第十一話 母船、降下
朝。
教室は、ふつうに、ざわついていた。
絵島が、ぼくの斜め前で、ねぶそうな顔で、机にほおづえをついていた。
みなみは、教室の前のほうの、自分の席で、ふつうに、本を、読んでいた。
ぼくは、ランドセルから、ノートを、出しながら、なんとなく、空を、見た。
窓の、外。
雲が、いつもより、ちょっと、低く、流れていた。
その、雲の、すこし、奥に。
なにか、大きな、影の、輪郭が、すうっと、見えた。
すうっと、消えた。
ぼくは、ノートを、机の上に置いた。
「絵島」
「ん」
「お前、空、見た?」
「見てない」
「見ろ」
絵島は、ねぶそうな目で、首だけまわした。
それから、ねぶそうな目を、すこしだけ、ひらいた。
「……でけえ」
「うん」
「あれ、雲か?」
「雲じゃ、ないと、思う」
「お前のうちの、お父さん、また、なんか、やったのか」
「えっ」
「なんとなく、そう、聞こえる、空の、見え方だな」
絵島は、ふんと、笑って、ほおづえをもどした。
ぼくは、なんで、お父さん、って、絵島が、言ったのか、よく、わからなかった。
でも、なぜか、すこし、心が、しんと、なった。
* * *
教室の、スピーカーが、ピンポンパンポーン、と、鳴った。
『──機械化学園特区、管理課より、緊急の、お知らせです』
教室が、いっせいに、しずかになった。
『本日、特区上空に、運用試験中の、大型試験機が、進入しています』
『市民の皆様におかれましては、屋内退避、または、指定避難所へ、ご移動をお願いいたします』
『繰りかえします。本特区、運用試験です。あわてず、落ち着いて、ご移動ください』
ふつうの、放送、だった。
ふつうに、運用試験、と、言っていた。
すぐ、すこし、声が変わった。
『なお、今回の、試験につきましても、特区広報誌、第三十二号、第三十三号に、事前に、記載が、ございます』
ぼくは、ふっと、笑いそうに、なった。
絵島が、ぼそっと、つぶやいた。
「お前、それ、笑うところか?」
「ちょっとだけ」
「お前、世界、もう、ぜんぶ、慣れたな」
教室の、子たちは、それぞれ、ランドセルを、さげて、ぞろぞろと、廊下のほうへ出ていった。
みなみが、教室の前で、すこしだけ、ぼくの方をふりかえった。
ぼくは、ぺこっと、頭を、下げた。
みなみも、ぺこっと、頭を、下げて、廊下に出ていった。
ふつうの、ぺこ、だった。
ふつう、だった。
それで、よかった。
* * *
ぼくが、ランドセルを、さげようとした、そのとき。
「竹内、くん」
声が、した。
ぼくは、固まった。
となりの席。
今村さんが、ぼくの方を、見ていた。
ふつうの、無表情の、声、だった。
でも、いつもと、ちょっとだけ、ちがった。
「だいじょうぶ?」
ぼくは、えっ、と、言いそうに、なって、口を、ぱくぱく、させた。
向こうから、ぼくの、ためだけに、声を、かけられたのは、はじめて、だった。
第七話のとき、よりも、はっきり、ぼくの方を、見ていた。
「あ、う、うん」
「そう」
それだけ、だった。
今村さんは、ふつうに、立ちあがって、廊下に出ていった。
ぼくは、しばらく、ランドセルを、つかんだまま、固まっていた。
絵島が、ぼくの肩を、ぽんと、たたいた。
「お前、めずらしく、人生、進んでるな」
「え、進んだ?」
「上がってない、とは、もう、言ってやらない」
「絵島、お前、その台詞、前にも、言ったぞ」
「気にいったから」
「気にいるな」
絵島は、にやっと、笑って、教室を出ていった。
ぼくは、深呼吸を、ひとつ、した。
それから、教室を、出た。
廊下の窓の、外。
雲の、奥の、影は、いつのまにか、すこしだけ、大きく、なって、いた。
* * *
廊下を、歩きながら、ぼくは、ぼうっと、考えていた。
避難所は、たしか、市民会館。
学校から、徒歩で、二十分くらい。
ふつうに、考えれば、ふつうに、避難所に、行けば、よかった。
でも、なぜか、足が、別の方向に、向きはじめていた。
桐島先輩が、廊下の角から、すうっと、出てきた。
「あんた」
「あ、先輩」
「どこ行くの」
「えっと」
「避難所、こっちじゃないから」
「あ、はい」
「それで、どこ行くの」
ぼくは、ちょっとだけ、桐島先輩の顔を見た。
