第七話 見えるだけ
朝。
通学路に、鳩がいた。
ふつうの、灰色の鳩、だった。
空を、見上げた。
UFOの銀色は、ひとつだけ、いた。
ぼくは、もう、数えなかった。
教室に入って、自分の席に、ついた。
いつものように、絵島が、ねぶそうな顔で、ぼくの斜め前にすわっていた。
みなみは、教室の前のほうで、本を読んでいた。
アールが、教卓の横で、出席簿を見ていた。
いつもの、朝。
ぼくは、ランドセルからノートをだして、机の上に置いた。
そのときだった。
「ねえ」
声がした。
となりの席。
いつも、まどの外を見ている、今村さんから。
ぼくは、ちょっと、固まった。
「あ、は、はい」
「写真クラブ、見ていい?」
短い声、だった。
無表情の、ふつうの声。
でも、ぼくのほうを、ちゃんと、見ていた。
心臓が、止まった、気がした。
「あ、う、うん」
今村さんは、それだけ言って、また、まどの外を見た。
ふつうに、戻った。
ぼくの心臓だけ、まだ、ばくばくしていた。
「視線、五対五に変動しました」
背中で、声がした。
いつのまにか、アールが、ぼくの後ろに立っていた。
「は!?」
「以上です」
アールは、それだけ言って、教卓のほうへ戻っていった。
机の角を、つかむ手が、ちょっと、汗ばんでいた。
斜め前で、絵島が、ぼそっと、言った。
「お前、人生、ちょっとだけ、進んだな」
「えっ、進んだの?」
「上がってない、とは、もう言ってやらない」
「絵島、それ、どっちなんだよ」
絵島は、それ以上、何も言わずに、また、ねぶそうな顔で、机にほおづえをついた。
* * *
昼休み。
ぼくは、写真クラブの提出書類を職員室に持っていく用事で、廊下を歩いていた。
中等部の、こうしゃとつながる、わたり廊下のところ。
背の高い、女の人と、すれちがった。
七瀬さん、だった。
無表情で、まっすぐに、歩いてきていた。
ぼくは、すれちがおうとした。
ふっ、と、七瀬さんが、足を止めた。
「避難放送に、似た声の、竹内さん」
「そ、その呼び方、やめてください!」
七瀬さんは、ぼくの、ちょっと斜め上のあたりを、見ていた。
「最近、声を出していますか」
「えっ?」
「人は、適切に声を出さないと、避難時に困ります」
「心配されてるのか、警告されてるのか、わかんない」
七瀬さんは、ちょっとだけ、こちらを、見た。
「両方です」
そして、また、まっすぐ歩きだして行ってしまった。
わたり廊下に、ぼくだけが、のこった。
窓から、四月の終わりの、ぬるい風が入ってきた。
七瀬さんが、なんで、ぼくのことを、知っているのか。
いつも、ぼくは、それが、ふしぎだった。
でも、聞いたら、たぶん、答えは、もっと、わからなくなる気がした。
* * *
放課後。
部室。
桐島先輩は、いつものように、機材のチェックをしていた。
ファインダーを、片目でのぞきこんで、つまみをまわしていた。
「あの」
「ん」
「今日、見学、来ます」
桐島先輩は、ファインダーから、目を離さずに、言った。
「ふうん」
「言い方!」
「ふうん、は、ふうん」
「もうちょっと、こう、なんか、あるじゃないですか」
「何が」
「えっ、何が、って」
ぼくは、つまった。
桐島先輩は、ちらっと、ぼくのほうを見た。
そして、ふっと、姿勢を、ちょっとだけ、なおした。
いつもより、ちょっとだけ、せすじが、まっすぐだった。
ぼくは、それに、気づかないふりを、した。
部室の窓から、夕方寄りの光が、入ってきていた。
* * *
ノックの音が、した。
こんこん、と、ふたつ。
「失礼します」
今村さん、だった。
「どうぞ」
桐島先輩は、ファインダーから、目を離さずに、言った。
今村さんは、ふつうに、入ってきた。
ぼくは、なんとなく、立ち上がろうとして、立ち上がるのが遅れた。
「あ、その、こちら、桐島先輩、です」
「うちの副部長」
「あ、はい、副部長の、桐島先輩、です」
今村さんは、ちいさく、おじぎをした。
桐島先輩は、ファインダーから目を離して、今村さんを見た。
「写真、興味あるの?」
「すこし」
「ふうん」
「うちの竹内くん、花は撮れるから」
「はあ」
「人物は、たまに、ヤバいけど」
