第八話 球体、四つ
日曜日の、午後三時。
ぼくは、部室に、すこし、早めに、着いた。
ドアを、開けると、桐島先輩が、ひとり、机に向かっていた。
古い、紙の束を、見ているところ、だった。
ぼくの足音に、気づいて、ぱっと、ファイルに、しまった。
「先輩、それ、なんですか」
「べつに」
「べつに、じゃ、ないですよね」
「うちの竹内くん、いまの口、なまいき」
桐島先輩は、めがねを、ぱっと、押し上げた。
ぼくは、ちょっとだけ、ファイルの背を、見た。
何の文字も、書いてなかった。
「先輩、むかしから、ふつう、撮るんですね」
桐島先輩は、答えなかった。
かわりに、ファイルを、机の引き出しに、すうっと、しまった。
ドアの方から、アールが、すうっと、入ってきた。
* * *
商店街は、いつものぬるい光に、つつまれていた。
ぼくと、桐島先輩と、アール。
三人で、フィルムを買いに、出てきていた。
桐島先輩が、カメラ屋のおじさんに、フィルムの種類をこまかく聞いていた。
「いつものでいいの?」
「うーん」
「いつものじゃないやつ、ある?」
「いつもの、じゃないやつねえ……」
「夕方のとろっとしたやつ撮りたいんだ」
「あー、それなら、こっちかな」
ぼくと、アールは、後ろで、ぼーっと待っていた。
カメラ屋の店内は、せまくて、木のたなが、いろんな箱でいっぱいだった。
ラジオが、平和な音楽を、流していた。
「アール」
「はい」
「お前、それ、何時間立ってる」
「五十二分です」
「お前、時計か」
「軽量モデルですが」
「軽量モデルは、関係ないだろ」
アールは、こちらを、ちらっと見て、それから、また、まっすぐ前を向いた。
「夕方光まで、あと、二時間です」
「だから、お前、時計だな」
桐島先輩が、ぱっとふりむいた。
「ふたりとも、店ん中で、こそこそしないの」
「すみません」
「すみません」
ぼくと、アールが、同時に、頭を下げた。
桐島先輩は、ふんと鼻で笑って、また、フィルム選びにもどった。
* * *
商店街に、出る。
四月のおわりの空気は、もう、すっかり、あたたかかった。
桐島先輩は、フィルムの入った白い紙袋を、ぶらぶらと、ぶら下げて歩いていた。
アールが、すこしだけ、ぼくの方を、見た。
「竹内さんの、観察記録は、長期保存対象、です」
「優先度が、高いです」
「優先度?」
「特区、運用上の、判定です」
「特区で、流すな」
「で、結局、何撮るんですか」
ぼくが、聞いた。
「商店街の、ふつう」
「ふつう?」
「ふつう」
「ふつうって、なんですか」
「ふつうは、ふつうだよ」
「先輩、それ、答えになってないです」
「うちの竹内くん、ちょっと、口、達者になってきたねえ」
桐島先輩が、にやっと笑った。
ぼくは、すこし、目をそらした。
「あんた、慣れてきたでしょ、こういう、街に」
「えっ」
「ふつうの子なら、もっと、ふつうじゃないことに、いちいち、おどろく」
「えっ、すいません」
「謝ることじゃない」
桐島先輩は、すこしだけ、空を見上げた。
UFOの銀色の点は、今日は、ひとつも、いなかった。
「うちの街は、特別、らしいから」
ぽつりと、言った。
「特別、ですか」
「特別」
「便利な言葉ですね、それ」
「うちの竹内くんも、覚えるといいよ」
「えっ」
「困ったときに、特区だから、で、たいていの話は、流せる」
ぼくは、ファインダーを構えるふりをして、レンズを、桐島先輩に向けた。
桐島先輩が、ぱっと、手をふった。
「やめて。気持ち悪いから」
「すいません」
ぼくは、レンズを、すぐ、空に向けた。
* * *
商店街の、薬局のまえに、白い軽トラックが停まっていた。
ぼくは、なんとなく、目で、追った。
側面に、太い文字で、書いてあった。
『機械化学園特区 管理課 緊急回収』
「先輩」
「ん」
