十五話
まるでゴーストタウンに迷い込んだかの様だった。
この場所では人だけじゃなく、鳥や虫でさえもが息を殺して静まりかえらなければ生きていけないのだろう。
時折吹き抜ける風が割れた窓にぶつかる度、ピィーと悲鳴にも似た音を響かせる。
開け放たれた教室の壁に掛けられているアナログタイプの時計がカッチコッチと一秒毎に時を刻み、そんな普段なら気にもならない様な僅かな音がやけに大きな音に感じてくる。
神経は過剰な程に研ぎ澄まされ、僅かな音ですら聞き逃すまいと神経をすり減らしているなんて、俺達もゾンビもやってる事は変わらないなと自虐の笑みが浮かぶ。
そんな生き物が消えてしまったかの様な静寂の世界、ゾンビの出現はあれだけ騒がしかった校舎をたった半日もかけずに巨大な棺桶へと変えてしまったらしい。
「静かすぎて耳が痛てー」
両耳を人差し指で何度も押しながら田中が顔を顰める。確かにこの静けさはキーンと音が鳴りそうな程の静寂をもたらしていた。
「心配しなくてもすぐに騒がしくなりそうだぜ?」
階段が近付くにつれて呻き声がポツリポツリと聞こえ始め、階段を見下ろす時にはペタペタとした足音さえも聞こえてきていた。
「階段へと向かう前に悠璃達が三階へと向かう時少しだけ騒がしくしちゃったから降りる時は注意しなくちゃね」
「少しだけ……ね?」
手摺りより階下を覗き込むと聞いてもいないのに悠璃が弁明を初め、睦月がそれに突っ込むと、悠璃は紗希へと助けを求めて視線を俺達から反らす。
「ううっ……少しだよ?ねっ紗希、少しだったもんね?」
悠璃に問いかけられた紗希はコクコクと何度も頷いている。
少しにしてはここから見える範囲でも折れ曲がったドアが転がっているし、飛び散ったガラスの上を歩くゾンビの足跡が気持ちの悪い模様を残している。
目に付く範囲だけでも分かる、周囲から集められるだけ集めてしまったのか、今も二桁に届きそうなゾンビが徘徊していた。改めてその状況を確認した二人は二階を覗き込みながら、互いに申し訳無さそうな表情を浮かべた。
何とも申し訳なさそうにしょんぼりとする二人の頭に手を置き、その頭をグリグリと雑に撫でる。
悠璃は一瞬だけ体を強張らせ顔を伏せ、紗希は「もぉ……子供じゃないのです」と膝の上に握り締めた両手をおきながらジト目で睨みつけてくる。
「ほらほらあきとん、うちではそう言う接待はしておりませんので現実に戻ってきてください。美人が二人も並んでたら侍らせたくなるのも分かるけどよ、後でやれ後で」
「っ~~~!先輩の目は節穴なのですか!いちゃ何て0パーです!」
「あ、そう?うん、ならそれでいんじゃね?」
食ってかかる紗希を適当にあしらいながら、俺にだけ聞こえる様な小さな声で一言ぼそりと呟く。
「悠璃は誰にでもフラットに接している様に見えるけどさ、多分ああ見えて男が苦手だろ、あきとんにとっては何気ないスキンシップだろうけど、こういうのって何が爆弾になるか分かんねぇし気を付けな」
「え……、マジで?うわー……全然気付かなかったよ。そう言う事ならちょっと気を付けるよ」
まだ少しだけしか一緒に行動していないのに良く見てるよなぁ、感心しながら感謝を伝える。
睦月は小さく頷くと「多分だけどな」そう小さく笑った。
そして田中へと少しだけ視線を移すと悪戯っぽい笑みを浮かべ、わざと音が出る様に俺の背中をパンと叩いくる。
「さぁてと、あきとんがハーレムランドを建造してるもんだからさ、田中が血涙を流して悔しがっているのが見えるよな?あいつの悔しさの分もちゃんと働けよ?」
「ええ……?はぁ……、了解」
改めて視界に入った田中は「悔しいのう悔しいのう……!」そんな心の声が漏れ出しているのが伝わってくる表情で、俺はそんな田中から慌てて眼を逸らし、いつも落ちに使って悪いなと心の中で謝るのだった。
『ヴヴヴヴヴ……』
ヒタッ……。
ヒタッ……。
階段をゆっくりとではあるが一歩づつ、確実に上がってくる足音に緊張が走る。
何かを映しているのかさえ怪しいその瞳は、長いこと手入れされずに放置されたレンズの様に濁っていて、その濁った瞳には険しい表情を浮かべた俺達がぼんやりと映っている。
