2
「義姉上」
王宮の地下にある魔法陣の微調整をしていたグレイシアに声をかけたのは、大公アルドレットだった。今年66歳になる大将軍は、グレイシアの婚約者だったヴィンセントと、そして先王の弟にあたる。ヴィンセントが世を去って30年以上経つが、その後誰とも婚姻を結ばずに独身を貫いているグレイシアを義姉と呼んでくれている。
久しぶりに聞く…かつての恋人に少し似た声が懐かしい。グレイシアの口元に笑みが浮かんだ。
代替わりしている実家の伯爵家とは随分と疎遠になり、また婚約者であったヴィンセントが叙爵され、そのまま一代で立ち消えた魔法爵はグレイシアへ叙爵された。故に、婚姻こそ結ばれずに終わったが、彼女はヴィンセントと同じ家名でレイド魔法爵を名乗ることを許されている。
魔法使いの国であるディパレイド王国では、魔法爵は公爵家と同位で、王家筋でも魔法に秀でた血筋にのみ認められる爵位とされ、当主が魔法爵に相応しくないと判断されれば侯爵へ降格される。
また、王家筋の公爵家も、また侯爵家以下も同様に、後継は男子のみとされ、公女が当主となるばあいには同じく侯爵へ、侯爵ならば伯爵家へと降格される。
ただし、魔法爵のみ、魔力と魔術の才能が認められれば、女性でもそのまま魔法爵を受け継ぐことができる。
一代爵位と言われる騎士爵とは、全く異なる爵位と言えた。
王女が降嫁せずに叙爵されることは稀であるが、魔法爵に限っては、過去に数名が叙爵された記録が残っている。
グレイシアは王族ではなかったが、表向きではヴィンセントの婚約者であったこととその魔法の才能と魔力、異端なる魔術を阻む魔法の魔法陣構築への多大なる貢献が認められて。裏では思いがけない病による自らの不調に気付いた先王ドリオレントが、当時の第二王子ヨシュアと王妃プリシアが起こした騒動によるグレイシアの離反を恐れ、王国に封じるために叙爵したとも噂される。最も実を言えば、伯爵家出身あったグレイシアの兄嫁が、当時の王妃と懇意にしていたため、グレイシアを忌避したというのが理由に近い。グレイシアはヴィンセントが所有していた離宮の研究室の仮眠室でほぼ寝起きしていたが、彼女の世話をする使用人たちを伯爵家(おそらく女主人となった兄嫁)が引き上げたために、一時グレイシアが薄汚れていたのだ。それを当時の弟子のポリアンナが国王に進言したことで離宮の使用人がグレイシアの世話をするようになり、これを機にと、ドリオレント王がグレイシアに、レイド魔法爵を叙爵した。
実際にこの2年後に先王ドリオレントが他界し、王太子であったセヴァリウスが即位したときには国主交代の魔法陣の書き換えは全てレイド魔法爵グレイシアによってつつがなく行われた。
柱の魔法陣にもう修正が必要な箇所がないか、もう一度確認する。手袋をはめていないグレイシアの白い指がいくつかの魔法陣をなぞると、なぞった部分が白く光る。
問題なく稼働していることを、確認して彼女は、ほう、と息をついた。
魔法陣の書き換えを、グレイシアは2度行っている。
1度目は、先大公が5年の中継ぎを終え、先王ドリオレントが即位した時。まだ健在だったヴィンセントが構築途中の魔法陣へ魔力の大半を持っていかれていた為に、弟子であるグレイシアが師匠立ち会いの元で書き換えを担った。
2度目は現在の王セヴァリウスの即位時であるが、傍には師匠ではなく、弟子であったメリッサがついていた。そのメリッサも既に独り立ちして久しい。王宮魔術師として勤めて長く、昨年には女性としては2人目の長に任じられた。
女性筆頭魔術師の一人目は、グレイシアであるが、現王の弟にあたる現ヨシュア公爵が成人したての頃にグレイシアに懸想して当時の彼の婚約者や先代王妃から違法な術を疑われたことで退任している。
