二十話
誰かが笑い合う声が耳に染み込んでくる。
鈴が鳴るような声音に意識を撫でられながら、その心地良い音色に誘われるよう瞳を開ける。
眠気に抗いながらも目を開く、潰した段ボールで作ったベットから体を起こすと、ああ……やっぱ夢じゃないんだよなと現実を再認識する。
沈み込みそうになる気分を切り替え、両手を組んで掌を天井へと向けてて強張った体を思い切り伸ばす。
段ボールベットは思った以上に寝心地は悪く無かったものの、昨日一日酷使した身体は疲れや筋肉痛を訴えてくるし、どうしたって体の節々は強張っていて、伸びをしたまま体を回したり揺らしたりするとそこら中がゴキゴキと音を立てる。
「おはようです」
「おはよう秋斗、ごめんね、うるさくて起こしちゃった?」
ソファの背もたれからちょこんと顔を出す二人、当たり前だけどその表情には隠し切れない疲労が滲んでいる。
「二人共おはよ。いや、全然うるさく無かったから大丈夫だよ。それに実は人生で一度位は可愛い女の子の声で起こされてみたかったんだ」
「ブブー、全然ダメです似合わないです。秋斗先輩にはチャラ成分は求めていないので大幅な減点です。そういうのは先輩の領分なのですよ?不可侵条約に守られている項目なので今後は注意して欲しいです」
「不可侵条約って、はぁ……世間はイケメン以外には厳しいなぁ」
「あはは……、大丈夫だよ。秋斗も格好良いよ?」
「悠璃……慰めてくれて本当にありがとね。でも、ほらこれを見るのじゃ!これが伝説のイケメンなのじゃよ……?レアモンだから逃がさない様にマスタークラスのアイテムを使って捕獲するのが吉じゃぞ」
「うっせぇよ!っていうかあきとん、照れたのを俺でごまかすなよな!照れる位なら言うな、言ったなら素直に喜んでおけ」
今起きたのか、既に起きていたのか、不機嫌そうに瞼を持ち上げる睦月は俺の突き出した人差し指をがっしりと掴むとグリグリと力を込めて何度も捻る。
「痛てて……ごめん、ギブギブ!」
「全く……、あきとんは俺ばっかりいじるけどよ、自分の事がちゃんと見えて無いから鈍感キングなんていう不名誉なあだ名を付けられるんだぜ?」
そう大きく肩を落として溜め息を吐く睦月、そういう仕草が本当に様になる。ってまた言うと怒られるから言わないけどさ。
「中学の頃は言われた事無かったのになぁ。そんな不名誉な事を言われて出してからもう一年も経つし、もう何か慣れたよ……」
「はぁ……別に今に始まった事じゃ無いし今はどうでも良い事なんだけどな。そんで二人は……疲れが抜けてなさそうだけど、ちゃんと寝れたのか?」
立ち上がった睦月が背筋を伸ばしながら二人の顔色を確認している。
「うーん……疲れてない事は無いけど……でも大丈夫だよ。ソファーを使わせて貰っておいて文句なんて言えないよね。それよりも二人こそ身体痛くない?大丈夫?」
「ああ、意外だけど段ボールのベットってのもそこまで悪いもんでも無いぜ」
「そうだね、想像以上よりは悪くなかった。まぁ流石に体中バキバキは言うけどね」
そう言いながらもう一度身体の調子を確かめるように動かす。背中がバキッと大きな音を立てるが言ってもそれ位だ。
「あはは……凄い音鳴ったね?でも大丈夫なんだったらだ良かったよ。身体が痛くて動けなくて死んじゃったなんて笑えないからね。もう簡単には死ねないよ?だって田中さんの想いまで背負っちゃったからね」
悠璃はそう言うと優しさを感じさせる垂れ目を僅かに細めて微笑んだ。
「そう、だな。簡単には死ねないよな」
そう俺達は簡単には死ねない、仲間の思いを背負ってしまったし、もう一人の親友を佳奈ちゃんの元まで届けなくちゃいけないから。
後は、そうだな……目の前の心優しい少女達を守ってやりたいと思ったからかなぁ、と二人へと視線を向ける。
その二人は今二つ対面に並べて簡易ベットにしたソファに仲良く座っている。
寝る時も二人でくっつきながら寝ていたらしいが、やはり慣れない環境で眠れなかったのか紗希は少し眠そうに手の甲で眼を擦っていた。