「あれ、なんか、書いてあります」
「うん、書いてあるね」
「特区、管理課、緊急、回収」
「うん」
「不穏な単語、ぜんぶ、入ってますよ」
「特区だからな」
「もう、それ、出ましたね」
桐島先輩は、すこし、おもしろがる目で、軽トラを見ていた。
軽トラの荷台のあおりが、あいていた。
中に、白い、丸いものが、四つ、ならんでいた。
スイカ二個分、くらいの、大きさだった。
差し色で、それぞれ、色がちがった。
黄色。赤。青。緑。
つやつやとした、白い表面が、夕方の光に、にぶくはねかえっていた。
「アール」
「はい」
「あれ、なに?」
「機械です」
「それは、見れば、わかる」
「データベース照会、しています」
「お前、そういう、もったいぶり、やめて」
アールは、すこしだけ、間をあけた。
「特区案件」
「お前らも、特区頼りかよ!」
* * *
軽トラのとなりで、作業服のおじさんが、ふたり、たばこをすっていた。
なんか、めんどくさそうな顔を、していた。
そのとき。
ガコッ。
軽トラの荷台のあおりが、ばたんと、地面におちた。
おじさんふたりが、同時に、「あ」と言った。
中の、白い、丸いものが、ひとつ、ころんと、転がりおちた。
つづけて、もうひとつ、ふたつ、みっつ。
四つ、ぜんぶ、転がりおちた。
ころころと、薬局のまえの石畳の上を、ばらばらの方向にころがっていった。
不意に、一つが、ぼん、と、地面に弾んだ。
つづけて、別の一つも、ぼん、と、弾んだ。
四つ、ぜんぶが、とん、とん、とん、とん、と、おなじタイミングで、地面を打った。
石畳に、こもった音が、商店街の軒下に、ひびいた。
おじさんのひとりが、たばこを口にくわえたまま、つぶやいた。
「あー」
もうひとりも、たばこをくわえたまま、つぶやいた。
「うわ」
それだけ、だった。
ぼくは、桐島先輩の顔を、見た。
桐島先輩は、ぼくの顔を、見た。
「先輩」
「うん」
「あれ、特区、ですか」
「特区、だね」
「特区、ですよね」
「特区、だよ」
アールが、ぼくらの、すこし前に、ぼけっと、立っていた。
「特区、です」
「お前、なんで、すこし、うれしそうなんだよ」
「定義の問題です」
四つの、丸いものは、ばらけたあと、なぜか、また、寄ってきた。
なんとなく、薬局のまえに、ならんだ。
胸のあたりで、赤いランプが、四つ、同時に、ぴこんと、光った。
レンズみたいな、ガラスの目が、くるりと、回って、ぼくたちをとらえた。
ぴこ、ぴこ、ぴこ、ぴこ。
四つの、ランプが、おなじリズムで、明滅、しはじめた。
ぼくの、足の裏が、ちょっと、つめたくなった。
* * *
「下がってください」
アールの声が、すうっと、低くなった。
「えっ」
「薬局の中へ」
「えっ、えっ」
桐島先輩が、ぼくの腕を、ぐいっと、つかんで引いた。
「動け」
「は、はい」
ぼくらは、薬局のドアを、押しあけて、中にころがりこんだ。
カラン、と、ドアの鈴が、なった。
薬局のおじさんが、レジで、新聞を読んでいた。
ぼくらを見て、ちょっと、首をかしげた。
「あれ、いらっしゃい」
「すみません、ちょっと、そこに、特区が」
「ああ、特区ね、はいはい」
「軽い対応ですね」
「うちは、店内には、入ってこないから」
おじさんは、また、新聞に、目をおとした。
外で、ぴこ、ぴこ、ぴこ、と、ランプの音が、つづいていた。
四体のうち、赤い差し色の、一体が、すうっと、ななめ後ろに、さがった。
残った、三体──黄色、青、緑──が、三角形に、ならんだ。
赤いランプの明滅が、ぴ、ぴ、ぴ、ぴ、ぴぴぴぴぴ、と、急に、はやくなった。
「アール」
「はい」
「あれ、ちょっと、こわい、リズム」
「同感です」
「同感するな」
「では、撤回します」
「お前のそれ、ぜんぜん、こわがってないだろ」
ブシュゥゥゥンッ!!