「どうしようどうしよう……こっちに真っすぐ向かって来てるよ」
「チッ……、あれだけなら何とでもなるけど、下にいるの全部となんて戦ってられるかっつうの」
どうやって一階へと向かうかが決まるよりも先に、俺達の話し声にゾンビが反応を見せ始めたのだ。
なるべく物音を立てず、話すとしても周囲に漏れない様に押し殺した声で話したのだけど、周囲に物音がしないだけに僅かな声ですらも目立つのだろう。
階下をもう一度のぞき込む、そこにはさらに数体のゾンビが音の出所を探るかの様に彷徨い歩いており、『アーアー』と呻きながら徘徊する様は、人であった頃の矜持など一切感じさせるものでは無かった。
「戦おう……」
短い言葉でそう告げると皆の顔を順に眺める。
誰も口を挟む事なく続く言葉を待ってくれていた。実際今もゾンビは一歩一歩階段を登って来ている。だからこうして皆と向き合って話す時間もそんなに余裕がある訳でも無かった。
「まずは目の前の奴を叩く、そしたら一気に二階まで駆け下りよう。一番最悪なのはゾンビに囲まれる事だから、もしも一階へと向かう階段やその周辺にゾンビが相当数いるようなら……その時は一階まで下りるのは一度諦める」
「二階すらヤバそうだったら、その時はどうすんだ?」
「その時は一度三階へ戻って態勢を整えよう。三階まで持ってくる事になれば時間はかかるかもだけど、それでも皆の安全には変えられないと思う。何よりも絶対に生き残るって事を優先させよう」
俺の答えに眉根に僅かな皺を作りながら思案顔を見せる睦月、その答えが出るのを待ってくれているのか、悠璃と紗希は口を出さずにジッと俺達を見つめている。
全員の視線を一身に浴びながら、睦月は一度開きかけた口を閉じると田中の顔色を確認するようにチラッと視線を向け、それに気付いた田中は何も言う事なく苦笑いを見せて首を振った。
睦月は一度何かをリセットする様に大きく息を一つ吐き出し言葉を吐き出した。ただしとても悪戯な笑顔付きでだが。
「ふぅ……オーケー。―――そういう判断は頼れるリーダーに任せるわ」
ブフッ!と田中が噴き出し慌てて口を両手で押さえる。その音に上ってくるゾンビの速度が増した気がする。
「ええっと……むっちゃんこういう時に悪ふざけは―――」
「ですです!私も、頼れるリーダーにお任せするです」
「うん、秋斗がリーダーで良いと思う。ボクも一生懸命ついていくよ!」
「うひひっー、頼むぜー、リーダー、あ、き、とー」
睦月の悪ふざけに全員が乗っかる形になって団結する。どう考えても俺はリーダーってタイプじゃないだろうに。
「くそ……今何か言ってもむっちゃんを喜ばせるだけなんだろうな」
「流石あきとん良~く分かってんじゃん」
「はぁ……むっちゃんとは後で話し合いが必要そうだよ、ねっ!」
階段を上ってきていたゾンビの頭を殴り飛ばす。ゾンビは背中から倒れ勢いよく滑り落ちていった。
ダダダダダと景気の良い音が周囲に響き渡り、周囲の殺気がぐっと上がった気がする。
「だったらリーダーらしく行くとしようか!むっちゃん背中は任せたからね!田中は一階に行けるかの確認を、紗希と悠璃はサポート宜しく」
俺は一気に階段を駆け下り踊り場近くまで上って来ていたゾンビへとバットを振り下ろす。金属バットはゾンビへと吸い込まれる様にその頭部の中ほどまで大きく凹ませる。
『ヴヴァ……』
最後に一言だけ未練がましく呻き声を残したゾンビは、重力に引かれるままに背中から倒れ、ドチャチャチャチャと嫌な音を立てながら二階へ向けて滑り落ちていった。
『ヴァァアアアアアアァァァァ!』
『ウグァァアアアアア!』
想定通り落下点近くにいたゾンビ達が一斉に呻き声を上げて殺到する。
ゾンビに群がるゾンビ、そんなこの世の終わりみたいな光景を見下ろしながら階段を駆け下りる。
高所の理を存分に使ってゾンビの位置を確認すると、最後の数段を手摺を使って跳ね飛びゾンビの少ない場所まで一気に移動する。
ダン!と着地の衝撃で一瞬だけ視界がぶれる。その着地音には予想通りに三方からゾンビが突っ込んでくるのを感じる。
―――だけど!