「そういえば二人は朝からずいぶん楽しそうにしてたみたいだけど、どうしたの?」
そう問いかけると悠璃は楽しそうに笑い出し、紗希はギギギと錆びたロボットみたいな動きで振り返る。
正直その動きは止めてほしい、かなり怖い。
「うう、蒸し返すのですか?そうですか……、秋斗先輩も敵なのです」
「あははっ。んー……楽しそうって言うか、ただ紗希の目が腫れててね?大丈夫?って心配してただけだよ」
「もぉ……結局言うのですか、さっきから一重の事を弄りまくっただけでは飽き足らず、先輩達にまで可哀そうな目で見られろと言うのですね……。ふん、悠璃ちゃんなんて子々孫々一重瞼の呪いにかかりやがれです」
「あはは……紗希のそのちょっと眠そうな眼、ボクは可愛いと思うよ?―――って言うか紗希、さっきから秋斗も、睦月先輩も居るのに素が出てるよ?むしろそっちの方が大丈夫なのって思うんだけど?」
悠璃は大丈夫?と心配そうな顔を見せるが、当の本人はあっけらかんとした表情でふんすと鼻息を強くする。
「良いんです。どうせ大して被れてなかった猫が完全に脱げちゃった程度です。それにこれから一緒に行動して寝泊りまで一緒になんてしてたら隠し通せるものじゃ無いです。大和撫子はお淑やかにあれなんて、お婆様の押し付けです」
「ああ、別に良いんじゃね?無理に取り繕わなくたってさ。それに多少口が悪くたって何だか生き生きしてて俺はそっちの紗希の方が好きだぜ?」
「っ―――」
「あ、紗希が真っ赤になった。もぉ可愛いんだから!それにしても流石は睦月先輩だね!紗希から聞いてた通り息をするレベルで格好良いのが様になるんだね」
「う、うるさいのです!可愛くも無いし真っ赤になんてもないのです!後そこまで誉めてないです!」
コロコロと表情を変える紗希を見ているのは少しだけ面白い、何だかちょっとだけ口が悪いのが素の紗希らしい。
目に見えて真っ赤になった紗希とそれをからかう悠璃、ソファの上でじゃれ付き始める二人を見つめながら、姦しいのは二人に任せて動き始める。
俺達に寝床として住処を奪われ、そのまま壁際に寄せられていたペットボトルのお茶やコーヒーを四本取ってくる。
ほんと丁度良く水分や携帯食料を準備しているタイミングだったから良かったものの、何も無い状態だったらと考えると恐ろしい。その時は水分を得る為にどれだけのリスクを犯さなきゃならなかったか。
「むっちゃんはコーヒーで良いよね?」
「ああ、サンキュ」
「二人はお茶とカロリーフレンドで良い?もしコーヒーの方が良かったらまだ何本かあるみたいだから、好きな方を選ぶと良いよ」
「お茶で大丈夫です」
「あっ、ありがと秋斗、じゃぁボクもお茶下さい」
こうして四人で始まる二日目の朝は、この異常な世界の事など忘れさせるような笑い声の零れる穏やかな朝だった。
だけどこの穏やかな時間がそう長くは続かない事を、部室から外へと一歩踏み出せば再び地獄と変わらない日常へと逆戻りになる事をしっかりと理解していた。
だからこそ、俺達は笑い合える今を大切に思うのだった。
地平の彼方から七割程顔を出した太陽、放射冷却の影響で昨日の猛暑が相まって、やけに冷え込み朝露降りるそんな朝。
一夜明けた事でかなり薄くなったとは言え、残念ながら周囲には未だに死の臭いが充満していた。今朝は殆ど風も吹いておらず全身に臭いがネットリと纏わりつくようで、涼しいだけで朝の清々しさなど微塵も感じさせない。
「こっちはダメだな……あきとんの方はどうだ?」
「ダメだね……やっぱり電波が通ってないみたいだね」
「こっちもダメみたいです」
三人は念のためにと屋上の反対側まで行って試してくれていた。それでも結果は芳しく無かったようで残念そうに首を振っている。
「そっか……、悪いな確認してもらって」
「この程度大丈夫。後、佳奈ちゃんもきっと大丈夫」
「っ!そうは思ってるよ!だけどっ!」
つい声を荒げてしてしまい、しまったと顔を背ける。
別にあきとんが悪い訳じゃない、ただ状況がそうだってだけなのにな。今のは完全に八つ当たりだったと自覚していた。悪いと謝る為に口を開きかけ。