三角形の、まんなかから、太い、水の柱がぶっ放された。
ぶっ放された、というのが、いちばん、近い音だった。
噴水じゃ、ない。
水の、たまの、機関砲、みたいだった。
水柱は、薬局のまえの、石畳に、ななめにたたきつけられた。
水煙が、わっと広がって、風が、ぐるりとまわった。
石畳が、ぱきっと、われた。
本当に、われた。
古い石のつなぎ目が、水圧で、ぼろっと、欠けて、小さな破片がはねた。
水しぶきが、薬局のガラスに、ばちばちとあたった。
桐島先輩が、ぼそっと、つぶやいた。
「うちの市、破産しないかな」
「保険、あります」
アールが、しれっと、答えた。
「特区だから?」
「特区だから、です」
「便利な言葉だな、本当」
水柱は、五秒くらい、つづいて、ぴたっと、止まった。
水煙だけが、ふわっと、のこった。
ぼくの心臓は、まだ、どきどきと、はねていた。
ガラス越しに、見えた四体の、白い丸いものは、また、ばらけて、位置を入れ替えはじめていた。
お父さんの声が、ふと、耳の奥で、する。
──正しく見るんだ。そうすれば、こわくない。
ぼくは、ファインダーを、構えなおした。
声には、出さなかった。
* * *
四体のうち、こんどは、青い差し色の、一体が、すうっと、後ろに、さがった。
残った三体──黄色、赤、緑──が、また、三角形に、ならんだ。
「アール」
「はい」
「次は」
「光が、ちがいます」
「光?」
「発熱系統、です」
「は?」
三角形の、まんなかが、ぐおっ、と、ゆれた。
熱の、かたまりみたいな風が、薬局のドアを、ばあんと、たたいた。
ガラスが、ぶるんと、ふるえた。
外の、商店街の旗が、いっせいにねじれた。
水の跡が、しゅう、と、湯気に、なった。
桐島先輩が、首にかけていた、薄手のタオルを口にあてた。
「これ、夏服でも、暑いね」
「現在の室温、三十八度です」
アールが、しれっと、言った。
「五度、上昇しました」
「五度!?」
「上昇は、十秒で、おさまります」
数えるみたいに、十秒、たった。
熱は、ふっと、引いた。
商店街の旗が、もとに、もどった。
外の空気には、すこしだけ、こげくさい、においがのこっていた。
ぼくの、ほっぺが、まだ、熱かった。
「アール」
「はい」
「お前は、平気なのか」
「私は、室温三十八度でも、稼働します」
「お前、ちょっと、こいつらの仲間っぽいぞ」
「失礼です」
* * *
四体は、また、ばらけた。
こんどは、緑の差し色の、一体が、後ろに、さがった。
残った、黄色、赤、青、が、三角形に、ならんだ。
「アール」
「はい」
「次は」
「電気、です」
「電気!?」
バリ、バリ、バリッ。
空気が、紙を、やぶくみたいな、音を、たてた。
地面の、鉄のふた──たぶん、マンホール──の上に、青白い、すじが、走った。
すじは、ばちばちと、はねながら、商店街の、街灯のほうにのびていった。
街灯が、一回、きゅっと、暗くなって、ぱっと、明るくなった。
「下手に、触ったら、終わるな」
桐島先輩が、つぶやいた。
「終わりますね」
アールが、しれっと、同意した。
「同意するな」
ぼくは、思わず、ツッコんだ。
「では、撤回します」
「お前、毎回、すぐ撤回、するな」
電気は、五秒くらいで、止まった。
空気が、金属の、にがいにおいに、なっていた。
ぼくは、口を、半分、あけたままだった。
四体は、また、ばらけて、つぎの組みあわせに、入ろうとしていた。
* * *
ぼくは、ファインダーを、おろした。
「待って」
「はい」
「アール」
「はい」
「あいつら、四体で、毎回、ひとつ、欠けてる」
「はい」
「赤がいないとき、水」
「はい」
「青がいないとき、火」
「はい」
「緑がいないとき、電気」
「はい」
「……黄色は」
アールは、すこしだけ、間を、あけた。
「過去のログを、照会、しました」
「うん」
「黄色が、欠けたパターンは、ありません」
「いま、欠けたら、どうなる」
「組みあわせ上、出せるのは──」
「音、だけ、です」
ぼくは、桐島先輩の、顔を、見た。
