第五話 空に七つ、銀色
翌朝。
教室は、いつも通り、だった。
絵島が、ねぶそうな顔で、ぼくの斜め前にすわっていた。
今村さんは、まどぎわで、まどの外を見ていた。
みなみは、教室の前のほうで、本を読んでいた。
アールは、教卓の横で、出席簿を見ていた。
完全に、いつも通り、だった。
「お、おはよう」
ぼくは、今日も、ふつうに、あいさつした。
「おはよう」
今村さんが、ふつうに、返した。
ふつうに、返って、きた。
……ふつうに。
ぼくは、自分の席で、ちょっとガッツポーズした。
絵島が、ぼそっと、言った。
「お前、ふつうに、返事もらえるレベル、上がったな」
「あ、ちょっと、上がった?」
「上がってない」
「えっ」
「ふつうに、もらえてただけ。今までも、な」
「えっ」
ガッツポーズ、損した。
* * *
一時間目が、はじまる、ちょっと前。
まどぎわのほうで、誰かが、声をあげた。
「……あれ」
声のトーンが、いつもとは、違った。
ざわつきが、ゆっくり、止まる。
みんなの視線が、まどの外に、向いた。
ぼくも、なんとなく、まどの外を、見た。
空。
青い。
その中に。
点が、あった。
一つ。
動いている。
「……何だ、あれ」
誰かが、つぶやいた。
もう一つ。
増えた。
さらに、一つ。
等間隔に、ならぶ。
気づけば、七つに、なっていた。
誰も、名前を、言わなかった。
名前を、つけられなかった。
飛行機?
ちがう。
ドローン?
ドローンが、七つ、等間隔でならんでいるのは、見たこと、ない。
星?
昼間に、星は、ない。
「……何だろう」
誰かが、また、つぶやいた。
誰かが、スマホを、向けた。
誰かが、ふるえる手で、写真を撮った。
絵島が、ぼそっと、言った。
「ヤバい、やつ、じゃないか、これ」
「うん」
「うちの母さん、地震のとき、こういう顔してた気がする」
「絵島、それ、悪い方向の、フラグだぞ」
アールが、いつもの、無表情のまま、まどの外を見ていた。
「社会が、また、騒がしくなりますね」
「お前、本当に、それ、ばっかりだな」
「事実です」
* * *
校内放送が、なった。
『生徒の皆さんへ、緊急のお知らせです。本日、一時間目以降の授業は、安全確認のため、ちゅうしいたします。生徒は、すみやかに、ご家庭に、帰宅してください――』
教室が、しずかに、ざわついた。
ぼくたちは、ランドセルを、しょいなおした。
「自宅まで、寄り道、せずに、帰ること」
「無事に、家に、ついたら、ご家族のスマホで、連絡すること」
「ふだんと、ちがう人に、話しかけられても、ついていかないこと」
アールが、ふつうの先生みたいに、説明した。
いつもより、ふつうな、口調、だった。
……アールも、ふつうに、できるんだ。
昇降口を出たところで、スマホが、震えた。
桐島先輩からの、メッセージ。
『あんた、まっすぐ、家に、帰りなさい。寄り道、するんじゃ、ないわよ』
ぼくは、ちょっと、迷ってから、返した。
『はい』
すぐに、返事が、来た。
『嘘でしょ』
……バレてた。
* * *
ぼくは、いちおう、寄り道、しないつもり、だった。
でも、通学路の途中の、あの公園を、通った。
いつもの、ベンチに。
諸星さんが、いた。
帽子。
缶コーヒー。
足元に、ピコリン。
空の、七つの、点。
なんて、まったく関係ない、みたいな、いつもの姿、だった。
「あ、こんにちは」
「やあ。きみ、また、来たんだね」
「来ちゃ、ダメでしたか」
「うん?」
「いや、その、緊急下校で、まっすぐ、帰るって……」
「うん」
「諸星さんは、知ってるんですか、空の、あれ」
「うん」
即答、だった。
「みました?」
「みた」
「こわく、ないんですか」
「うん」
「こわくないんだ」
諸星さんは、缶コーヒーを、一口、のんだ。
「だってさ」
「はい」
「まだ、降りてないでしょ」
「は、はい」
「降りてから、考えるよ」
「降りる、まで……」
「うん。降りるまで、何とも、いえないからね」
ぼくは、空を、見上げた。
七つの点は、まだ、そこに、あった。
動いている。
でも、変わらない。
「……諸星さん」
「ん?」
「あれ、本物だと、思います?」
「あれ?」
「UFO」
「うん」
「えっ、本物、だと思うんですか」
「いや、UFO、っていう名前は、まだ、つけてあげない、って、こと」