現王はまだ45歳と若く、大公の活躍によってかつての敵国フェンスブリアは王国の領土となり、大国となった現在のディバレイド王国には戦争の脅威もない。それでも50になったら太子に譲位するつもりであることを、グレイシアは内々に聞いている。まだ先の話ではあるが、次の書き換えはメリッサが担うことになるだろうか。
グレイシアは修正した箇所を記録して、メリッサの元へ魔法で送る。
メリッサとも、久しく顔を合わせていない。
「グレイシア殿」
改めて呼ばれて、グレイシアは顔を上げてアルドレットに向き直った。
「お久しぶりです、アルドレット様」
魔法爵としては男性貴族の礼をするのが一般的だが、昔馴染みの彼には、女性の礼をする。
ここには王の兄弟と王宮魔術師以外出入りしない為、グレイシアは手袋を外し、フードも脱いでいた。
「その姿を見るのも、何年振りか。相変わらず…」
若いままだ、と言葉を飲み込み、苦笑いをする。
「…兄上の執着を感じるな」
グレイシアもつられて苦笑する。同世代のはずの大公は今年66か。
たった今魔法陣に触れていたので、時の流れが正確に把握できているが、ここを離れて自らの研究室に戻れば、ほぼ40年前と変わらぬ空間に囲まれてしまう。彼女に魔術の弟子や世話を焼いてくれる使用人は居ても、研究に没頭している彼女の邪魔はしないから、彼女の毎日はいつも淡々と過ぎて行く。
しかし、時は確実に流れ、グレイシアは取り残されてゆく。
果たして、未だ同世代とこうして話すことができているが、あと20年後、自分はどうなっている事だろう?
見た目はこのままに、変わらずに取り残されていくのか、はたまた同世代と同じようにこの世を去ることになるのか。
グレイシアよりも一つ年上の、大公の妻から、近ごろ便りが途絶えている。
「カテリーナ様は、いかがお過ごしでしょうか」
王弟であるアルドレットに嫁ぐことを最後まで躊躇していた、子爵家出身の女騎士だったカテリーナとは、戦時中から親しくしていて、文字通りの戦友といえる。
「あれは今、初孫に夢中にでな。はしゃぎすぎて先日落馬しよって、今は寝台で大人しくしているよ」
騎士として、長く騎馬と親しんだ彼女が落馬とは。グレイシアは息を呑む。
「快癒に向かわれてますか?診に行きましょうか」
眉を寄せるグレイシアは鼻から下を黒いベールのマスクで覆っている。その若々しい目元を眺めながら、アルドレットは肩をすくめる。
「歳が歳だからな。肩と脚をやったのだと思うが、動けるようになるとは思えん。痛みにはもとより強いし緩和薬が効いているのだろうが。気落ちしているし、暇を持て余している」
もとより活動的な彼女のことだ、それはさぞかし辛かろう。
「宮廷医が診てくれているから、治癒は要らんだろうが、顔を見せてやってくれないか」
自らの異変に気付いた頃から、グレイシアは招かれない限り、人を訪ねることはなくなった。
彼女と対面交流があるのは、現在の王夫妻と王太子夫妻、一部の王宮魔術師、そして彼女の世話をする魔法爵邸の使用人家族のみである。
「カテリーナ様とお会いするのは久しぶりだわ…」
招かれて嬉しい反面、不安もある。
「…アレが義姉上の見目を気にすると思うか?」
グレイシアの懸念を拾うように、アルドレットが尋ねる。
男勝りとも言える、気概の良いカテリーナの気質を思い浮かべて、グレイシアは微笑んだ。
「いいえ、見目ではありませんよ、アルドレットさま」
老いと機能の問題なのです。
それは同世代のアルドレットにも当てはまることであるから、グレイシアは言葉を飲み込んだ。