桐島先輩は、ふつうの顔で、ぼくを、見ていた。
ファインダーを、首から、ぶら下げていた。
「公園」
ぼくは、答えた。
「公園、です」
「なんで」
「アールに、聞きたいので」
「アールに?」
そのときだった。
廊下の、すこし先から、しれっと、声がした。
「合理的判断として」
アールが、ぼくらの後ろに、ぼけっと、立っていた。
いつから、いたのか、ぜんぜん、わからなかった。
「避難所より、公園が、安全です」
「は?」
桐島先輩が、ぱっと、ふりむいた。
「過去のデータ上、公園では、何も、起きていません」
「それ、データの、取り方の問題だろ」
ぼくが、ツッコんだ。
「事実です」
「事実かよ」
「事実、かもしれません、と、訂正します」
「お前、毎回、訂正、するな」
桐島先輩が、ふっと、笑った。
それから、ファインダーを、ぱしっと、にぎりなおした。
「あんたのその、謎データ、信用、するわ」
「いいんですか」
「いい」
「ぼくも、それで、行きたいんですけど」
「うん。いきましょ」
桐島先輩は、にっと笑って、もう、歩きはじめていた。
ぼくは、慌てて、ついていった。
アールが、ぼくの、すぐ、後ろを、革靴の音、立てずに、ついてきた。
* * *
校舎を出るところで、あかりと、みなみが、いた。
あかりが、けらけら、と、走ってきた。
「竹内君、避難所、行くー?」
「公園」
「公園? なんで?」
「アールが、安全だ、って」
「えー、アール、信じていいの?」
「軽量モデルですが」
アールが、しれっと、答えた。
「軽量モデルが、信用の根拠に、なるか、よ!」
ぼくは、ツッコんだ。
「では、先輩の、勘です」
「先輩の、勘の、ほうが、まだ、信じられるけど、お前、それ、責任、取らないだろ」
「はい」
「正直、だな!」
桐島先輩が、横で、ぷっと、笑った。
みなみが、ちょっとだけ、後ろから、こそっと、ついてきていた。
ぼくの方を、ちらっと見て、すぐ、目を、そらした。
ぼくも、ぺこっと、頭を、下げた。
「みなみさんも、いいの?」
ぼくが、聞いた。
「あ、はい」
「公園、こわくない?」
「だいじょうぶ、です」
みなみは、すこしだけ、まっすぐな目で、答えた。
おとなしいけど、芯のある、いつもの、みなみの、目、だった。
ぼくは、すこしだけ、安心、した。
五人で、校門を、出た。
空の、雲の奥の影は、もう、ふつうに、大きかった。
風が、すうっと、かぜらしくない、しずかさを、はらんで、流れていた。
* * *
公園に、つくと。
ベンチに、いつものように、諸星さんがいた。
帽子を、深く、かぶって、缶コーヒーを、片手で、持っていた。
ピコリンが、いつものように、ベンチの、脇に、ぼけっと、置かれていた。
諸星さんは、ぼくらを、ちらっと見た。
それから、ふっと、笑った。
「あら、女の子が、増えたねえ」
「諸星のおっさん!」
あかりが、ぴょんと、ベンチに近づいた。
「あれ、君、はじめましてだね」
「あかり! 写真クラブ! 五年生!」
「元気だね」
「諸星のおっさんって、有名なの、わたし、けらけら、聞いてた!」
「有名、なんだ」
諸星さんは、ふつうに、笑った。
みなみが、すこしだけ、緊張した顔で、ぺこっと、頭を、下げた。
「あ、初めまして、です」
「うん。はじめまして」
諸星さんは、缶コーヒーを、ぐびっと、のんだ。
「みんな、空、見にきた?」
「えっと、避難に」
ぼくが、答えた。
「公園が、安全だ、って」
「うん。ここは、安全だね」
「やっぱり?」
「うん」
諸星さんは、それ以上、説明しなかった。
ぼくは、それ以上、聞かなかった。
桐島先輩が、ぼそっと、言った。
「こいつら、息、合うわね」
「合います、ね」
ぼくは、苦笑い、した。
* * *
そのときだった。
公園の、入り口から、ぴょこぴょこと、走ってくる、丸いものが、いた。
「竹内雄太様!」
コンロボ、だった。
ぴこ、ぴこ、と、胸のランプを、すごい速さで、点滅させながら、走ってきた。
「お前、なに、してんの」
「業務、参集、です」
「業務?」
「インフラ管理ロボに、防災機能は、あります!」
「えっ」
「あります!」
コンロボは、なぜか、力強く、もう一回、言った。