「は」
「あれは、まだ、ただの、点」
ぼくは、なんとなく、わかる、気がした。
でも、わからない、気もした。
* * *
諸星さんは、ゆっくり、空をながめている。
「あの、諸星さん」
「うん」
「『地面の音』、どうなりました」
「ん?」
「この前、言ってたじゃないですか。『最近、地面の、音が、変わった』って」
「ああ、それ、ね」
諸星さんは、にこっと、笑った。
「今日は、地面のほうは、しずかだよ」
「しずか、ですか」
「うん。地面のほうは、ね」
諸星さんは、空のほうを、ちらっと指さした。
「あっちが、賑やか」
「は、はあ」
ぼくには、よく、わからなかった。
でも、なんとなく、心強かった。
諸星さんの言うことが、半分しかわからなくても、なぜか、不思議に、こわくない。
「諸星さん」
「ん?」
「ぼく、家に、帰ります」
「うん」
「桐島先輩から、まっすぐ、帰れって」
「いい先輩、だね」
「お姉さん、みたいです」
「いいね、お姉さん」
諸星さんは、また、ふっと笑った。
* * *
家に帰ると、お母さんが、玄関に出てきた。
「雄太! 大丈夫だった?」
「うん、ふつうに、帰ってきた」
「テレビ、見た?」
「これから、見る」
ハルカが、リビングから、走ってきた。
「お兄ちゃーん!」
「うん」
「UFO、降りる?」
「降りないと、思う」
「えーーーっ、降りてほしい!」
「なんでだよ」
「降りたら、さわりたい」
「やめなさい」
「なんで」
「なんで、って」
ぼくは、答えに、つまった。
お母さんが、笑った。
「ハルカ、UFOが、降りたら、世界が、大変、なのよ」
「えー、お母さんも、さわりたくない?」
「お母さんは、ほうきで、追いはらいたい」
「ほうきで!?」
お母さんは、台所に、もどっていった。
* * *
リビングのテレビが、ついていた。
『……現在、東京都心の上空に、銀色の、未確認飛行物体が、七つ確認されており、政府は、緊急対策本部を、設置しました』
『専門家のあいだでは、宇宙からの飛来物との見解と、人為的なドローンの群れ、との見解が、対立しており――』
『ネット上では、「ついに、来た」「終わった」など、騒然とした、声が、上がっています――』
テレビは、いつものように、騒いでいた。
でも、ぼくの心は、なんとなく、おちついていた。
『鳩が、金色に、なってるだけでしょ』
『降りるまで、何とも、いえないからね』
諸星さんの、声が、頭の中で、二回、ぽとんと、落ちた。
* * *
お母さんが、台所で、なべを、洗っている、音が、聞こえた。
ぼくは、リビングから、声をかけた。
「お母さん」
「うん?」
「お父さん、こういう時、なんて、言ったかな」
お母さんは、なべを洗う手を、ちょっと、止めた。
ふっと、笑った。
「『正しく見るんだ』、でしょ」
「うん」
「『そうすれば、こわくない』、って」
「うん」
「あの人の、口ぐせ、ぜんぜん、変わらないわね」
「だね」
「いつ、帰ってくる気なのかしら、ね」
「忙しい、みたい、だから」
「うん」
お母さんは、また、なべを洗いはじめた。
「でも、まあ、いつか、ね」
「うん」
ハルカが、ソファで寝そべりながら、聞いた。
「お父さん、UFO、好きそう?」
「あの人? 大好きだろうね」
「ええーっ」
「お父さん、子どもの頃、UFO研究会、入ってたって」
「うそ」
「ほんと」
「ぼく、知らなかった」
「言ったかな、これ、雄太に」
「言ってない」
「あらそう」
ぼくの、知らない、お父さんの話が、また、ひとつ、増えた。
なんとなく、うれしかった。
* * *
夜。
ぼくは、自分の部屋のベランダに、出た。
空は、もう、暗くなっていた。
星が、ぽつぽつと、見えた。
その中に。
銀色の点が、ひとつ。
ゆっくり、ゆっくり、動いていた。
星じゃ、なかった。
でも、こわくは、なかった。
ぼくは、なんとなく、心の中で、つぶやいた。
『正しく見るんだ。そうすれば、こわくない』
『鳩が、金色に、なってるだけでしょ』
『降りるまで、何とも、いえないからね』
お父さん。
諸星さん。
そして、また、お父さん。
ぼくの心の中で、三人の声が、しずかに、ならんでいた。
明日も、たぶん、ろくな日には、ならない。
でも、ろくな日にならない予感は、わりと、よく、当たる。
……たぶん。