「先輩!」
ぼくは、声が、うわずった。
そのとき。
今村さんの口元が、ふっと、ゆるんだ。
ほんの、一しゅん。
でも、たしかに、ゆるんだ。
ぼくは、それを、見た。
胸の、おくのほうで、何かが、ぴく、と、動いた。
ぼくは、テーブルの上に、自分の写真をならべた。
ぱさ、ぱさ、と、紙の音が、した。
菜の花の写真、商店街の写真、コンロボの後ろすがた、雲の写真。
今村さんは、いすに、すわった。
一枚ずつ、ゆっくり、見ていった。
ぼくは、なんとか、説明しようとした。
「これは、その、菜の花、で」
「うん」
「これは、商店街、で」
「うん」
「あの、これ、変な構図、で、ごめん、なさい」
今村さんは、写真から、目を上げた。
「変な構図」
「うん、ごめん」
「いえ」
ひと拍。
「面白い」
胸の、おくで。
ぽとり、と、何かが、落ちた。
ぼくは、それが、何か、わからなかった。
でも、たしかに、落ちた。
机の上の、写真の角が、ちょっと、めくれていた。
桐島先輩は、また、ファインダーをのぞいていた。
何も、言わなかった。
* * *
そろそろ、外が、青くなってきた。
今村さんが、いすから、立ち上がった。
「ありがとうございました」
ぼくは、また、立ち上がるのが、遅れた。
「あ、いえ」
今村さんは、ドアのところまで、歩いていった。
ふりかえった。
「また、来てもいい?」
ぼくの、声が、すぐに出なかった。
「あ、はい」
今村さんは、ちいさく、うなずいて、ドアを、しめた。
ぱたん、と、音がした。
廊下を歩く足音が、すこし聞こえて、また、消えた。
部室が、しんとした。
ぼくは、なんとなく、いすに、すわったままだった。
「あの子、おもしろい子ね」
桐島先輩が、ファインダーから、目を離さずに、言った。
「えっ」
「あんたの言うことに、ちゃんと、反応してる」
「えっ、そうですか?」
「気づいてないの? まあ、あんたらしいけど」
桐島先輩は、いすから、立ち上がった。
ぼくの、上ばきが、ちょっと、曲がって、ぬいであった。
桐島先輩は、それを、つま先で、すっ、と、そろえなおした。
「あんた、しっかりしなさい」
「は、はい」
それだけ、だった。
桐島先輩は、また、機材のところにもどった。
それ以上、何も、言わなかった。
* * *
帰り道。
空に、銀色の点が、ひとつ、いた。
ぼくは、見上げた。
でも、もう、数えなかった。
家に、帰った。
リビングのテレビが、ぼんやり、ついていた。
アナウンサーの声が、聞こえた。
『世界は、もう、元には、戻らないのでしょうか』
お母さんは、台所で、なべを洗っていた。
ぼくは、リビングを通りぬけて、自分の部屋に行った。
カメラを、机の上に、置いた。
ストラップが、首に、すこし、あたっていた。
そのところが、ちょっとだけ、あたたかかった。
ベランダに、出た。
空。
夕方の、終わりの、青い空。
銀色の点は、もう、見えなかった。
ぼくは、ポケットから写真を一枚だして、もう一度見た。
商店街の、変な構図の、一枚。
今村さんが、面白い、と言った、あの一枚。
何が、面白かったんだろう。
ぼくには、わからなかった。
でも。
誰かには、わかる。
それで、いい気がした。
写真は、見える。
でも。
見えるだけ、かもしれない。
ぼくの、見たものと、今村さんの、見たものは、たぶん、ちがう。
写真の中には、おなじものが、写っているのに。
諸星さんの声が、頭の中で、ぽとんと、落ちた。
『正しく見るんだ』
お父さんの声も、つづけて、落ちた。
『そうすれば、こわくない』
七瀬さんの声も、すこし、聞こえた。
『最近、声を出していますか』
ぼくは、その意味が、よく、わからなかった。
でも、なんとなく、頭の、すみのほうに、おいておいた。
いつか、わかる、かもしれない。
わからないかも、しれない。
ベランダの、てすりが、ちょっと、ひんやり、していた。
空が、ゆっくり、暗くなっていった。
明日も、たぶん、ろくな日には、ならない。
でも、今日は、それだけで、よかった気がした。
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