第二話 これは投擲(とうてき)ではありません
「お、おはよう」
今日は、ちゃんとがんばった。
ふつうに、おはようを、言った。
昨日のような事故をふせぐため、頭の中で、五回、リハーサルもした。
「……おはよう」
返ってきた。
返ってきたぞ!
ぼくは、心ぞうがバクバクしながら、自分の席についた。
今村さんは、すでに、まどの外を見ていた。
平常運転、だった。
つまり、ぼくの「成長」は、今村さんから見ると、たぶん、なかったことになっている。
斜め前で、絵島が、無言でぼくを見ていた。
「……何」
「お前、五回、リハーサルしてたな」
「見てたのか!」
「家から学校まで、ぶつぶつ言いながら歩いてた」
「最悪だ……」
そこに、アールがすうっと近づいてきた。
「竹内さん」
「な、何」
「本日も、学習効率の低下を、確認しました」
「いいかげんにしてくれ!」
クラスのみんなが、ぷふっと笑った。
今村さんも、ほんの一しゅんだけ、口元がゆるんだ気がした。
……気のせいだ。たぶん。
* * *
一時間目と二時間目の、あいだの休み時間。
ぼくは、写真クラブで使うフィルムを取りに、中等部の物資室まで歩いていた。
うちの機械化学園は、初等部、中等部、高等部が、ぜんぶ同じしき地にある。
だから廊下で、年上のお兄さんお姉さんと、すれちがうのは、よくあることだ。
横で、絵島と、なぜかアールも、ついてきた。
「お前ら、なんで来るんだよ」
「写真クラブの仕事だから、手伝う」
「協力的接触です」
「アール、最近、コンロボに似てきてないか?」
「故障ではありません」
「コンロボのまねまで、するな!」
廊下のむこうから、ぴこ、ぴこ、と、聞きおぼえのある音が、近づいてきた。
ローラースケートみたいな足で、コンロボが、走ってきた。
「あっ、竹内雄太様!」
「お前、なんで、校内に、いるんだよ」
「校舎、漏水点検、業務、です!」
「漏水、ふつう、屋外じゃないの」
「校内も、対象です!」
「対象って、お前」
ぼくのとなりで、アールが、ぼそっと、言った。
「失礼です」
コンロボが、すかさず、姿勢を、ピシッと、なおした。
「失礼、です、と、申告、します!」
ぼくは、思わず、足を、止めた。
「お前、いま、コピーした!」
「コピーでは、ありません」
「アールの『失礼です』、まんま、混ざってたぞ」
「自己申告、です」
「自己申告、混ざった!」
「自己申告は、混ざりません」
「混ざってる!」
絵島が、ねぶそうに、言った。
「お前、なんで、校内も、業務範囲なんだよ」
「竹内雄太様の、付近は、すべて、業務範囲、です」
「お前、それ、ちょっと、こわいぞ」
「特別な、接続権限、ですので」
「権限?」
「特例の、一号機、です」
「お前、毎回、それで、流すな」
「お前ら、廊下のまんなかで、なに、やってんだよ」
「業務、中、です」
コンロボとアールが、ほぼ、同時に、答えた。
「お前らが、いま、いちばん、避難導線、ふさいでるぞ」
そのとき、廊下のかどで、騒ぎが起きていた。
中学生らしき、男子三人。
そのまんなかに、机が一つ、ななめにほうりだされていた。
「お前が動かしたんだろ」
「はあ? 知らねえって」
「片づけろよ」
「めんどくせえ」
ぼくは、足を止めた。
机が、廊下のまんなかにある。ふつうに、じゃまだ。
「あれ、危なくない?」
絵島が、ぼそっと、言った。
「うん、危ない」
そのとき。
廊下のうしろから、すうっと、低い声が聞こえた。
「警告します」
ふりむく。
そこに、いた。
黒髪。
長身。
中等部の制服を、きっちり、着こなしている女子。
無表情。
ただ、立っているだけなのに、なぜか、廊下の空気が、一段、ひんやりした、気がした。
「……あれ、誰?」
ぼくは、絵島に、小声で聞いた。
「中等部の管理アンドロイドだよ。L-7型。あだ名は……七瀬さん」
七瀬さん。
ぼくは、その名前を初めて聞いた。
「避難導線の妨害は、学校安全法・第三条に、ていしょくする可能性があります」
七瀬さんは、男子三人に、しずかに言った。
「片づけてください」
「めんどくせえって言ってんだろ」
男子の一人が、にやにや、笑った。
七瀬さんは、もう一度、しずかに言った。
「もう一度、警告、します」
返事は、なかった。
その、しゅんかん。
七瀬さんが、片手を、机の天板に、すっ、と、置いた。
それだけで、机が、ふっと、浮いた。
「うわっ!?」
ぼくは、思わず声を出した。
七瀬さんは、その手を、机に、添えたまま。
そのまま、男子三人の頭の上、たった三センチのところを、すうっと通過させた。
ごう、と、空気が、引き裂かれた。
男子三人の、前髪が、いっせいに、後ろへ、流れた。
風が、鳴った。
机は、廊下のすみの壁ぎわに、ガタン、と、着地した。
廊下のおくの、窓ガラスが、こまかく、ふるえた。
机の、四本の脚が、こまかく、震えていた。
しかも――。
ただ、置いただけじゃ、なかった。
机は、「避難導線」を、ちゃんと、ふさがない、位置に、置かれていた。
廊下が、しんと、しずまりかえった。
