第9話:断罪の証言と、鉄血の進軍
アイゼンハウト帝国の軍事中枢、「鋼鉄の議事堂」は、重苦しい沈黙に支配されていた。
円形の議場の中心には、リィネによって救い出された三名の元奴隷たちが立っている。彼らの首元には、かつて「業の転嫁」の首輪が嵌められていた醜い痕跡が、消えない火傷のように生々しく残っていた。
その上段、影を纏った玉座に深く腰掛けているのは、皇帝ガリアスだ。彼は肘をつき、冷徹な猛禽の瞳で、提出された「壊れた首輪の破片」を見つめていた。
「……では、改めて問おう。サンクチュアリ王国の第一王子、ジュリアスはこの呪具を用い、己の精神的腐敗と悪行の報いを、貴様たちに強制的に肩代わりさせていたのだな?」
ガリアスの声は低く、議場の空気を物理的に圧し潰すような威圧感があった。
元奴隷の一人、かつては名もなき農夫だった男が、震える声で口を開いた。
「はい……。あの方は、民の前では黄金の笑顔を見せながら、地下牢では私たちを『生きたゴミ箱』と呼びました。あの方が贅沢に耽り、反対勢力を惨殺するたびに、私たちの首輪が赤く光り……心臓を直接握りつぶされるような痛みが襲うのです。……仲間たちは皆、その苦痛に耐えきれず、精神を壊して死んでいきました」
議場に集まった帝国の将星たちが、一斉に息を呑んだ。
リィネが傍らで、静かに補足する。
「陛下。その首輪の術式は、王子の穢れをろ過し、純粋な『絶望』へと精製して装着者に流し込む仕組みです。……そして、その過程で生じる強力な毒素の残り滓を、婚約者であった私に吸わせていた。……あの方は、自身の魂を白く保つために、一国を贄に捧げているのです」
ガリアスは、魔導師たちが解析した報告書をパラパラと捲り、それを無造作に放り捨てた。
「……反吐が出る。合理性の欠片もない、ただの自己愛に満ちた児戯だ。……ヴォルフガング、我が軍の展開状況を報告せよ」
名を呼ばれた巨漢の将軍が、軍靴の音を響かせて前に出た。
「はっ! 国境線にはすでに三つの師団が集結を完了。リィネ様の加護を受けたガルハルト殿の聖教騎士団も、先鋒としての準備を整えております。……王都ルミナリス周辺は、今や巨大な瘴気の渦となっており、通常の兵では近づくことすら叶いませんが、リィネ様の浄化があれば進軍は可能です」
ガリアスは立ち上がった。
彼の背後にある巨大な地図には、サンクチュアリ王国の位置に不気味な黒い印が付けられている。
「……全軍に告ぐ。これは単なる領土拡張の戦ではない。……大陸の法を汚し、至宝たる聖女をゴミ箱扱いした、あの『腐った膿』を摘出する、救済と断罪の遠征である」
ガリアスの瞳には、一切の情はなかった。あるのは、非効率で醜悪なものを排除しようとする、鉄血の皇帝としての冷徹な意志だ。
「ジュリアス王子は、自身の毒に溺れて死ぬべきだ。だが、その前に彼が踏みにじった全ての命に対し、公の場で頭を垂れさせねばならん。……リィネ殿。貴様が言った『舞台』は、我が軍の進軍と共に作り上げよう。……王国という名の死体を、帝国の新たな礎とする」
「……感謝いたします、陛下」
リィネは深く優雅に一礼した。その瞳には、慈悲など微塵も残っていない。
一方、サンクチュアリ王国の王宮。
かつての白亜の回廊は、今やどす黒い粘液のような瘴気に覆われ、壁には苦悶の表情を浮かべた人面のような染みが浮き出ていた。
玉座の間。ジュリアスは、唯一残った自分の「正常な肌」である顔半分を守るように、泥に汚れたカーテンを纏って蹲っていた。
「あいつだ……リィネだ……。あいつが、僕の幸せをすべて持って逃げたんだ! あいつさえいれば、僕の肌は今日も黄金に輝いていたはずなのに!」
彼の周りには、もはや「身代わり」になれる生き残りはいない。
地下牢からは、限界を超えて毒を流し込まれた奴隷たちの、呪詛のような呻き声が絶えず響いてくる。
ジュリアスは、腐りかけた手で、床に転がっていた一本の短剣を掴んだ。
「殺せ……。帝都へ行け。リィネを……リィネを殺して、その心臓を持ってこい! その心臓を僕に埋め込めば、僕はまた完璧になれる! 行けえええええっ!!」
王子の絶叫に応じたのは、理性を失い、王子の瘴気に当てられて狂人と化した、わずか数名の暗殺者たちだった。彼らは影のように、不気味な紫の煙を曳きながら帝都へと向けて放たれた。
帝都のバルコニー。
リィネは、ガルハルトが磨き上げた白銀の鎧を纏うのを、静かに手伝っていた。
彼女の指が、ガルハルトの胸当てに触れる。
「ガルハルト。……あの方は、私を殺そうとするでしょうね。……自分の非を認める代わりに、私を破壊することで、自分の正しさを証明しようとするはずよ」
「……指一本、触れさせはしません」
ガルハルトは、リィネの手を強く、されど優しく握り返した。
彼の琥珀色の瞳には、野性味溢れる闘志が燃え盛っている。
「王子の放つ刺客も、王国を覆う瘴気も、俺たちがすべて切り裂きます。……リィネ様は、ただその高い場所から、滅びゆく愚か者を見届けてくださればいい」
「……ええ。……楽しみだわ、ガルハルト。……あの方が、自分の命よりも大切にしていた『美しさ』が、無様に崩れ落ちる瞬間を見るのが」
リィネの唇から、美しくも残酷な言葉が零れる。
帝都の広場では、数万の帝国軍が抜刀し、地を揺らすような勝鬨を上げていた。
鋼鉄の軍靴が、王国の汚れた土を踏み荒らす日は、もうすぐそこまで来ていた。
聖女の逆襲は、ついに「国家」という巨大な質量を持って、動き出したのだ。




