二十二話
まだ午前中だと言うのにジリジリと背中を焼く陽光に辟易しながら目を細める。
急激に上がり始めた外気温、しかし角度的に陽が当たっていなかったからか触れた梯子はひんやりと冷たく、その予想外の冷たさに驚き思わず目を見開く。
すぐに手の温度でぼんやりと温くなってしまった梯子、それを少しだけ残念に思いながらタイミングを見計らって悠璃へと視線で合図を送る。
間違ってもバットがぶつからない様に前もってバットは睦月に預けてあり、下に着いたらすぐに受け取る予定だ。
両手を使って一段ずつゆっくりと慎重に手足を動かしていくのだけど、その途中で目に入った教室の光景に思わず体が強張ってしまう。
教室の中には五体の制服を着たゾンビが『うーあー』と無気力に、無秩序に徘徊を繰り返していた。
そこそこ広いはずの教室なのに広がる事なく、限定された空間で顔を突き合わせている光景は奇妙なものだったが、見つめる事数秒でその答えはすぐに分かった。
ゾンビ達の足元には倒れた椅子や机が転がっており、動いて音が出るたび音に反応して振り返っていた。
それは一つも笑えないダルマさんが転んだ状態だった。
教室に見えるゾンビは五体ともうちの学校の制服を着ていて、ネクタイを付けていない一人以外は同じ色の赤いネクタイをしていた。
一年生だろうか?もしかしたら友達同士で逃げてきて、だけど誰かがここでゾンビに変わってしまったのかもしれない。
彼女達も昨日まではこんな事になるなんて思ってもみなかったよなと、なんだかやりきれない気持ちになる。
上から聞こえてくる悠璃からの「大丈夫?」の声に気を取り直して二階のベランダへと降りた。
すぐに三階から梯子を降りる途中の悠璃を介してバットは俺へと手渡され、手に馴染み始めた相棒を構えて周囲の様子を伺う。
ベランダを歩くゾンビはやはり一体しか見えず、そのゾンビですら今は少し離れているようで、今なら教室一つ分以上も離れていた。
タイミング的には余裕がある状況だとは言え、教室の中に見える五体のゾンビがいつまで大人しくしてくれるのかは保証がない、緊張感と暑さに気が付けばビッシリと噴き出す額の汗を手の甲で拭う。
時折肌を撫でる程度の生ぬるい風が通り抜けるのだけど、生臭さや腐敗臭を運んでくるだけで別段快適さをくれる訳では無く、もはや真夏を疑う様な空を恨みがましい気持ちで見上げると、雲と一緒に悠璃の姿が目に飛び込んでくる。
視界の先では真っ白なパーカーがユラリとはためき、その隙間から覗く真っ白い素肌にこんな状況にも関わらず思わず見惚れてしまうのは如何ともしがたい。
そんな悠璃は避難梯子を掴みながら俺の胸の高さにある手摺りに片足を乗せていた。
コンクリート製の手摺りは幅二十センチ弱程度だろうか、安定感抜群とは言えない場所に片足を乗せているとは思えない程とてもリラックスした表情を見せている。
そんな悠璃を頼もしく思いながら、準備は良いかと「大丈夫?」と問いかけると悠璃は「うん」と気負う事無く頷いてみせた。
「それじゃぁ行こうか」
その言葉を合図に俺はベランダを徘徊するゾンビに一気に近寄る。
ギリギリまで近寄った所で足音に気がついたのかゾンビがこちらへと顔だけをグルッと向けた。
後ろ姿では気が付かなかったが背広を着たその顔はうちの学校の見知った教師の顔だった。丹誠な顔立ちで女子人気も高かった先生だったが、憎悪と苦悶に歪めたその表情には最早見る影もなかった。
『ヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』
耳まで裂けた口を目一杯に広げて迫ってくる。口には真っ赤に染まったネクタイが引っかかっていて、それを見た瞬間に教室の中のゾンビ達の意味を想像させられる。
傷ついた友達と一緒に何とか逃げて隠れていたんだろう。
無念だっただろうな……。そして同時に思い出さなきゃ良いのに田中の最後の表情が思い出されて慌てて首を振る。
「秋斗っ!」
慌てた悠璃の声と目の前に迫るゾンビの姿に現実に引き戻される。
我ながらこんなタイミングで呆けるとか、本気で最悪だった。一瞬とは言え途切れさせた集中、僅かな時間のロスだとしても既に倒すタイミングを逸していた。
ガチンと目の前数センチの空間をゾンビが喰い取っていく、間一髪で躱した時、ぺしりと赤い布が頬を叩く。
同時に嘔吐感がこみ上げる程の強烈な悪臭と鉄の臭いが鼻を突き、誰のモノなのかどころか、そもそも人のモノなのかすらも分からない液体が頬を撫でる不快な感覚に、俺は叫びだしたい衝動を抑えて何とか続くゾンビの腕を体を反らして躱す。
「クソ……こんな状況でバカかよ俺は!」
ゾンビの一撃を何とか躱わしてもそれで終わる訳じゃない、イケるとみれば体の構造なんてお構いなしに飛びついてくるゾンビ、慌てて身を翻してゾンビの裏へと抜け出しその場を何とか逃がれる。
だが……。
―――ガシャガシャァァァァァァン!
駆け抜けた先の教室の窓が割れる。キラキラと陽光を反射させながらガラスの破片がベランダへと舞い落ちた。
同時に何本もの腕が窓から生え、自らの体へと刺さるガラスなんてお構いなしに、這いずり窓を乗り越えてくるゾンビがボトリボトリと次々にベランダへと落ちてくる。
悠璃が慌てた様子で何かを叫んでいるのだが、たった教室一つ分の距離しかない筈なのにその声が聞き取れない程に遠い。
ゾンビが反応してしまえばそこを起点に周囲も反応してしまう、それまでは風の音さえ聞こえる様だったベランダだったが、途端に破壊と怨嗟の声が吹き荒れた。
『グガアアアアアアアアアアアア!』
今度は後ろの教室からゾンビがまた一体。連鎖する様に後ろ、その後ろとゾンビが現れ完全に前後をゾンビで封鎖される。
梯子へ戻ろうにもそっちには目に見えるだけでも八体のゾンビ、後ろへ逃げようとしても今で三体……四、五……まだまだ増えるのかよ。
二階に下りてからたった数分程で絶望的なまで窮地に叩き落とされる。
ゾンビ一体だけ倒せば良いだけだと何処か舐めていたのだろうか……?自らが招いた自業自得の状況とは言えその代償はとても大きく、俺は完全に皆と分断されたのだった。




