまう。
狭い足場は急げば急ぐ程に体勢が崩れる。途中でグラリと体制を崩し外側へと倒れかけ、一瞬見えた地面に眩暈を感じながらも何とか堪えた。
っ―――大丈夫!落ちたって死にはしない!そう自分に言い聞かせて再び前を向く。
『ヴヴァアアアアアアアアアアアアアアアア!』
やっと一つ分の教室を駆け抜けた所で手摺りまでガラスが飛んでいたのか、パキンと踏み抜いたガラス片が乾いた音を立てた。
それを耳聡く聞きつけたゾンビが腕を伸ばしてくるけど、ボクはそれを小さくジャンプする事で空中に逃れて躱す。
不安定な足場での飛んだり跳ねたりしたのだから当然着地でよろめいてしまうけど、それでも何とか体勢を立て直すと、体を独楽の様にクルンと回転させる事でゾンビの後頭部を大きく振り回したマイクスタンドで叩くと、前のめりになった所を叩かれたゾンビは手摺りを乗り越え、酷く耳障りな声を残しながら重力に引かれて地面へと落ちて行く。
『ヴヴァヴァヴァヴァヴァ……』
ドチャっという音と共にゾンビが地面へと吸い込まれ、しかしその音が耳から消える時すら待たずにもう一体のゾンビが腕を伸ばしてきているのが見えた。
予想外に見つけた餌を前に我先にと群がってきているのか、それ以外にも二体のゾンビが押し寄せてくるのが見える。
「邪魔しないで!」
マイクスタンドでゾンビの腕を払いのけ、後から詰め寄ってくる二体のうちの奥のゾンビの顔にマイクスタンドを突き立てる。
「っ!」
ボクは棒高跳びでもする様に突き立てたマイクスタンドを支柱にすると、クルリと蹴り足に意識を乗せて体を捻る。
ズブリ……。
マイクスタンドがゾンビの体を突き抜けると、支えを失った体が僅かに泳ぎかける。それを強引に体を捻る事で立て直す。
ベランダに着地と同時にしゃがみ込んで衝撃を和らげ前を見据える。
秋斗まではまだ数メートル、まだまだ止まれない!ボクはそのまま一気にベランダを蹴りつける様にして走り出す。
「ダメだ悠璃!来るな!来ちゃダメだ!」
「もうここまで来たら手遅れだよ!良いから集中して!後ろ来てるよ!」
「クソっ!このぉっ!」
秋斗が振りぬいたバットは後ろから飛び掛ってきたゾンビの頭部を手摺りの外へと弾き飛ばす。
『ガアアアアアアアアアアアアアア!』
「っ……!」
ここには一体どれだけのゾンビが集まっているのか、今も窓を突き破ったゾンビの腕がガラスの破片をまるで散弾銃の様に飛ばし、その破片は決して少なく無い数の細かな傷を秋斗につけていた。
だけど秋斗がガラスの破片で怪我した事と引き換えに、周囲にいたゾンビの殆どは窓側へと体を向け、痛い思いをした秋斗の心情を別にすればそこまで悪く無い結果となる。
「隙だらけっ!」
目の前で振り返る様にして体を捻るゾンビを手摺り方向へと殴り飛ばす。
呻き声を上げながら胴体を手摺りに乗せたゾンビが『ヴァ……』と呻き声を漏らし、ボクはそのままゾンビの股間部分にマイクスタンドを差込み梃子の原理を利用して外へと落とす。
『ガアアアアアアアア!』
音に反応して飛び込んできたゾンビが二体視界の隅に映る。
―――大丈夫ちゃんと見えている。何故だか不思議な位に身体が軽い!
