表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女の毒、王子の腐敗。~身代わりの奴隷と騎士たちを連れて亡命したら、王国が勝手に滅び始めました~  作者: 寝不足魔王


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/16

第3話:物置小屋の聖女と、番犬の誓い

 華やかな神殿の北端、腐りかけた木材と湿った石壁に囲まれた「物置小屋」が、聖女リィネに与えられた新たな居室だった。

 かつては庭園の手入れ道具や、使い古された儀礼用の布を放り込んでいた場所だ。窓は小さく、隙間風が容赦なくリィネの薄い法衣を揺らす。


「……ふふ。案外、落ち着くわね。あの方の香水の匂いがしないだけ、ずっと清らかだわ」


 リィネは埃っぽい床に腰を下ろし、自嘲気味に呟いた。

 ジュリアス王子の命令により、彼女の私物はそのほとんどが没収された。豪奢なドレスも、聖教から贈られた装飾品も、今は新聖女候補であるミレーヌの部屋へと運び込まれている。

 手元に残ったのは、汚れの目立つ古い修道服一着と、隠し持っていたわずかな魔導具のみ。


 遠く、神殿の主塔から祝祭の鐘が鳴り響く。

 それはミレーヌが「真実の聖女」として正式に認められたことを祝う音だ。民衆は歓喜し、広場では王子の慈悲を讃える歌が合唱されている。

 誰も知らない。その光り輝く主塔の下で、王子の悪意を吸わされた奴隷たちが、今この瞬間も泥を啜っていることを。そして、その毒を中和し続けてきた「ゴミ箱」が、この物置小屋に捨てられたことを。


「失礼いたします、リィネ様。……ミレーヌです」


 扉が軋んだ音を立てて開き、純白のドレスに身を包んだミレーヌが入ってきた。

 彼女は周囲の惨状に顔を顰め、リィネに向かって「慈悲深い」笑みを浮かべた。


「なんて酷い場所……。でも、安心してください。これからは私が殿下の側でお支えします。リィネ様はもう、あんなに苦しそうに祈らなくていいんですよ」


 ミレーヌの言葉には、一片の悪意もなかった。それがリィネには、何よりも残酷に響いた。

 ミレーヌの背後には、すでにジュリアスから移譲されたばかりの「どす黒い靄」が、蛇のように彼女の首筋に巻き付いている。無垢な彼女は、自分が吸わされているものが「聖なる試練」だと信じ込んでいるのだ。


「……そう。なら、精一杯お励みなさい。殿下は、とても『繊細』な方だから」


 リィネは冷ややかな声で応じ、視線を落とした。

 ミレーヌの魔力特性は、リィネよりも「拡散」に近い。浄化の効率は良いが、その分、毒を溜め込むキャパシティは圧倒的に小さい。

 計算上、彼女が王子の穢れに耐えられるのは、持って一ヶ月。それを過ぎれば、彼女の精神は内側から崩壊を始めるだろう。


(……ごめんなさいね。でも、これはあなたが望んで手に入れた「光」の代償よ)


 ミレーヌが去り、夜の帳が降りる頃。

 物置小屋の影から、音もなく巨大な影が滑り込んできた。


「……リィネ様」


 低い、地鳴りのような声。ガルハルトだ。

 彼は騎士団の制服を脱ぎ捨て、黒い旅装束に身を包んでいた。その手には、毛羽立った厚手の毛布と、まだ温かいスープの入った小瓶がある。


「ガルハルト。見張りの目は?」

「眠らせてあります。……それにしても、この場所はあまりに酷い。あの男、貴女を人として扱う気すらないのか」


 ガルハルトはリィネの前に膝をつくと、冷え切った彼女の手を、己の無骨な掌で包み込んだ。

 戦場を駆け、魔物を斬り伏せてきた硬い角質。だが、その触れ方は、壊れやすい羽を扱うように優しかった。

 彼はリィネの素足を認めると、躊躇うことなくそれを己の膝の上に乗せ、大きな手で温め始めた。


「ガルハルト……不敬よ。あなたは騎士団長でしょう?」

「今の俺は、ただの野良犬です。貴女を暖めることすら許されないのなら、この命に価値などない」


 琥珀色の瞳が、暗闇の中で獣のように鋭く、それでいて悲しげに光る。

 ガルハルトの体温が、凍てついていたリィネの心に染み渡っていく。彼女は彼に身を預け、震える声で尋ねた。


「……準備は、どう?」

「完了しております。王都の西門に、聖教騎士団の精鋭五十名が待機中。地下牢からは、特に魔力耐性の高い奴隷三名を救出し、安全な場所に隠しました。彼らは王子の『契約の首輪』の不備を証明する生き証人となります」

「ありがとう。……私の魔力も、順調に『汚染』されているわ」


 リィネは自身の腕をまくり、ガルハルトに見せた。

 そこには、王子の毒をわざと一箇所に凝縮させた、禍々しい黒い紋章が刻まれていた。


「これは私の魔力で封じ込めた『毒の塊』。明日、殿下が私を『偽聖女』として追放する儀式の最中に、これを一気に活性化させる。……殿下には、私が魔力暴走を起こして死ぬように見えるでしょうね」

「命懸けの賭けだ。……本当に、宜しいのですか」

「ええ。あの方が私を見放し、死体として片付けようとした瞬間が、私たちの自由の時よ」


 リィネはガルハルトの頬に触れた。

 荒々しい髭の感触と、戦場を生き抜いてきた男の強靭な生命力。

 この男がいなければ、自分はとっくに絶望という名の泥に溶けて消えていただろう。


「ガルハルト。国境を越えたら……私を、誰もいない静かな場所へ連れて行ってくれる?」

「……御心のままに。たとえ世界の果てであろうと、俺が貴女を背負って歩きましょう」


 翌朝。

 物置小屋の扉が、乱暴に蹴破られた。

 黄金の装飾に身を包んだジュリアス王子が、取り巻きの貴族たちを連れて立っていた。


「さあ、起きろ、偽物。今日は君の『葬儀』の日だ。……ああ、いや、失敬。君という『不浄な存在』を我が国から排除する、聖なる儀式の日だったね」


 ジュリアスは鼻を摘み、嫌悪感を露わにしながら小屋の中を見渡した。

 リィネは静かに立ち上がり、汚れきった法衣の裾を整えた。


「……承知いたしました、殿下。私の役目を、最後の一滴まで果たさせていただきますわ」


 リィネの瞳には、一切の迷いがなかった。

 背後に控えるガルハルトが、腰の剣に手をかける。

 運命の断罪劇まで、あと数時間。

 黄金を纏う怪物が、自ら墓穴を掘る瞬間が、すぐそこまで迫っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