桐島先輩は、ぼくの、顔を、見た。
「アール」
「はい」
「あれ、蹴り、壊せるか」
「条件によります」
「ぼくのせいに、していいから」
アールは、すこしだけ、ぼくを、見た。
それから、ちいさく、首をかしげた。
「せいに、しま、せん」
「そこ?!」
「責任の所在は、明確に、します」
「いまは、そういう話、してないだろ」
「事実です」
「お前、いつも、事実、事実、いうな」
桐島先輩が、横で、ぼそっと、笑った。
「いいから、行きなさいよ、アール」
「承知しました」
* * *
アールは、薬局のドアを、しずかにあけた。
カラン、と、鈴が、なった。
それから、革靴で、歩いた。
走らなかった。
歩いた。
外の石畳は、まだ、水でぬれていた。
四体のうち、黄色の一体は、すこし、はなれた場所に、ぼけっと、立っていた。
アールは、その横まで、来ると、ぴたっと、足を、止めた。
足を、後ろに、ひいた。
体勢を、整えた。
軽く、蹴った。
サッカーの、インサイドで、ボールを、ころころ、ころがすような、力の、入っていない、蹴り方、だった。
その、瞬間。
アールの、つま先と、黄色の球体が、ふれた、その、せまい、すき間から。
ぴしっ。
青白い、電流が、一本、走った。
バチッ。
黄色の球体は、たて、まんなかから、ぱきっと、二つに、われた。
中身は、空っぽだった。
アールは、しれっと、片足を、もどした。
革靴の、つま先には、なにもの、ついていなかった。
外の風が、すうっと、ぬけて、商店街の旗が、ふわっと、ゆれた。
* * *
「……お前」
ぼくが、つぶやいた。
「はい」
「今の、蹴りか?」
「蹴りです」
「蹴り、か?」
「蹴り、で、ございます」
「何で、つま先から、電気、出てんだよ」
「学校安全装置の、一部です」
「学校に、なんで、そんなのが、ついてんだよ」
「生徒間の、物理的、諍い(いさかい)を、非破壊的に、収束させる、ためです」
「今のは、破壊だったぞ」
「機械相手は、非対象、です」
「抜け穴、使うな!」
桐島先輩が、横で、すこしだけ、口に手をあてた。
「うちの学校、こわい」
「ほんと、それ」
ぼくは、深く、うなずいた。
* * *
残った、三体──赤、青、緑──が、ふらふらしながら、また、寄ってきた。
ばらけて、ぐるっと、まわって、三角形にならんだ。
「アール」
「はい」
「これ、もう、音だけ、なんだろ」
「はい」
「だよな」
「ただし、想定範囲を、こえなければ」
「こえたら?」
「想定外、です」
「答えになってないよ!」
赤いランプの、明滅が、ぴ、ぴ、ぴ、ぴ、ぴぴぴぴぴ、と、はやくなった。
ぼくは、思わず、耳を、ふさいだ。
桐島先輩も、両手で、耳をおさえた。
ゴオオオオオオオオオオオオン──
低くて、おなかの底に、ひびく、ような、音が、商店街じゅうに、ひびきわたった。
街の犬が、いっせいに、ほえはじめた。
商店街の旗が、また、ふるえた。
カラン、と、薬局の店内の、薬の瓶が、棚で、すこし、ゆれた。
おじさんが、新聞から、目をあげた。
「うわ、にぎやかだね」
「すいません」
ぼくは、なぜか、あやまった。
音は、三十秒くらい、つづいて、ぴたっと、止まった。
ぼくの、耳の中は、まだ、わんわんしていた。
桐島先輩が、ぼくの方を見て、口を、ぱくぱく、させた。
「先輩、聞こえます?」
「(口の動きだけで)きこえない」
「聞こえてないけど、何言ってるか、わかりました」
「(口の動きだけで)きもちわるい」
「先輩、それは、聞こえなくても、わかりますよ」
桐島先輩は、ふっと、笑った。
ぼくも、笑った。
* * *
軽トラの、作業服のおじさんふたりが、たばこの火をもみ消しながら、こちらに歩いてきた。
「あー、すいませんでしたー」
ひとりめのおじさんが、頭を、ぽりぽり、かいた。
「いやー、おさわがせしましたー」
ふたりめのおじさんが、めんどくさそうに、ぺこっと、頭を下げた。
桐島先輩が、にっこり、笑った。
ぼくは、その笑顔を、見て、ちょっと、ぞくっと、した。
