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魔法陣の向こう〜呪いの魔女グレイシアの物語〜  作者: サンガツワサコ


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5

ずっと向き合ってきた古い魔法陣たちを手放す時が来た。

この世界に数多ある魔法陣のルーツを追い分類し精査する細やかな作業は、没頭すると何もかもを忘れさせてくれる。

何のための研究か、などと考えたこともなく、それはきっと、ヴィンセントには明らかな目的があったのであろうが、弟子であるグレーシアはただ、その作業と探求に集中した。

けれどそれを誰も止めることなく、続けているということは、この研究が何かしらに役立っていることに違いはなく、それらを発表し活用するのは彼女の弟子たちの役割でもあった。

今、残っている弟子のランバートには元祖の魔法陣の解体と再構築を得意とする。グレーシアの研究の大半は、彼とメリッサが受け継ぐだろう。現在は筆頭魔術師として王宮魔術師たちをまとめる立場にいるメリッサは、そろそろ50になる。ちょうど王宮魔術師を降りたいと話していたところだ。そんな話をしていたところに、筆頭の冠を載せられてうんざりしていたから、研究職への誘いに喜んで乗ってくるだろう。

また、魔法爵は騎士爵同様に領地を持たない爵位であり、使用人も全てが王宮に使えるものたちが離宮と同じ扱いで勤めていることから、家族を持たないグレイシアが養わねばならない者も存在しない。爵位を返上すれば、彼女は自由だ。


黙々と、自らの研究についての後片付けに専念しているグレイシアを見て、弟子は怪訝な表情で書類を覗き込んでくる。

研究について、本来は補助はしても邪魔をしてこない弟子のこんな姿は珍しいが、弟子になったばかりの若い子どもでもないのだからと、グレイシアは無反応を貫いていた。


「珍しく発展しませんね。次の魔法陣には、いつ取り掛かるのです?」


ついにランバートが尋ねたのは爵位の返上を決めてから半年が経った頃だった。正直にいって、こんなにも新たな魔法陣の研究を進めなかったことは過去にない。


「研究は貴方に譲ります。12年もここに居れば、もう、学ぶことはないでしょう?」


12年前に15歳で弟子入りしたランバートには、もう随分も前から独立を促している。それを、婚姻が成立するまでここに居続けた兄弟子の例を持ち出して、自分も同じように家庭を持つまでは弟子を続けると断言して居座っていたのだ。弟子たちは大概が学生の頃から結婚適齢期までの短い期間に各魔術師に師事し、学びを得て独立してゆく。女性であれば4〜5年、男性でも通常であれば10年居れば良い方だ。しかしグレイシアの弟子たちはそれよりも長く師事しており、結婚後も弟子を続けたり、そもそも結婚を選ばず、魔術師として身を立てた女性(メリッサ)もいる。



特に3人目の男弟子レオンハルトはグレイシアに執着し、29で結婚するギリギリまで彼女のそばにいた。グレイシアは研究にしか興味を持たなかったので気が付かずにいたが、いつまでも結婚を決めない弟子は貴族の家の嫡男であった。その家族に睨まれ続ける師匠を、女弟子のナリーニが全力で守護してくれていたと後に王妃から聞いた話である。だから、グレイシアは2度と男弟子を取るつもりはなかった。

しかしランバートには家の決めた許婚があったために、拗れることはないと信じて弟子入りを認めた。認めたものの、あまりにも研究に没頭しグレイシアの研究補助に徹しすぎて、また同時期に結婚後も弟子を続けていたナリーニが出産で離れたタイミングでもあり、許婚から婚約を解消されてしまったらしい。曰く、研究室で何が行われているか外部の人間にはわからない、と。

魔術師たちは呆れたようにそれは研究だろう、と言ったものであるが、グレイシアの見た目の呪いを知った彼の許婚は疑惑を確信に変えて、騒ぎ立てたようだ。

ランバートに言わせると、当時髭もじゃで髪も整えずに月一の茶会へやってくる彼を、相手が嫌悪したということであるが、今のランバートは補佐の仕事で王宮にも出入りする為、子綺麗に整えており、決して女性に嫌悪されるような見た目ではないはずだ。

婚約を解消して他家へ嫁いだはずの元許婚が今更彼に秋波を送っているという噂もあったが、彼はまだ27と若く、またグレイシアに弟子入りしている有能で将来も有望な魔術師として、婚姻話の次々と持ち込まれているだろう。


その、ランバートは、改めてぐるりと研究室を見渡す。

何年も保留にしてあった魔法陣の研究が片付き、こんなにも研究室の中が片付いたことは、少なくとも彼が弟子入りしてからは一度もない。


彼は黙ったまま、研究室に隣接する仮眠室のドアを開ける。


ここは実質的にグレイシアが私室に使っている。この研究室自体が魔法爵へ自宅として与えられた離宮内にあるもののほぼ自室に戻らない。しかしながら魔法爵につけられた使用人たちも、ヴィンセントが生存していた頃から研究室に日参していたので魔法爵というのはそういうものだと疑問に思うこともなく問題なく生活してきた。


今も、研究室の反対隣の給湯室には魔法爵のメイドが軽食の準備をしているはずだ。


さて。

その仮眠室が、片付いている。


通いのランバートか朝にきても夜に帰る時にもグレイシアは研究室に居たので気がつかなかった。そういえば近頃、グレイシアが日中に仮眠室を利用しているところを見ていない。


「いまさら、真っ当な人間になるおつもりですか?」


彼の言い回しに、苦笑いが漏れる。


「呪いの魔女は、真っ当な人間では無かったか」


「まともな人間であると思ったことはありませんが」


ランバートと研究以外の話をするのは許婚の騒動があって以来か。

いずれ知れることだ。


「魔法爵を返上して、王都をでる」


表情も言葉もないランバートの視線に、グレイシアはまた苦く笑う。


「まともな老女になろう

と思ってね」


その言葉に、ランバートが驚く。


「呪いが解けるのですか!」

「いや…それはまだこれから。そうだね。王都をでたら、その呪いに向き合っていこう。ここにいる限り、他の研究につきっきりだったからね」


「ここであなたの呪いの研究をすれば良いでしょう」


「ここでは、その研究は不可能よ」


ヴィンセントの魔法は、緻密で難解で高精度と抜かりがない。彼女は、自らの内に仕掛けられた魔法陣の正体を何度となく探ってきた。

当時「変わらずに」の正体が肉体にまで及ぶとは思わなかったが、何度探っても魔法陣自体を守護する機能が働いて、うまく見定めることが叶わない。そしてそれは、おそらくはヴィンセントが編み上げた異端なる魔術をはばむ魔法と一部の魔力を共有している気配があった。

グレイシアは他の魔法陣については修正を行なっても、ヴィンセントが編み上げた偉大なる魔法陣については、主人の更新(王の交代時)以外に触れることを恐れていた。それは、このウチなる魔法陣の保護機能が働いていたためかも知れない。

いずれにしても、守護の魔法陣のうち、ヴィンセントの魔法陣だけは、王宮周辺と王都までにしか効果は及ばない。王都を出れば、或いは彼女の時を止めていた魔法陣自体が何かしらの変化を見せるかも知れず、それに思い至らなかった自らに、グレイシアは苦い笑みを溢さざるをえなかった。


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