「皆様の、前に、立ちます!」
「えっ」
「盾、です!」
「お前、盾の、機能、ないだろ」
「あります!」
「ないって!」
コンロボが、ぼくらの前に、ぴょこっと、立った。
胸のランプが、いつもより、はやく、点滅、しはじめた。
ぴこ、ぴこ、ぴこ、ぴこ、ぴこぴこぴこぴこ──
「あれ、いやな、リズム、だな」
桐島先輩が、ぼそっと、つぶやいた。
「同感です」
アールが、しれっと、同意した。
「同感、するな」
「では、撤回」
ボンッ。
ちいさな、破裂音が、した。
コンロボの、胸の、ランプから、しゅう、と、白い煙が立ちのぼった。
「コンロボ?!」
ぼくは、思わず、しゃがみこんだ。
「興奮、しました……」
コンロボは、胸のランプを、ぴ……ぴ……と、ゆっくりに、もどした。
「またかよ」
「また、です」
「お前、もう、興奮、すんな」
「努力、します」
桐島先輩が、ふっと、笑った。
あかりが、コンロボの、頭を、ぽんと、なでた。
「お疲れさま、コンちゃん」
「ありがとう、ございます」
ぼくは、ふっと、肩の力を、ぬいた。
ぬいて、すぐに、もう一回、入れた。
空の、雲の奥の影が、ゆっくりと、降りはじめていた。
* * *
公園の、入り口の、ほう、から。
すうっと、長い影が、すべりこんできた。
七瀬さん、だった。
無表情の、いつもの顔で、ぼくらの方に近づいてきた。
「写真部の、竹内さん」
「あ、はい」
「保護対象、確認」
「は、はい」
「桐島さんも、確認」
「はい」
「他、四名、確認」
「はい」
七瀬さんは、ぼくらの、すぐ、横を、すうっと、抜けて、公園の、入り口の、ほう、ぼくらと、空のあいだに、立った。
「私が、殿を、務めます」
「殿?」
ぼくが、聞きかえした。
「最後尾の、護衛、です」
「えっ」
「皆さんは、ベンチの、奥へ、ご移動ください」
桐島先輩が、すうっと、前に、出た。
「待って」
「はい」
「あんたが、残るなら」
「はい」
「私たちも、残るわ」
七瀬さんは、ちょっとだけ、桐島先輩を、見た。
「合理性は、ありません」
「うん。ない」
「論理的に、危険です」
「うん。危険」
「それでも、ですか」
「それでも、よ」
七瀬さんは、すこしだけ、首を、かしげた。
それから、ぺこっと、頭を、下げた。
首を、かしげる、動きも、頭を、下げる、動きも、ぴったり、おなじ、角度で、おなじ、速さ、だった。
「了解、しました」
「うん」
「ただし、私の、指示には、従ってください」
「もちろんよ」
桐島先輩は、にっと、笑った。
ぼくは、なんとなく、口の中で、つぶやきそうに、なった。
「……ルウア」
桐島先輩が、ちらっと、ぼくを見た。
「あんた、なに、ぶつぶつ、言ってるの」
「いえ、なにも」
ぼくは、ぱっと、口を、つぐんだ。
口の中だけで、もう一回、つぶやいた。
ルウア。
なぜ、そう、つぶやきたく、なるのか、まだ、自分でも、わからなかった。
* * *
そのとき、公園の、わきの道路に、白い軽トラックがすべりこんできた。
『機械化学園特区 管理課』
ではなく。
ふつうの、白い軽トラ、だった。
ジャケットの男が、運転席から、すたすたと、おりてきた。
「やあ、竹内君」
坂本さん、だった。
ぼくは、口を、半分、あけた。
「坂本さん、なんで、ここに」
「お前のお母さんから、連絡、来てな」
「えっ」
「雄太、たぶん、避難所、行かない、って」
「お母さん、なんで、わかったの」
「親、だからな」
坂本さんは、ジャケットの、襟を、ふっと、なおした。
「『あの子は、たぶん、撮りに、行く』、って」
ぼくは、ぐっと、言葉に、つまった。
胸の、まんなかが、すこしだけ、しんと、なった。
お母さんは、ふだん、ふわっと、ドライ、なふりを、している。
ふだん、お父さんのことも、過剰には、懐かしまない。
でも、お母さんは、ぼくのことを、ちゃんと、見ていた。
ふつうに、見ていた。
それが、わかった。
「坂本さんは」
「ん」
「なんで、来たんですか」
「来てくれって、たのまれた」
「お母さんに?」
「うん」
「ふつうに、たのまれた、んですか」
「ふつうに」
坂本さんは、にやっと、笑った。
「言うさ。言いたい時には、お母さんも」
ぼくは、ふっと、笑った。