「あの、これ、市長に、クレーム入れときますね♥」
おじさんふたりが、同時に、固まった。
「ぴ、ぴーっ?!」
「ま、まじで、ですか」
「ふつうに、やばいでしょ、これ」
桐島先輩は、ふっと、笑顔を消した。
「住民です。日曜日に、撮影外出も、できないでしょ、こんなんじゃ」
おじさんふたりは、観念したみたいに、深く、深く、頭を、下げた。
そのまま、慣れた手つきで、転がっている三体の球体を、ばっと、回収していった。
四体目──黄色の、われたやつ──も、二人がかりで、ばっと、トラックに積んだ。
「あの、これ、こわしたの、ぼくらで」
ぼくが、おそるおそる、言った。
「いやー、こちらが、すみませんでー」
「賠償の話は、後日、お伺いします」
アールが、すうっと、まえに出た。
「……承知、しました」
おじさんふたりは、すこしだけ、青ざめながら、軽トラに乗りこんだ。
ばたんと、ドアを、しめた。
エンジンが、かかった。
軽トラは、ふつうのスピードで、商店街の角を、曲がって、消えた。
* * *
商店街は、ふっと、もとにもどった。
ラジオが、また、平和な音楽を流していた。
水で、ぬれた石畳だけが、夕方の光に、てかてかと、光っていた。
「……紅茶が、飲みたく、なりましたね」
アールが、しれっと、つぶやいた。
ぼくは、ふりむいた。
「だから、紅茶飲むと、お前、壊れるだろ」
「……そうでした」
「今さら、思い出すな」
桐島先輩が、横で、ぷっと、噴いた。
「あんたたち、ほんとに、コンビ感、出てきたねえ」
「えっ」
「いえ、別に」
桐島先輩は、白い紙袋を、もういちど、ぶら下げなおした。
「帰ろうか」
「はい」
「はい」
ぼくと、アールが、同時に、うなずいた。
商店街を、三人で、歩いた。
夕方の光は、ちょっとずつ、オレンジに傾きはじめていた。
ぼくは、なんとなく、ファインダーを、のぞいた。
「先輩」
「ん」
「結局、ふつう、撮れなかったですね」
「うん」
「ぜんぜん、ふつうじゃ、なかった」
桐島先輩は、ちょっとだけ、空を見上げた。
「ふつうって、撮ろう、と、すると」
「はい」
「撮るまえに、なくなる」
「……そういう、もんですか」
「そういう、もんなのよ」
ぼくは、ファインダーごしに、商店街を見た。
地面には、まだ、水の跡がのこっていた。
ガラスには、こまかい、ひびがはしっていた。
空気には、ちょっとだけ、こげくさい、においが、まだ、ただよっていた。
それでも。
カメラ屋のおじさんは、店のまえで、たばこを、ふつうに、すっていた。
おばあさんが、買い物かごを、さげて、ふつうに、歩いていた。
商店街のラジオは、ふつうに、平和な音楽を、流していた。
ぼくは、シャッターを、ゆっくり、きった。
カシャ、と、まじめな音が、した。
アールが、ぼくの横で、ぼそっと、言った。
「視線解析。竹内さんの、ファインダーへの集中度、高、です」
「うるさい」
「事実、です」
「それも、うるさい」
桐島先輩が、ふっと、笑った。
ぼくの、心の中で、もう一回、お父さんの声が、する。
──正しく、見るんだ。
そうすれば、こわくない。
ぼくは、もう一度、シャッターをきった。
声には、出さなかった。
たぶん、こういう、ことなんだろう、と、思った。
商店街の角で、桐島先輩が、ふと、足を止めた。
「あ、そうだ」
「はい」
「あんた、来週、暇?」
「えっ」
「来週、もう一回、撮りに、来たい」
「……ふつうを、ですか」
「ふつうを」
「ふつう、撮れる、と、思います?」
桐島先輩は、フィルムの紙袋を、ぶら下げたまま、にっと笑った。
「撮れない、ほうに、賭けるね」
「先輩、それ、撮りに来る意味、あります?」
「うん。あるよ」
ぼくは、なんとなく、わかったような、わからないような、顔を、して、うなずいた。
アールが、しれっと、横で、つけ足した。
「来週も、紅茶は、おやめください」
「だから、お前、紅茶、すきだな!」
商店街の、夕方の光が、すこしずつ、深くなっていった。
機械化学園特区の、本日も。
たぶん、平常運転、だった。