「っと!」
マイクスタンドを地面へと突き立てると、それを握ったまま壁を二歩蹴り上げ空中で一回転する。
襲い掛かる対象が居なくなったゾンビが勢い余って顔面から壁に激突した所を、ボクは体重を乗せた靴裏で二度踏みつけた。
バギッ!何かが砕ける音を足の裏で感じながら、直ぐ側で窮屈そうにバットを振る秋斗へと視線を向ける。
目の前のゾンビは何とか突き飛ばしてみせた秋斗だったけど、間断無く詰め寄る二体のゾンビの姿が迫る。
横にいたゾンビに足払いで転ばせ、後ろから迫ったゾンビへの対応を諦め前に転がる。しかしいくら転がってもこの狭いベランダでは逃げ場なんて限られていた。
「秋斗動かないで!」
転がった先で慌てて立ち上がりかけた秋斗にボクは言葉を叫びながら、返事を待たずにマイクスタンドを突き出した。
体重が乗りきらなかったその攻撃では止めを刺せるだけの力は籠められなかったけど、それでも上手く転がす事が出来たおかげでその後ろのゾンビの足止めにも成功した。
ボクはそのまま窓際へと駆け寄ると、目の前で立ち上がろうとしているゾンビ目掛けて今度は思いっきりマイクスタンドを突き立てた。
ガツンと壁を叩く硬い手応えに手を痺れたけど、それでも確実にゾンビが動きを止めた事を確認する事は出来た。
ボクがそのゾンビを倒した事を確認し終えた時には秋斗がもう一体のゾンビに止めを刺し終わっていた所だった。
「秋斗、大丈夫?待たせてゴメンね。怪我は……無い?」
「ありがとね……、それとごめん無理させた。でもそのお陰でこの通り無事、助かった」
「はぁ……良かったぁ……、本当に間に合って良かったよ」
ボクは安堵から大きく息を吐き出した。
たった数分とはいえ初めての自分主導での戦い、未だにバクバクと心臓は大きく音を鳴らしているし、体に篭った熱は逃げ場を探してお腹の中をグルグルと回っている。
今までに体験した事の無いギリギリの戦いは少なからずボクを興奮させるものだった。
「さてと……、出来ればゆっくりしたい所だけど、折角無理して頑張ってくれたついでに、もう少しだけ無理に付き合ってくれよ!」
「勿論だよ!残りのゾンビもさっさと片付けて二人と合流しよっ」
お互いに声を掛け合い背中合わせに武器を構える。教室からは丁度最後のゾンビが吐き出された所で、ボクは一歩踏み込みマイクスタンドで足を払いのける。
ドダンと仰向けに倒れたゾンビが何かを掴もうとするように手を伸ばす。だけどその手を払いのけるとマイクスタンドをクルリと半回転、安定感も重さもある足側をゾンビの頭部に狙いをつけて叩き落した。
そこからは危なげなくゾンビを倒すことが出来た。
途中で梯子方向からゾンビを倒しながら向って来てくれた二人が合流してくれてからは、本当に危ない所なんて一つも無い位だった。
もぉ!最初から四人で行動していれば何も問題なんて起こらなかったかも知れないのにな……なんて流石にそれは無いか。
兎にも角にも秋斗までもを失わなくて済んで本当に良かった……。そう胸を撫で下ろすのだった。
「しっ!」
『ヴヴヴァ……』
睦月が気迫の籠った呼気と共に放った鋭い一撃は、地面ギリギリを舐める様な軌道からゾンビの顎へと吸い込まれ、体を仰け反らせたゾンビは体制を崩すとそのままベランダの手摺りからずり落ちていった。
地面に叩きつけられるゾンビのドチャッと言う音を最後に、周囲から動くゾンビの姿が見えなくなり、やっと一息吐く事が出来た。
「もぉ……やっと終わったのですよ……。本当に疲れたです……。」
紗希はそう呟き大きく息を吐き出すと、コンクリートのベランダにぺタリと座り込んだ。
「本当に疲れたね、もうダメかと思ったよ……」