笑った後で、ちょっとだけ、目が、熱くなった。
すぐに、引っこめた。
引っこめながら、もう一回、空を、見た。
* * *
雲の、奥の影は、もう、雲を、ぜんぶ、押しのけて、姿を、見せはじめていた。
巨大な、銀色の、なめらかな、なにか、だった。
形は、よく、見えなかった。
大きすぎて、輪郭が、ぼくの目に、入りきらなかった。
ふつうの飛行機、では、ぜったいに、なかった。
ふつうの、雲、でも、なかった。
ふつうの、世界の、一部、では、なかった。
風が、すうっと、変わった。
公園の、葉が、いっせいに、ふるえた。
ピコリンが、なぜか、ちいさく、ぴこ、と、鳴った。
ぼくは、ファインダーを、首から、はずして、両手で、握った。
ぼくの、手が、すこしだけ、ふるえていた。
ふるえながら、なぜか、こわくは、なかった。
胸の、まんなかで、もう一度、声が、する。
──正しく、見るんだ。
──そうすれば、こわくない。
声には、まだ、出して、いなかった。
ぼくは、ファインダーを、ぐっと、両手で、にぎりなおした。
桐島先輩が、ぼくの、横で、ぼそっと、言った。
「あんた、写真は、撮ってないの?」
「あっ」
ぼくは、ぱっと、ファインダーを、構え、なおした。
そのとき、だった。
ぼくは、すうっと、息を、吸った。
吸って、吐いた。
もう一回、吸った。
なぜか、自然に、声が、出た。
「何が、起きているか」
ぼくの、声、だった。
ぼくは、ふつうに、声を、出していた。
「正しく、見るんだ」
桐島先輩が、ぼくを、見た。
絵島も、ぼくを、見た。
あかりが、ぴょこっと、口を、あけた。
みなみが、すこしだけ、目を、見ひらいた。
七瀬さんが、ぼくの方を、ちらっと、見た。
諸星さんが、ふっと、笑った。
坂本さんが、ジャケットの、襟を、なおすのを、止めた。
アールが、ぼけっと、ぼくの、横に、立っていた。
ぼくは、ファインダーを、構えたまま、もう一回、息を、吸った。
「そうすれば、こわくない」
風が、もう一度、葉を、ゆらした。
しずか、だった。
ぼくの、声だけが、ぼくの、まわりに、ぽとり、ぽとり、と、落ちて、いった。
諸星さんが、缶コーヒーを、もう一口、ぐびっと、のんだ。
それから、ぼそっと、つぶやいた。
「うん」
「いい、声だね」
アールが、ぼくの、横で、しれっと、つけ足した。
「同感です」
「同感は、するな」
ぼくが、ツッコんだ。
「では、撤回します」
「いや、しなくて、いい」
「では、保留」
「保留も、しなくて、いい」
桐島先輩が、ぷっと、噴いた。
それから、ぼくの、頭の、てっぺんを、ぽんと、一回、軽く、たたいた。
「うん。あんた、しっかり、なさい」
「は、はい」
「写真、撮りなさい」
「はい」
ぼくは、ファインダーを、構えなおした。
シャッターに、指を、あてた。
巨大な、銀色の、なにかが、雲を、抜けて、ゆっくりと、降下、しはじめていた。
ぼくは、シャッターを、きった。
カシャ。
まじめな音が、した。
巨大な、銀色の、なにかは、ぼくらの、すこし、はなれた、空き地のほうに、ゆっくりと、ゆっくりと、影を、おとして、いった。
それが、なんなのか。
ぼくには、まだ、わからなかった。
でも。
ぼくの、まわりの、みんなは、それぞれの顔で、それを見上げていた。
絵島は、ふんと、口をあけていた。
あかりは、けらけら、と、笑っていた。
みなみは、まっすぐな、目を、していた。
桐島先輩は、ぼくの、横で、ふっと、笑っていた。
七瀬さん──ルウア──は、ふつうの、無表情で、立っていた。
諸星さんは、缶コーヒーを、ふつうに、のんでいた。
坂本さんは、ジャケットの、襟を、もう一度、なおしていた。
コンロボが、ぼくの、すぐ、横で、ぴこ、ぴこ、と、ふつうに、ランプを、点滅させていた。
ぼくは、もう一度、シャッターを、きった。
カシャ。
機械化学園特区の、本日も。
たぶん、平常運転、では、なかった。
でも、たぶん。
これが、ぼくらの、ふつう、なんだろう、と、思った。
ぼくは、ファインダーごしに、銀色の、影が、地面に、つくのを見ていた。
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