七瀬さんは、ぴくりとも、表情を変えていなかった。
「これは、投擲では、ありません」
おちついた声。
「危険物の、排除です。合理的措置です」
「いや、投げてたよな、今」
ぼくは、思わず、つっこんだ。
七瀬さんの目が、ちらっと、こっちを向いた。
「投擲ではありません」
「机が、空、飛んでたんですけど!」
「移送です」
「言いかえても、ほぼ同じだよ!」
ぼくのとなりで、アールが、ぼそっと言った。
「みごとな、軌道計算です」
「そこ、感心するとこ?」
「技術的には」
「『技術的には』ってつけたら、なんでも許されると思ってるだろ、お前」
「はい」
「素直!」
男子三人は、完全に、固まっていた。
七瀬さんは、それを、ちらっと見てから、男子の一人に、しずかに言った。
「あなた」
「は、はい」
「以前にも、避難導線を、ふさいだ記録が、あります」
「えっ」
「再発の場合は、『再発防止研修』への参加を、推奨します」
「け、研修……」
「『推奨』というのは、私の言いかたで、行政上は、『必須』を意味します」
「ひぃ」
男子三人は、ぺこぺこ頭を下げて、走り去った。
廊下が、しんと、しずまった。
ぼくは、絵島と、顔を見合わせた。
「……こわ」
「な」
七瀬さんは、ふっと、息をついた。
ほんの少しだけ、肩の力が、ぬけた気がした。
そのときだった。
七瀬さんの目が、こっちを向いた。
ぼくと、ぴたっと、目が合った。
「……あなた」
「は、はい」
「初等部六年。竹内雄太、よね」
ぼくの心ぞうが、止まりかけた。
「な、なんで知ってるんですか」
七瀬さんは、無表情のまま、すうっと言った。
「校門で。」
「は、はい」
「『おなかの調子』のはなしを、大声で、していたわね」
絵島が、ぶはっと、ふきだした。
「……忘れてください」
「校内のお話、として、すでに、登録されています」
「登録するな!」
「そして、あなたの大声は、避難放送に、よくない方向で、似ています」
「やめて!」
七瀬さんは、無表情のまま――。
ふっと、口元だけ、ほんの少しだけ、ゆるめた。
笑った?
笑ったのか?
ぼくの心ぞうは、もう、完全に、おかしかった。
七瀬さんは、もう何も言わずに、廊下のおくへ、すうっと歩いていった。
「……今、笑った?」
ぼくは、絵島に、聞いた。
「笑ったな」
「な?」
「な」
アールが、横で、ぼそっと言った。
「なお、L-7型は、笑顔の出力に、計三十六パターン、あります」
「あ、出るんだ、そういうの」
「現時点では、三十二番が出力されたと、推定されます」
「番号で、言うのやめろ」
* * *
放課後。
写真クラブの部室で、ぼくは、まどぎわに立っていた。
「で、また、何かあったの」
桐島先輩が、めがねを、押し上げた。
「え、なんで分かるんですか」
「あんたの『遠い目』、もう全パターン、分類できてるから」
「分類するな!」
部屋のおくで、あかりが、けらけら笑った。
「竹内君、また自爆ですか?」
「自爆じゃない!」
「でも、なんかありましたよね?」
みなみが、しずかに首をかたむけた。
「……ありました、けど」
ぼくは、さっきの廊下のことを、ぽつぽつ話した。
桐島先輩が、めがねを、ふっと押し上げた。
「ああ、七瀬さんね」
「知ってるんですか」
「中等部だと、有名」
「有名なんですか」
「合法的に、こわい、っていうことで」
「合法的に……?」
「あの子、法律のすきまで、なんでもやるから」
桐島先輩が、ふっと、笑った。
「でもね」
「はい」
「中等部の生徒、彼女のおかげで、避難訓練、めちゃくちゃまじめに、参加するようになったらしいわよ」
避難訓練。
ぼくは、なんとなく、心の中で、その言葉を、もう一度、くり返した。
なんで、いま、その言葉が引っかかったのか、自分でも、よくわからなかった。
「あ」
そのとき、アールが、まどの外を見た。
「副部長」
「はい」
「また、増えました」
「え?」
みんなで、まどの外を、見る。
校庭のさくらの枝に。
こんどは、四羽。
いや、五羽、いた。
「うわ」
「マジで、増えてる」
「もう、街全体、らしいよ」
いつの間にか、絵島が、部室に来ていた。
スマホの画面を、こっちに見せた。
『……都内の各所で、目撃情報が確認されており、現在、確認個体数は、十羽以上――』
桐島先輩が、めがねを、押し上げた。
「もう、街、変わるんじゃないの、これ」
ぽつりと、それだけ、言った。
ぼくは、まどの外の、金色の鳩を見ながら――。
頭の中で、お父さんの声が、ぽつんと、よみがえった。
『何が起きているか、ちゃんと見るんだ。そうすれば、こわくない――』
うん。
ちゃんと、見た。
でも、まだ、何が起きているのかは、わからなかった。
ぼくは、ふっと息をはいて、カメラを構えた。
今日も、写真は、撮れる。
今日も、ろくな日には、ならないけど。
それで、いいんだと、思う。
たぶん。
たぶん。
……たぶん?
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