初めに確認しておいたゾンビの空白地帯へと跳ねる様にして飛び下がる。
俺が移動した後の場所では勢いよく詰め掛けていたゾンビ達がぶつかり合ってもみくちゃになっている。
そんな目の前で倒れこむゾンビは相手にせず、斜め後ろから襲い掛かってくるゾンビを真っ先に叩く。
その間に再び立ち上がろうと三体のゾンビが動き始めるけれど……。
「―――任せとけ!」
不思議と良く通る声。そしてそれは誰よりも頼りになる声。
「そのつもり!」
俺はその場に一言だけを残して廊下を走る。
一階へ下りられるのかは田中が見てくれると信じ、俺がやるべき事は一階へと降りれなかった時に二階を進めるのかを判断する事だ。
パッと見た感じ、確かに悠璃達が大立ち回りしたのだろう右側にはゾンビの数が多く、今もゾンビが呻き声を上げながら教室から出てきているのが見える。
どこならいけるかと忙しなく視線を動かす。
右側にゾンビが集中しているお陰か左の廊下はその先にもそれ程ゾンビの姿は見えない。
左に進むか……?ただし左側へと進むと向かう階段は中央階段になってしまう為、これはこれでこの先の状況が読み辛くなってしまう。
どうするべきかと思案しながら近くに迫っていたゾンビの足を刈り取り転ばせる。
「こっちはダメだー。ほんと無理無理ー。階段の下とか信じられない位にゾンビがうじゃうじゃいるわー」
「って!うわぁぁぁぁ!上からゾンビが落ちてきてるんだけど!」
田中が「どうすんだよー」と階段を駆け上がってくるのと、悠璃が「どうするの」と血相を変えて走り寄ってくるのがほとんど同時だった。
田中の方はある程度は予想の範囲内だった為「了解」で済むが、悠璃の方は今正に三階から転がり落ちてきたのだろう『うーあー』と呻き声を上げるゾンビ数体が、手足を曲げてはいけない方向へと曲げながら這いずって来ているのが見える。
「二階を進もう!左の廊下なら何とかなりそう!」
声を出した事で反応した一番近くに居たゾンビ、その伸ばした腕を掻い潜りながら後ろへと回り込み、振り返りの遠心力を利用してバットを力いっぱい振り抜いた。
ゾンビが倒れる姿を確認する事無く、次に迫ってきていたゾンビのベルト付近目掛けて思い切り前蹴りを叩き込み、その背後に居たゾンビへとぶつけて纏めて転ばせる。
もつれ合いながら動こうとするゾンビの頭上へと、後から駆けつけた睦月の木刀が二度振り下ろされ、二体は何度か痙攣するとそのまま動かなくなった。
「オーケー、そんじゃぁ皆、必死に走れよ!」
背後から追いかけてくるゾンビ達を振り切る様に俺達はひた走った。途中何度も現れるゾンビをどうにか往なしながらの生死をかけた逃走劇、想像以上の緊張を強いられながらの数分間は、全力で数キロ走ったかの様な倦怠感と息苦しさを押し付けてくる。
必死に手足を動かし続けるとやっと長かった直線を抜ける。だけど代り映えのしない廊下が目の前に再び広がる。
「ちょっとだけ休もう、こっちで前を見てるからむっちゃんは後ろの警戒任せて良い?」
「オーケー」
目の前すぐにはゾンビが居ない事を確認すると一度立ち止まった。
膝に手を突きながら荒くなった呼吸を大きく深呼吸する事で何とか整えるけど、いかんせん空気が不味い……。
余りの空気の不味さに顔を顰めながら、せめてこの腐った様な空気を全て吐き出してやろうと大きく息を吐き出しながら顔を上げる。
そんな時ふと目に映った田中の姿、勿論一本とは言え指の切断、絶対に軽い傷とは言える訳が無い、だけど素人の応急処置とはいえ止血してあると考えれば、その体調の悪化具合はありえない程に急激だ。
改めて確認した田中の顔色は先程までとは比較にならないほどに悪く、真っ青を通り越して既に土気色で、呼吸もやたらと浅く短いタイミングで繰り返していた。
「田中……お前の顔色マジでヤバいぞ?何処かの教室で少し休憩するか?」
「ふぅ……ふぅ……んぁあ……大丈夫……。大丈夫だってー」
何処か視線の定まっていない瞳をうろうろと彷徨わせながら、全然大丈夫じゃ無さそうな表情、これまでは本人だ大丈夫だと言うから任せてきたけど、その表情からは最早生気が感じられず、出来る事なら何処かで横にでもしてやりたいレベルだった。
「大丈夫だってー、ほらあんまりゆっくり休んでもいられないだろー?俺が心配なら早目に病院まで連れてってくれよー、なー?」
「田中……」
「心配すんなってー、おーい比嘉ー、そろそろ行こうぜー」
「ああ、でも無理ならマジで言えよな?」
歩き出す田中を追いかける睦月の背中が見える。そんな二人を心配そうな表情を浮かべた悠璃と紗希が急いで追いかける。
ただ歩く田中の後ろ姿が余りにも頼りなく、何処か遠くへ行ってしまうような不安感に襲われたのだ。
だからその背中へと追いつくべく速度を上げて声をかける。
「やっぱり休も……」
それまで頑なに大丈夫だと言い続けていた田中が目の前で崩れる様に倒れ、支えようと咄嗟に差し出した手を掻い潜って床へと倒れていくのがスローモーションで見えた。