「多分俺達が思う以上に佳奈ちゃんはしっかりしてるし強いよ?―――まぁむっちゃんが心配なのは当然だし俺も心配だけどね?」
だけど俺が何かを言う前にあきとんはそう言い小さく笑った。俺とは間逆の真面目の象徴みたいな黒髪が風にはためいていた。
せめてメールだけでも良い、無事かどうかだけでも分かれば良いんだけど、中々どうして思った通りにはいかない事に焦ってしまった様だ。
不安が意識せずに漏れ出しそれが目の前の親友の顔色までもを曇らせていた。
こんなんじゃダメだな……。軽く息を吐き出し意識を切り替える。
本当なら昨日のうちに女子寮へ向ってしまいたかった。しかし田中の事もあった俺達には、正直体力的にも精神的にも余裕なんて無く全員が限界を迎えていた。
あの時、既に茜色に染まった世界、そこからすぐそこに迫る暗闇に脅えながら女子寮まで向うなんていう選択肢は選べなかった。
「そういえば先輩?妹さんってもしかして剣道やってたりしないです?」
「ん?ああ、佳奈は小さい頃からずっと剣道やってるぜ」
「やっぱりです。去年の全国大会で優勝してた時に、天才少女現るって見出しで県内のニュース番組で特集組まれていて、インタビュー受けていた所が映ってたのです」
「マジで?あいつ俺にはそういう事一つも言わねぇかんな」
「そう言えば佳奈ちゃんに出会ったのが夏休みで、丁度大会の前くらいだったもんね。あれからもう結構経つんだね」
去年隣の県で行われた大会、あきとんと二人で応援に行った時の事がまるで昨日の事かの様に思い出される。
一回戦で早くも苦戦を強いられた佳奈、その試合は何とか辛勝する事は出来たけど、これは後一回でも勝てれば御の字かな?なんて思っていた。
それなのに一回戦で緊張が無くなったのか、気が付けばあれよあれよと嘘の様に勝ち進み、最終的には全国大会で優勝しているのだから、我が妹ながら凄まじいと思う。
「はぁ……そう考えれば確かに女子高生最強なんだもんな……。あきとんの言うとおり心配なんていらないのかもな……」
「あははっ、程々には心配してあげないと佳奈ちゃん拗ねそうだけどね。それに焦る必要が無いってだけで、心配して守ってやるのが兄貴だって良く言ってたじゃん?俺はその方が、ちょっと過保護な位の方がむっちゃんらしいとも思うけどね」
「俺らしい……か、過保護なのは分かってるんだけどなマジで……」
脳裏に浮かぶあの時の絶望感、たった一人の妹をどうしても守ってやりたいと思ってしまうのは当たり前の気持ちだ。
「まぁまぁむっちゃん、俺だって佳奈ちゃんの事心配なんだから、俺だって元気な顔見たいよ?だから焦らずに、でも絶対に助けに向おう」
「ああ……そうだな」
「それに昨日はダメだったけど、ベランダは廊下よりはマシだったし、避難梯子でショートカットしながら今日は予定通りに道を作ろう」
一度俺の肩にポンと手を置き、先に準備しておくよと部室に戻って行くあきとんの背中を見送る。
そうだよな、助けに行くつもりが焦ってミスり、逆に迷惑を掛けたり助けられる事になったら目も当てられないしな、もう少し冷静になろうと一度大きく息を吸い込んだ。
大丈夫だよな?お前は怒れば俺より怖いしな。
不意に怒らせてしまった時の烈火の如き竹刀捌きを思い出す、そう簡単にはゾンビ程度に遅れは取らないだろう事は分かるんだ。それでも兄としてどうしても心配なのはどうしようもない。
考えれば考えただけ急きそうになる心、それを諌め、慰め、そして一緒に考えてくれる親友の言葉をもう一度思い返しながら息を吐き出す。
全く我が事ながら佳奈の事になると俺の面倒臭さも大概だなと呆れてくる。
そんなんだから、あきとんに佳奈ちゃんが彼氏連れてきたらどうするの?と笑われ揶揄われるんだ。
まぁでも俺はそんな面倒臭い自分が意外と嫌いじゃ無い、流石に気が付いた以上あきとんにも迷惑かけられないから焦るのはやめるけどさ。
だけど―――絶対に迎えに行くから、それまで無事で待ってろよ、佳奈。




