十二話
「はぁ……はぁ……」
飛び込んだ無人の教室、部屋の隅っこでカーテンに二人で包まり手を握り合う。
正直言えばボク達以外にも何人かはこっちにも走ってくるかな?って思ってたのだけど、実際に追いかけてくるのは悲しいかなゾンビ位のものだった。
食堂を飛び出した後、紗希の提案でボク達は屋上を目指す事にした。窓から外へと出て行く事も考えたのだけど、どこもかしこもゾンビで溢れている現状で何キロも走って警察まで辿り着けるとも思えなかったし、それ以外だと何処に逃げれば良いのかが想像も出来なかったんだ。
そして今、西側階段付近の教室へと身を潜めている訳なんだけど、少し休もうと一度座り込んだ瞬間遅れてやってきた恐怖、一度実感してしまうと身体の震えが止まらなくなってしまい、こうしてお互いの温もりを分け合う事でどうにか恐怖をやり過ごしていた。
そうやってどれだけの時間座り込んでいただろう、何時の間にかあれだけ聞こえていた悲鳴や慟哭、助けを求める声もかなり小さくなっていた。
慣れ……だろうか?麻痺だろうか?兎に角そんな今の状況の中でも心臓の鼓動が落ち着き初め、何だかお腹も空腹を訴えてきた頃、紗希が小声で口を開いた。
「悠璃ちゃん、先程は助けてくれてありがとです。それにしても良くゾンビが音に反応していると解ったのです」
「ううん、助けるのなんて当たり前の事だし、それに気が付けたのだって紗希を助けなきゃって必死だっただけだから、本当に偶然だよ」
「ふふっ、それでも凄いです。では悠璃ちゃん、他に頼るモノも戦う手札も無いので、悠璃ちゃんが発見してくれたゾンビが音に反応している事を前提にして話すのです。例えば目の前の机の中に入っている教科書、これをわざと投げる事で私達から離れた場所で音を出せば、意外とゾンビを誘導出来そうじゃないです?」
「えっと……うん、上手にやれば逃げる事は出来るかも知れない。うん!どうせここで隠れていたって誰も助けてくれないよね。お腹が減って死んじゃうよりは出来そうな事を試して頑張ろっか!教科書なら沢山ありそうだしね」
そう話し合うと二人で手分けして動き出した。教室内に置きっぱなしになっていた誰かのカバンに参考書や教科書を詰められるだけ詰めた。手に握るカバンはズッシリと重くて取っ手が掌に食い込むけど、その重さがボク達の命を助けてくれる命綱になる筈だと信じる。
「準備は良い?」
「はいなのです」
「それじゃぁ、行くよ……」
大丈夫、大丈夫……。
何度も呪文の様に自分に言い聞かせる事で何とか行動を開始する。何度決意を固めても怖くて仕方が無い、実際ドアの前に立ってからは心臓がずっと早鐘の様に鳴り続けているし、両脚だって限界まで長距離を走った後みたいにプルプルと小刻みに震えている。
だけどそれを今だけは全部無視してドアに手をかける。
大丈夫、大丈夫……大丈夫!絶対屋上までたどり着ける!大丈夫、きっと上手くいく!最後にそう自分に言い聞かせてドアを開ける。
『ヴヴヴ……』
なけなしの勇気を振り絞って踏み出した第一歩、ゾンビのいきなりのお出迎えに身体が一瞬だけ硬縮する。
―――だけど!
ボクは手に握りしめていた教科書を窓ガラス向けて力一杯放り投げた。
バン!と教科書が窓ガラスへとぶつかった瞬間、そこへゾンビが飛びかかり窓ガラスが盛大に砕け散る。
上半身を窓枠に突き刺したまま外壁を叩きつけるゾンビ、二重で盛大な音が鳴り響き周囲にいたゾンビが群がり始めた。
「―――っ!紗希、走ろう」
紗希の目を見て小さく呟くとそこからは階段目掛けて一気に走った。
ゾンビに出会うたびに教科書を窓ガラスに投げつける事で音をたて、音に反応したゾンビの横を走り抜ける事で何とかやり過ごして逃げてきた。
何度か勢い余って窓ガラスが割れてしまってゾンビを沢山集めてしまったけど……。うん、何とか助かったから結果オーライって事でも良いの……かな?