悠璃の言う通りもう何度ダメだと思った事か、これまでに以上に死と隣り合わせで戦った時間は気力も体力も根こそぎ持っていき、油断すると今にも膝が崩れ落ちそうだった。
足裏で払う様にしてガラスが散らばっていない事を確認し、その場に座り込むと壁に背中を預けてやっと人心地が付く。
皆のお陰で何とか生きている。その事に感謝を伝えようと顔を上げて口を開きかけ。
「ったく!何が一人で大丈夫だ!様子見てくるだけなら一人のが身軽だだよ!悠璃がああやって無茶しなきゃ死んでたじゃんかよ!反省しろよ反省!」
剣幕を上げた睦月が足早に詰め寄ってくるとビシビシと額が指先で何度も突かれる。
「ちょ、むっちゃん痛いって……。分かってる。分かってるって!ほんとゴメン、皆、助けてくれてありがと、一歩間違えば死んでた……反省してる」
俺が素直に謝ると、睦月は前髪をかき上げながら空を見上げて大きく溜め息を吐いた。
まだまだ言う事はあるぞとチラリとぶつかった瞳は雄弁に語っているのだが、睦月が口を開くよりも早く紗希が口火を切る。
「秋斗先輩?皆が一人一人やれることをやる事は大事です。でも別に全部を秋斗先輩がやる必要なんて無いのです。だからもしも秋斗先輩が誰かの分まで背負い込もうとするのなら、それは少し傲慢だと思うのです」
「マジでそれな!どうせあきとんの事だし、俺に気を使って自分がやらなきゃって意気込んだんだろうけどさ」
「う……」
「だけどそういうのはもう、マジで良いからさ……。あんな事になって後悔したり悔やんだりしてるのは、あの場に一緒にいた俺も同じだしさ、頼むからもうこれ以上後悔させないでくれよ……」
言葉の通り、その瞳には後悔の色が強く映る。睦月も俺と同じ何だ。もしもあの時自分が動けていれば田中は助かったんじゃないかと気にしているんだ。
「―――それにもう急がなくても大丈夫だぜ。俺は佳奈を信じる事にしたからさ、だから全力で急ぎはするけど無理はしない。焦って無理してこれ以上誰かに何かがあったらそれこそ佳奈に怒られるぜ」
「本当に秋斗先輩は……。鈍感で、真面目な筈なのに、時々変な所で鋭かったり、かと思えば考えなしに突っ走ったりとか……、本当に困った人です」
「あはは、でも放っておけないなぁって思わせるのも秋斗の魅力の一つだよね?」
「そうかもしれないのですけど、でもダメなものはダメなのです!こういう男はそうやって甘やかすと本気のダメ男になるのです!そうやって仕舞いには甘やかされている事にさえ気がつかなくなっていくのです。だから悠璃ちゃん?くれぐれも覚えておいて欲しいのです。鈍感系は甘やかすな、これが鉄則です!」
隣では悠璃がロッカーから漁ってきてくれたタオルで切れた場所を拭ってくれている。
そんなに深い傷じゃないから大丈夫だと言ったのだけど、本当なら消毒だってしたい所なんだよと怒られてしまった。
そうやって治療してくれながらも続く悠璃と紗希の会話、それは俺がいかに駄目な奴かを説明されているかのようで、正直今すぐ現実から目を背けたくなった。
そんなこんなで大騒ぎになってしまったけど、少し休憩した後で周辺を確認してみた所そこまで悪い事ばかりでも無かった。
二階のベランダを結構な距離、真ん中くらいまでを使って大立ち回りしていたからか、一階の避難梯子周辺にいたはずのゾンビ達がほぼ全て真ん中付近へと移動していたのだ。
正直ゾンビなんて何体も一階へと叩き落したし、音なんて一切気にしている余裕なんて無かったからなぁ……。
まぁ結果オーライって事で一つ皆には許してもらうしかない。
ああ、そんな目で見ないで欲しい、ちゃんと反省はしてるから。
大丈夫……ちゃんと次からは気をつける。
そして盛大に大立ち回りを演じた俺達は、丸一日かけて何とか校舎から脱出する事が出来たのだった。