そうしてドタバタとしながらもなんとかゾンビから逃げ続け、やっと階段の前まで走りきる。
「階段、ゾンビだらけです……」
「そうだね……でも進もう、どうせ戻ったって後ろはゾンビでいっぱいなんだ。進んでも戻っても同じだけの危険があるんだったら進んでみよう!大丈夫きっとボク達なら乗り越えられるよ!」
「はい、私も必死にがんばるです!一緒に乗り越えて見せるのです!」
小さく頷き合いボク達は一気に階段を駆け上る。階段途中にいたゾンビを視界に捉えると、これで何とかなって欲しいと祈りながら、残り二冊だけが入ったバックで殴りつける。
体勢を崩してそのまま手摺を乗り越えて落下するゾンビ、階下では落ちたゾンビに他のゾンビが一斉に群がる音がする。
これで後ろからの脅威は減らす事が出来た筈、想像以上の結果に安堵の息を吐き出す。
だけど……逆に退路は完全に自らの手で断った形になり、すぐに後悔……と言うよりは不安に襲われるけど、それを紗希には感じさせない様に小さく頭を振って不安を振り払う。
少しだけぬめっとするバックを掴むと急いで教科書を取り出し踊り場の壁目掛けて思いっきり投げつけた。
―――スパァーン!
思いのほか綺麗にぶつかり小気味良い音が生まれる。
踊り場近くに居たゾンビは背後で突然生まれた音にその場所へと群がった。
ボクはチラリとそれを横目で見ながら手摺に足をかけ、よっと声を出して跳ね上がると一気に踊り場をショートカットする。
すぐに後に続いてきた紗希の手を取り引き上げると、軽やかにとは言えないぎこちない紗希の動き、何だかスカートが捲れ上がって凄い事になっていた。
「もぅ……皆が皆悠璃ちゃんみたいに運動神経が良いと思わないでほしいです」
「あはは、ごめんごめん気を付けるね!それよりも……紗希は凄いね?そんな黒い大人っぽいの、穿いてるんだね」
「え?ちょっともぅ……!ふふ……ふふふっ、落ち着いたら自業自得という四文字熟語の意味を教えてあげるのです。悠璃ちゃん?覚悟しておくのです」
紗希と合わさった目は完全に笑ってなくて、あ、これ本気のやつだと慌てて「ごめんごめん」と掌を合わせて謝りながら二階へと駆け上がった。
あぅ……背中に刺さる視線が痛い。
息を切らせながら二階へ到着する。少しはマシな状況を願って上ってきたんだけど、だけど残念ながら目に映る光景は絶望的なものだった。
そりゃこれだけ音を出していればゾンビも集まってしまうのも納得なんだけど、この数はちょっと厳しいと思う。
「ダメ!二階は無理そうです!このまま三階へ上がった方がマシかもです」
紗希の悲鳴にも似た声に「分かった」と伝えると最後の教科書をブンッと放り投げた。それは階段から一番近い教室のドアにぶつかりバンと鳴り響いた。
―――ガシャァァァァァン!
ゾンビの一体がドアへと体当たりする音が廊下中に響き渡る。
両手を伸ばして万歳するかの様な体制でダイブすると、ドアを豪快に叩き割りながら教室の中へと突撃していった。
流石に予想だにしなかったその音に少しだけ身体を強張らせながらも、お陰で近くにいたゾンビはそこへと向けて殺到しており、その隙に三階へと急いで駆け上がる。
階段を上りながら二階の状況をチラッと覗き見ると、一階よりは集まってくる数が少ない様に見えた。
だったらもしかすると三階はもっとゾンビが少ないかもしれない、そんな淡い希望を抱きながら一段飛ばしで階段を駆け上った。
耐え難い恐怖と緊張の連続で、普段では十キロ位なら走っても平気なのにもう息が切れている。陸上部のボクでこれだけきついんだから、普段運動なんてしない超インドア派の紗希なんてどれだけきついのだろう。
「息、苦しいよね……でももう少しだけ頑張ろう!」
「だいじょ、ぶです」
苦しそうな紗希に声をかけ、何かあったらボクが何とかするんだと意気込みながら、最後の数段を一気に駆け抜け一足先に階段の先の状況を確かめる。
良かった安全そうだ!
目に見える情報だけに喜び飛び込んだ三階の踊り場、しかし階段からは丁度死角になっていた曲がり角の所、そこでゾンビと鉢合わせてしまう。
「きゃっ」
思わず上げてしまった悲鳴、ボクは今分かっている中で一番犯してはいけない失態を犯してしまったのだ。
サーっと血の気が一気に引いて行く音を聞いた気がする。
目の前のゾンビの顔がグイッと持ち上がり、潰されるだけ潰されたその顔は苦悶の果てに亡くなったのだろう酷いものなのに、その痛々しさとは対照的な程の喜悦の表情を浮かべている様にも見え、それが恐ろしさを一層煽る。
『バゥァアアアアア!』
掴みかかってくる目の前のゾンビの腕、それを転がり何とか避ける事には成功する。だけど音を聞きつけたのだろう何体かのゾンビ達が集まってくるのが見える。
「――――――っ!」
ゾンビを躱わそうと体制を崩して倒れこむ紗希の姿が見える。何とかしなきゃと立ち上がり、急いで紗希へと近寄る。
だけど必死に合流した時に気が付いてしまう。
事態はもうボク一人で頑張ってどうにか出来る状況では無くなってしまっている事に。
ヒタヒタとボク達を追い詰める様にゆっくりと迫ってくるゾンビ、必死に悲鳴を堪えながら二人でお尻をつけたまま必死に擦り下がるけど、すぐに壁にぶつかってしまいそれ以上下がれなくなる。
ヒタヒタと不気味な足音を鳴らしながら、左右どちらを見てもゆっくりと迫ってくるゾンビの姿、ボクにはもう誰か助けてと祈る事しか出来なかった。
「ごめん……ごめんね、紗希」
そう呟くと紗希は黙ってボクを抱きしめてくれた。ボクも紗希の柔らかい身体を抱きしめ返しながら目を瞑り、紗希にゴメンねと謝りながら最後の時が来るのを静かに待った。
「―――諦めんな!死にたくないならもう少しだけ頑張れ!」
だけどそんな時だった。力強い声が廊下に響き渡り、ボクはその声を聞いた瞬間慌てて目を見開いた。
誰の声かも分からないけど諦めるなという強い声、その声に僅かな希望が生まれる。
誰でもいい助けて欲しい、そう願いながら目の前に迫ったゾンビから逃れようと紗希と抱き合ったまま必死に転がる。
ギリギリ躱せたのはその声に反応したゾンビの行動が僅かに遅れたからだと思う。
本当にギリギリだったから僅かにゾンビの指先がシャツに掛かってしまい、ビリビリとジャージの生地が破ける音がしたけど今は気にしている余裕なんて無く、ただただ必死に転がった。
何度か回転しながら声に反応したゾンビが移動したスペースへと転がり込む。
慌てて顔を上げると丁度目の前ではバットを振り下ろした誰かの姿が見え、次の瞬間にはグシャっと言う鈍い音を残しゾンビが倒れていた。
たった一言でボク達に生きる希望を与えてくれたその人は、目の前のゾンビを一撃で倒し、そしてボク達を庇うように背中を向けながら他のゾンビへとそのバットを突きつけたのだった。
「良く頑張ったな、後は任せろ」
まるで物語の英雄の様な後ろ姿、それがボクと秋斗の初めての出会いだった。




